今年もバレンタインデーがやって来た。過去に書いたブログを見返したら、これまで様々なチョコレートをもらっていることが分かった。


【投資チョコ】

ホワイトデーのお返しを期待している娘たちからのチョコ。

別名、「海老鯛チョコ」


【面子チョコ】

収穫ゼロでは面子が立たないだろうと同僚がデスクに置いてくれたチョコ。

別名「さくらチョコ」


【脅迫チョコ】

ハッキリ私から要求されて準備してくれたチョコ。

別名、「パワハラ・チョコ」


【同情チョコ】

「去年ボルさん淋しそうだったから」と準備されていたチョコ。

別名、「レスキュー・チョコ」


【行き掛かり上チョコ】

ひょんなことから贈らざるを得なくなってしまったチョコ。

別名、「アクシデンタル・チョコ」


さて、今年頂いたチョコレートはどういうチョコレートだろう。



ひょっとして【介護チョコ】?

昨年より少し増えたことを考えると、「私たちがとことん面倒をみて上げないと」という連帯の輪が広がったのかも(笑) ありがとうございます!


締めくくりに、チョコレートを使った諺を。


" Life is like a box of chocolates. You never know what you're going to get."


「人生は箱詰めのチョコレートのようなものだ。何を手に入れられるかは分からない。」


人生はまだ続くし、これから手にできるものを楽しみにしようと思う。

同級生から「面白かった」と勧められた。NHK大河ドラマで取り上げられる前に書かれた本だが、アマゾンで中古のものが見付かった。



戊辰・会津戦争を戦い抜き、鶴ヶ城に籠城した際には男装して銃を携え、見事な射撃の腕前を見せたという八重さん。勇ましい女性だが、奮戦むなしく会津藩は敗れ、賊軍となってしまう。傷心の八重さんは戦後、兄の山本覚馬さんを頼って京都に行き、そこで新島襄先生と出会う。


その新島先生は、山本覚馬さんから譲り受けた旧薩摩藩邸の敷地に同志社を設立されるが、当時の京都には3500のお寺と2500の神社、僧侶だけでも8000人はいたというから、ヤソ(耶蘇)教の学校ができるという噂に猛烈な反発と反対があったようだ。


新島先生がそれを乗り切れたのは、八重さんが居られたからだろう。布教や寄付を募るため旅に出ることの多かった新島先生の留守を守ったのは八重さんで、その姿が鶴ヶ城での八重さんと重なった。新島先生も八重さんも自分の信念や夢のために生涯を通して戦い抜かれた方だ。私も少しは同志社で学んだ意地を見せないと、お二人から叱られそうだ。

お正月に頂く年賀状が減ってきた。ここ数年、「年賀状のご挨拶は本年限りとさせて頂きます」とか「今後はSNSでのご挨拶とさせて頂きます」というメッセージが多くなってきたから、年賀状離れが加速しているのだろう。



そんな中、「年賀状は平安時代から続くコミュニケーションです。私は続けます」と書いてこられた方がいた。平安時代は言い過ぎではと疑い、調べてみたところ、確かに平安時代に始まったとする解説が出てきた。なんでも、藤原明衝(989~1066)という貴族がまとめた手紙の文例集に年始の挨拶が出てくるらしい。年賀状には千年の歴史があるのだ。

さて、私にとっての年賀状はどのようなものかを考えてみた。毎年12月を迎えると、翌年の干支にまつわる諺を探し、それに合うイラストを考えて描く。その時間が楽しいこともあれば、印刷屋さんの締切りが迫って焦ることもある。そうこうする内に年の瀬を実感し、新年のことを考えるようになるので、私にとっての年賀状は新年を迎えるための「準備体操」なんだろう。私の年賀状を受け取る皆さま、今しばらく準備体操にお付合いください。