一昨日の3月10日(日)、サントリーホールでのコンサートが無事終了した。



小林研一郎さん(以下、コバケン先生)の指揮で歌うなどもちろん初めて。100名のオーケストラと歌うのも初めて。マーラーの交響曲第2番「復活」も初めて。ドイツ語の歌詞も初めて。サントリーホールも初めて。同志社混声合唱団(東京)以外の方と歌うのも初めて。以上、初めて尽くしのコンサートだったが、ものすごく興味深い体験をさせてもらった。

(合唱団はパイプオルガン両隣のP席と言われる座席に陣取った)

フィルハーモニックアンサンブル管弦楽団は100名の構成、第5楽章を歌う合唱団は200名の編成で、何度か「オケ合わせ」と言われる練習に参加したが、回を重ねる毎にコバケン先生の注意や指示が浸透して行くのか、演奏の途切れる回数が減っていったように思う。

(P席から見た開演前のステージと観客席)

合唱団に対しては最初の練習時に出だしの歌い方を注意され、やり直しを命じられては再びダメ出しされ、恐らく10回近く同じところを練習したように思うが、そんなことがあったからか、以後、コバケン先生のおっしゃることは一言も漏らすまいと真剣に聞くようになった。又、OKが出たときには大変嬉しく思うようになったし、時折、ユーモアをまじえたジョークで我々を笑わせたりされるから、コバケン先生のことをより近くに感じるようになった。今から思うと、知らず知らずの内に、コバケン先生ワールドに誘い込まれて行ったのかなと思う。

300人の気持ちを一つにまとめるのは大変なことだと思うが、それがお出来になる情熱家だから、「炎のマエストロ」と呼ばれ、多くのファンに愛されて居られるのだろう。貴重な体験をさせてもらった。感謝。

今年もバレンタインデーがやって来た。過去に書いたブログを見返したら、これまで様々なチョコレートをもらっていることが分かった。


【投資チョコ】

ホワイトデーのお返しを期待している娘たちからのチョコ。

別名、「海老鯛チョコ」


【面子チョコ】

収穫ゼロでは面子が立たないだろうと同僚がデスクに置いてくれたチョコ。

別名「さくらチョコ」


【脅迫チョコ】

ハッキリ私から要求されて準備してくれたチョコ。

別名、「パワハラ・チョコ」


【同情チョコ】

「去年ボルさん淋しそうだったから」と準備されていたチョコ。

別名、「レスキュー・チョコ」


【行き掛かり上チョコ】

ひょんなことから贈らざるを得なくなってしまったチョコ。

別名、「アクシデンタル・チョコ」


さて、今年頂いたチョコレートはどういうチョコレートだろう。



ひょっとして【介護チョコ】?

昨年より少し増えたことを考えると、「私たちがとことん面倒をみて上げないと」という連帯の輪が広がったのかも(笑) ありがとうございます!


締めくくりに、チョコレートを使った諺を。


" Life is like a box of chocolates. You never know what you're going to get."


「人生は箱詰めのチョコレートのようなものだ。何を手に入れられるかは分からない。」


人生はまだ続くし、これから手にできるものを楽しみにしようと思う。

同級生から「面白かった」と勧められた。NHK大河ドラマで取り上げられる前に書かれた本だが、アマゾンで中古のものが見付かった。



戊辰・会津戦争を戦い抜き、鶴ヶ城に籠城した際には男装して銃を携え、見事な射撃の腕前を見せたという八重さん。勇ましい女性だが、奮戦むなしく会津藩は敗れ、賊軍となってしまう。傷心の八重さんは戦後、兄の山本覚馬さんを頼って京都に行き、そこで新島襄先生と出会う。


その新島先生は、山本覚馬さんから譲り受けた旧薩摩藩邸の敷地に同志社を設立されるが、当時の京都には3500のお寺と2500の神社、僧侶だけでも8000人はいたというから、ヤソ(耶蘇)教の学校ができるという噂に猛烈な反発と反対があったようだ。


新島先生がそれを乗り切れたのは、八重さんが居られたからだろう。布教や寄付を募るため旅に出ることの多かった新島先生の留守を守ったのは八重さんで、その姿が鶴ヶ城での八重さんと重なった。新島先生も八重さんも自分の信念や夢のために生涯を通して戦い抜かれた方だ。私も少しは同志社で学んだ意地を見せないと、お二人から叱られそうだ。