もう10年も20年も会っていないのに、直ぐに電話できそうなほど、その人のことを近くに感じられる・・それが年賀状の良いところだと思う。この賀状を下さった方とは仕事を通じて知り合ったが、互いに元ラグビー選手だと分かり、一気に親しくなった。

賀状

過去をふり返らず、
未来を夢みず、
ただひたすらに「今」を生きる。

道元は1200年の生まれとあったから、この言葉は800年の時を経て今に伝えられている訳だ。それくらい、いつの時代も人々の共感を呼び、そして挫折させてきたのだろう。寺山修司さんも「振り返るな、振り返るな、後ろには夢がない」という言葉を残しておられるが、そう気付くまで何度も過去を振り返られたのかも知れない。又、イエス・キリストは「明日のことは思いわずらうな」と教えられたが、これも難しい。こちらは2000年前の言葉だから、どうやら人間というのは過去にも未来にも捉われるものらしい。

そこで、いろいろ考えたのだが、過去からも未来からも自由になれる方法があるとすれば、それは「今」を楽しくすることではないか。今が楽しければ「ここで時間を止めてくれ」と私は希望するだろう。その瞬間は過去のことも未来のことも考えず、「今」を生きているように思うが、どうだろう。
ケビン・コスナー主演の「13デイズ」は、1962年10月のキューバ危機を取り上げたものだ。私が7歳のときに実際に起こった事件で、第3次世界大戦に至る危険性もあったのだという。そんなことも知らず、毎日野球に興じていた私は何とお気楽で幸せだったのだろうと思う。

13デイズ

ひょんなことから、アメリカには戦争への準備態勢を5段階に分ける米国防総省の規定があることを知った。デフコン(DEFCON) と呼ばれる規定で、「5」が平時、「4」で情報収集と警戒態勢の強化が指示され、「3」になると米軍の使用する無線が機密コールサインに変更される。1973年の第4次中東戦争時と2001年9月11日の同時多発テロの際にはこの「3」が発令されたと聞くと急に現実味を帯びる。これが「2」になると最高度に準じる防衛準備状態と規定され、まさにキューバ危機の際に発令されている。B52爆撃機が空中に待機していたというのだから、何とも恐ろしい話だ。

では、「1」はどういう状態か。ウィキペディアによると「最高度の準備。これまで用いられたかどうかは不明だが、米軍や米領土に対する外国軍による攻撃があった場合と規定され、核兵器の使用が許可されることもある」とのことだから、平たく言えば米軍による反撃で第3次世界大戦が勃発し、万一、核兵器が使用された場合には世界の終わりが来るということだろうか。

「抑止力」を英語では "deterrence" というらしい。"deter" という他動詞の名詞形のようだが、"deter" は「怖がらせたり、挫けさせたりして人が~するのを阻む、思い留まらせる」という意味だから、相手も持ってしまうと抑止力にはならないということだろう。そう考えると、相手を怖がるより、使ったらどうなるかを怖がることこそ求められているということか。






道徳教育が早ければ2018年度に教科化されるそうだ。背景にはイジメの問題や家庭の崩壊など深刻な社会問題があるとのことだが、一方では、教科化された場合にどうやって成績評価を行えば良いのかという困惑の声が、道徳を担当する担任の教師から届き始めているらしい。確かに、点数化するには無理があるだろう。

そもそも、道徳とは何なのか?辞書によるとこうだ。「人が善悪をわきまえて正しい行動をなすために守り従わねばならない規範の総体」、そして「外面的、物理的強制を伴う法律とは異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理」。ついでに和英辞典で調べると、英語では "morals" とあった。なるほど、要するに「モラル」か。

私が気になるモラルの低下はいずれも電車の中で感じることだが、①脚を組んだり投げ出したりしている、②老人に席を譲らない、③飲み食いをしている、の3点だ。ただ、どうやら感じ方には温度差があって、②は許せないが①と③は私もしているという人がいるからややこしい。さて、どうするか?

私が担任の教師なら、「電車の中で老人に席を譲る人と譲らない人がいます。これをどう思いますか?」と子供たちに投げ掛けてみたい。これに対して、「席を譲る人はエライと思います」とか「自分が疲れているときは譲りたくありません」とか「一度譲ろうとしたら、次の駅で降りるからいいと言われました」とか「私は老人じゃないと叱られました」とか、さまざまな意見が出れば面白い授業になるように思う。

要するに道徳に求められるのは、「周りの人はひょっとすると自分とは違う意見を持っていたり感じ方をしているかも知れない」という謙虚さを持つこと、更には、相手の立場からみればどう見えるのだろうという異なる視点を持つことの大切さを教えることではないか。善悪を判断するのは意外に難しい。それより、自分は間違っているかも知れないという謙虚さや、違う見方もある筈だという冷静さを持つことの方が円満で配慮に満ちた社会を作り上げるように思う。

黒豆大福
仙太郎の「黒豆大福」
私の大好物もある人には肥満の敵、別の人は無関心、好き嫌いと価値基準の押し売りはいけません(^O^)/