私はアパレル会社に勤務している。

小売店舗を数多く運営していることから、当社にはたくさんの販売員がいて、日々お客様と接している。そういう販売員のモチベーションやスキルを向上させようという目的から、ロール・プレイング・コンテストが開催された。


広い会議室にパイプハンガーが置かれ、10点ほどの洋服が掛かっている。その脇に販売員が立ち、そこに現われるお客様に応対し、お買い物をして頂くのだ。与えられた時間は僅か7分。私は単なる見物人だが、一体どうなることやらとドキドキしてきた。


お客様が入ってくる。

「いらっしゃいませ。こんにちは」

と販売員が自然な挨拶で迎える。


私など7分の制限時間が気になって仕方なく、「そんな悠長な挨拶をしてる場合か?」と思ってしまうのだが、販売員はニコニコ微笑んでお客様と少し距離を空け、様子を見ている。そして声を掛ける。


販売員 「今日はお仕事帰りですか?」

お客様 「ええ、そうなの」

販売員 「それはそれは、お疲れさまでした」

お客様 「ありがとう」


お~い、まだそんな悠長な会話してるのか。大丈夫?と私は気が気でないのだが、二人の会話が次第に弾み、家族の話やら、お店に来た目的やら、予定されている行事やら、次第に話題が商品にフォーカスされてきていることに気付く。


やがて、販売員がお客様を鏡の前にご案内し、手にした洋服をお客様に当てて見せ始めた。


販売員 「わ、素敵です」

お客様 「ほんと?」


良くそこまで見ているなと感心するくらい、販売員はお客様の特徴をつかんでいる。肌の色やお化粧や今日来ている洋服の色やスタイル、等々。それをお客様に伝え、手にした商品がお似合いであることを伝える。又、今日お店に来られた目的を果たせる商品であることを説明する。いやいや、見事な流れだった。


更には、お代金を頂くまでも会話を続け、もう殆んど昔からの友人のような親しみを感じさせている。いやはや感心してしまった。5人の販売員のロール・プレイングを拝見したが、全員、7分以内にお買い物をさせていた。お見事!


私は販売のプロではないので間違っているかも知れないが、優秀な販売員というのは先ず聞き上手で、お客様がお店に来られた理由や探している商品、はたまた洋服で困っている点など自然に聞き出していた。次の共通点は、何とかお客様のお役に立ちたいという、ギブ&テイクで言えばギブの精神を持っている人だと思う。これを売るんだ、という意気込みではなく、とことん一緒に探しますから、という奉仕の精神に近かったように思う。


ともあれ、私は毎月現金で給料を貰っているが、この現金は、販売員の人たちが商品と引き換えにお客様から頂いたものだ。彼女たちがいなければ、当社の製造した商品が現金に換わることはないのだ。


販売員の皆様、ありがとうございます。


ボルネオ7番のブログ-バラ

母の十三回忌は滋賀県琵琶湖畔にある浄土真宗のお寺で営まれた。その後、京都に戻って皆んなで夕食を頂くことになっていたのだが、少し時間があるという。


「せっかく東京から来てくれたんやしなぁ」と誰からともなく私たちのことを気遣う声が出て、京都への帰り道、三千院に寄ろうということになった。何と40年振りの訪問だ。


琵琶湖から京都に抜ける通称「途中越え」の山道をしばらく行くと大原の里に出る。いずみたく作曲の「女ひとり」一番の歌詞、♪京都 大原 三千院 恋に疲れた女がひとり♪の大原だ。デューク・エイセスが歌って大ヒットした。確かに傷心を癒すには良い場所かも知れない。


しかし、このところ恋にも傷心にも無縁の私としては、見るもの見るもの全てが珍しく懐かしい。しかも少しお腹が空き、♪京都 大原 三千院 腹を空かせた男が一人♪という感じだ(笑)


そこに出てきたのが「アイスきゅうり」だ (@_@)


ボルネオ7番のブログ-アイスきゅうり1


きゅうりを丸一本、一夜漬けにしたものだ。これが冷えていて誠に美味しい。


ボルネオ7番のブログ-アイスきゅうり2


妻に「ひと口食べてええよ」と勧めたら、こんなになって返ってきた。どんなひと口やねん(笑)


三千院の境内に入ると、急に温度が下がったように感じた。爽やかな涼風が気持ち良い。これも手水というのだろうか。見ているだけで涼しくなった。


ボルネオ7番のブログ-三千院


やはり温度が低いのか、町では見かけなくなった紫陽花が

きれいに咲いていた('-^*)/


ボルネオ7番のブログ-紫陽花


そして、見る人が思わず微笑んでしまう童地蔵さん。庭のあちらこちらに立っておられた。


ボルネオ7番のブログ-童地蔵さん


う~ん、この童地蔵さんのポジションはプロップやなぁ、と一人頷きながら

通り過ぎる(笑) あまりにラグビー部の同級生に似ておられたもんで(笑)

失礼しました!


母が亡くなったのは1999年7月のことだ。


最後の長い入院で、家族が交代で病室に寝泊りし、母に付き添うことになっていた。たまたま母が亡くなる前の晩は私が当番だった。


翌朝、母の容態が急変し、お医者さまから家族を呼ぶように言われた。しかし、月曜日の朝のことで、父も兄も既に自宅を出て勤務先に向かっていたし、妹は自宅のある大阪にいた。


結局、母の最期に間に合ったのは父と私の二人だった。本当に不思議だが、父の到着を待っていたかのように母は逝った。その瞬間、私は44才のいいオジサンだったのにわんわん泣いた。


ボルネオ7番のブログ-両親


その後、母の思い出を兄妹と話す内に意外な事実が判明した。なんと、私だけが体罰を受けていたのだ。理由は覚えていないが、私が何か悪さをすると、母は祖父の大きな写真の前に私を連れて行き正座させる。そして内腿を平手で叩く。そこに母の小さな手形が残る。母によると、頭を叩くのは脳に悪い。お尻を叩いても痛くない。その点、内腿は皮膚が薄くて効果満点らしい。確かに効果があった(笑)


小学校3年生になったとき、「もう口で注意したら分かるやろ?言うことを聞くんやったら、これからは叩かへん。ええか?」と聞かれ、もちろん、「はいっ!」と元気に即答し、以後、注意されたら直ぐに改めるようにした。あ、そうか、叩かれた理由は何度も同じ悪さを繰り返したからか(笑)


背が150cmにも満たない小柄な母だったが、愛情と責任感のかたまりのような人だったと思う。


合掌。