高校時代の恩師、饗庭先生が「船長の銀のスプーン」と題する絵を描いておられる。なんでわざわざスプーンなのかと思い、その由来を聞いた。


同志社の創立者、新島襄先生は1864年、函館から密出国してアメリカへと渡られるが、先生をボストンまで運んだワイルド・ローヴァー号には上海で乗船されている。その上海まで先生を送り届けたのがベルリン号という船で、セイボリーという方が船長を務めておられたらしい。国禁を破った先生は見付かれば死罪だし、それを助けた者も罰せられるという時代だったから、セイボリー船長は自らのリスクを承知の上で先生を助けてくださったことになる。

(函館沖に停泊中のベルリン号に向かう新島先生の和船。これも饗庭先生の作品)

さて、新島先生は上海までの航海中、給仕を務めておられたが、セイボリー船長の銀のスプーンをうっかり洗い桶の水とともに海中に捨ててしまう。先生はそれを身振り手振りで船長に伝え、スプーンの代わりに所持していたお金を渡そうとされるが、船長は怒るどころか先生の話を微笑みながら聞き、お金を受け取ろうとはされなかったらしい。先生の誠実なお人柄が伝わったのだろうが、何とも素晴らしい光景ではないか。

セイボリー船長は、その後、先生を助けたことが発覚してしまったことから、それを理由に職を失ってしまう。にもかかわらず、ボストンに新島先生を訪ねたセイボリー船長はそれに関しては何もおっしゃらず、ただただ再会を喜び、先生を励まして帰って行かれたらしい。こういう頼もしい大人との出会いが新島先生を助け、同志社創立を現実のものにしたのだろう。私もそういう大人にならねばと思う。

毎日新聞や朝日新聞で紹介されていた「まるでモンサンミッシェル」という写真。琵琶湖の水位が下がり、長浜市沖の小島、「奥の洲」と陸続きになったらしい。



少雨の影響で12月6日午前6時の平均水位はマイナス70センチで、渇水対策本部を設置する基準まであと5センチとのことだ。「奥の洲」は鳥の生息地で、湖岸の湿地帯にあるヨシ群落は保護の対象とのこと。あまり多くの人が物見遊山で訪れると鳥やヨシはびっくりしそうだ。

私の本籍は滋賀県で、子供の頃は夏休みのほとんどを琵琶湖畔で過ごした。今はどうか分からないが、早朝、浜辺に出て浅瀬にタオルをいれると「ゴリ」という小魚をすくい上げることができた。これを甘辛く煮たものが食卓に出て、炊きたてのご飯に良く合った。あぁ、懐かしい。あれから半世紀どころか60年も経ったのかと思うと溜め息が出る。もう少し成長します!

渋谷区役所前の交差点から代々木公園に抜ける並木道。木々が透明感のあるブルーでライトアップされていた。



東大駒場キャンパスの銀杏並木。すっかり黄葉し、見渡す限り暖かな黄色の世界になっていた。


そして、恒例の「私のためだけの紅葉」。派手さはないが、究極のエコタイプ(笑)