同級生から「面白かった」と勧められた。NHK大河ドラマで取り上げられる前に書かれた本だが、アマゾンで中古のものが見付かった。



戊辰・会津戦争を戦い抜き、鶴ヶ城に籠城した際には男装して銃を携え、見事な射撃の腕前を見せたという八重さん。勇ましい女性だが、奮戦むなしく会津藩は敗れ、賊軍となってしまう。傷心の八重さんは戦後、兄の山本覚馬さんを頼って京都に行き、そこで新島襄先生と出会う。


その新島先生は、山本覚馬さんから譲り受けた旧薩摩藩邸の敷地に同志社を設立されるが、当時の京都には3500のお寺と2500の神社、僧侶だけでも8000人はいたというから、ヤソ(耶蘇)教の学校ができるという噂に猛烈な反発と反対があったようだ。


新島先生がそれを乗り切れたのは、八重さんが居られたからだろう。布教や寄付を募るため旅に出ることの多かった新島先生の留守を守ったのは八重さんで、その姿が鶴ヶ城での八重さんと重なった。新島先生も八重さんも自分の信念や夢のために生涯を通して戦い抜かれた方だ。私も少しは同志社で学んだ意地を見せないと、お二人から叱られそうだ。