ドイツのジャン・パウルという小説家(1763~1825)がこんな言葉を残していた。

「人生は一冊の書物に似ている。愚かな人たちはそれをパラパラとめくっていくが、賢い人間は念入りにそれを読む。なぜなら、彼はただ一度しかそれを読むことができないことを知っているから。」

私はパラパラとめくっていくどころか、読めない漢字があればそこを飛ばし、つまらないと思えばそこを読まずに先に進み、更には、読んだ内容を忘れて同じ失敗を繰り返したりと、それはそれは乱暴な読み方をしてきたように思う。

幸い、これまでの人生は登場人物に恵まれ、私の代わりに読んでくれる人がいたり、優しく内容を解説してくれる人がいたりして大いに助けられたが、これからは私自身の努力で念入りに読んでいかねばならないと思う。

本来なら、他の書物にも頼り甲斐のある登場人物として顔を出さねばならないところだが、先ずは自分の書物の中で揺るぎない主役の座を築かないと(笑)
楽しい時間が増えた理由はもう一つある。
多分、限りがあることを知ったからだ。

朝のジョギングで公園を走っていると、6時半からラジオ体操をしているグループを見掛ける。私より年上の人たちだから、「お元気で何よりです」みたいな敬老精神で眺めていたが、あと10年、20年もすれば私もあのグループに入っていることに気付いた。

「意外に早いぞ!」
「いつまでこうして走れるのだろう?」
「いずれは腰も曲がるのか?」

そんなことを考え始めたら、夜明けの美しい情景が一層美しく貴重なものに見えてきた。走り終えたあとの満足感も前より強くなった。走りながらすれ違う人にも朝の挨拶ができるようになった。自宅に戻ると玄関や家の前の掃除までするようになった。全部ささやかな変化だが、同じ時間帯を前より濃密に、貪欲に過ごしているように思う。寿命が200年なら、今頃もっとダラダラ過ごしていたかも知れない。限りがあることを知って、良いこともあるのだ。

こんなに寒い中、きれいに咲いている花を見るといじらしくなる。

シクラメン

そして、そんなに寒い中、早起きして頑張った自分もいじらしく思えてきて、ついついご褒美を与えてしまう。

仙太郎

今年も「花より団子」健在(^O^)/
幸せの定義は何か。10人に聞いたら10通りの答えがあるだろうから、私の思う定義も遠慮なく言える。ボル7の定義はこうだ。
「楽しい時間が楽しくない時間より長いこと」
どうだ!(^O^)/

最近楽しい時間が増えた。ただ、面白いことに生活そのものは変わっていないから、楽しいかどうかは多分に意識の問題だと思う。例えば朝のジョギングだが、以前は義務感が強く、楽しむどころではなかったが、最近は夜明けの美しさに魅入られ、それを見るのが楽しみになった。

夜明け3

日によって光の色と強さが違う。

夜明け11

雲が有ると無いでも表情が異なる。

夜明け14

夜明けも「十人十色」(^-^)/

夜明け19

夜は必ず明ける。はいっ('-^*)/

夜明け18

以前より呼吸は苦しいし、登り坂になると足が前に進まない。それでも、寝床を抜け出すスピードだけは早くなった。だから、楽しいかどうかを決めるのは、その行為ではなく意識だと私は思う。

夜明け 木