「目からウロコ」
辞書には、これまで理解できなかったことが急に分かるようになることの例え、とある。
「逆鱗」が韓非子に出てくる言葉だから、「目から鱗」もてっきり中国のことわざだと思っていたら、これが何と新約聖書に出てくる逸話だった。使徒行伝の第9章、イエス・キリストの教えに批判的で、その信者達に迫害を加えていたという盲目の男性が登場する。その男性の目をイエス・キリストの弟子が開き、その目を見えるようにする。その際、男性が「目からウロコのようなものが落ちた」と言ったことから、誤りを悟り、迷いから覚める意味として「目からウロコ」が使われ始めたらしい。
同じく聖書から出てきたことわざに「豚に真珠」がある。これも意外な気がしたが、新約聖書のマタイ伝第7章に「真珠を豚に投げてはならぬ」という言葉が出てくる。値打ちの分からぬ者に価値のあるものを与えても意味がないということわざだが、同じ意味のことわざに「猫に小判」と「馬耳東風」がある。前者は上方(京都)いろはかるたが出典、後者は李白の詩に出てくる言葉だというから、古今東西、人間というのは同じようなミスを繰り返し、その悔しさから万人に理解できる上手い例えができ、それぞれの地で人々により言い伝えられてきたのだろう。どんなに科学技術が進歩しても、人間にはそういう変わらぬ部分もあるらしい。面白い。正に「目からウロコ」。
辞書には、これまで理解できなかったことが急に分かるようになることの例え、とある。
「逆鱗」が韓非子に出てくる言葉だから、「目から鱗」もてっきり中国のことわざだと思っていたら、これが何と新約聖書に出てくる逸話だった。使徒行伝の第9章、イエス・キリストの教えに批判的で、その信者達に迫害を加えていたという盲目の男性が登場する。その男性の目をイエス・キリストの弟子が開き、その目を見えるようにする。その際、男性が「目からウロコのようなものが落ちた」と言ったことから、誤りを悟り、迷いから覚める意味として「目からウロコ」が使われ始めたらしい。
同じく聖書から出てきたことわざに「豚に真珠」がある。これも意外な気がしたが、新約聖書のマタイ伝第7章に「真珠を豚に投げてはならぬ」という言葉が出てくる。値打ちの分からぬ者に価値のあるものを与えても意味がないということわざだが、同じ意味のことわざに「猫に小判」と「馬耳東風」がある。前者は上方(京都)いろはかるたが出典、後者は李白の詩に出てくる言葉だというから、古今東西、人間というのは同じようなミスを繰り返し、その悔しさから万人に理解できる上手い例えができ、それぞれの地で人々により言い伝えられてきたのだろう。どんなに科学技術が進歩しても、人間にはそういう変わらぬ部分もあるらしい。面白い。正に「目からウロコ」。