日本生産性本部が毎年、新入社員の特徴を「○○型」と名付けて発表している。これが実に面白い。素晴らしいセンスだと感心するのは、その頃話題になったり人々の関心を集めたものを命名に利用し、その特徴を新入社員に面白おかしく重ね合わせることだ。
例えば、2009年は「エコバッグ型」だが、「折り目正しく小さく畳めるが、使う時にはちゃんと広げる(育成する)必要がある」と解説し、2010年の「ETC型」では「直前まで心のバーが開かないから、性急に関係を築こうとしてはいけない」としている。笑わせてくれる。
さて、今年の新入社員だが、「自動ブレーキ型」とのことだ。その理由だが、「知識豊富で敏感、壁にぶつかる前に活動を終了するという安全運転の傾向がある。安心感はあるが、馬力不足との声もある」とのこと。これも面白い。
新入社員を○○型と決め付ける乱暴さに反対する意見もあるようだが、私はその年その年の世相を反映させたものとして楽しめば良いように思う。人の性格は血液型や星座の数でもカバーし切れないし、一人ひとり顔が違うように性格も違う。そもそも、新入社員など通過点で、その後も人生は50年60年と続くのだから、新入社員も一緒になって一笑に付せば良い。
因みに、私が新入社員だった1978年は「カラオケ型」で、「伴奏ばかりで他と音程が合わない。不景気な歌に素直」という解説だった。そう呼ばれた新入社員も来年には多くが還暦を迎える。「伴奏だけは何とかできたが、最近は音程が狂う。時に勝手に止まる」と言われないようにしないと(笑)
例えば、2009年は「エコバッグ型」だが、「折り目正しく小さく畳めるが、使う時にはちゃんと広げる(育成する)必要がある」と解説し、2010年の「ETC型」では「直前まで心のバーが開かないから、性急に関係を築こうとしてはいけない」としている。笑わせてくれる。
さて、今年の新入社員だが、「自動ブレーキ型」とのことだ。その理由だが、「知識豊富で敏感、壁にぶつかる前に活動を終了するという安全運転の傾向がある。安心感はあるが、馬力不足との声もある」とのこと。これも面白い。
新入社員を○○型と決め付ける乱暴さに反対する意見もあるようだが、私はその年その年の世相を反映させたものとして楽しめば良いように思う。人の性格は血液型や星座の数でもカバーし切れないし、一人ひとり顔が違うように性格も違う。そもそも、新入社員など通過点で、その後も人生は50年60年と続くのだから、新入社員も一緒になって一笑に付せば良い。
因みに、私が新入社員だった1978年は「カラオケ型」で、「伴奏ばかりで他と音程が合わない。不景気な歌に素直」という解説だった。そう呼ばれた新入社員も来年には多くが還暦を迎える。「伴奏だけは何とかできたが、最近は音程が狂う。時に勝手に止まる」と言われないようにしないと(笑)
思い通りに仕事がはかどらないときや、自分の思うところが周りから理解されていないと感じたときは少なからず落ち込む。しかし、こちらも慣れたもので、そういうときのために先人が残してくれた味わい深い言葉をいくつも手帳に書き写してある。今夜、私を励ましてくれた言葉はアインシュタインのものだ。
「いかなる問題も、それを作り出した同じ意識によって解決することはできません」
例えば、多くの核兵器を作り出してしまったものが「恐怖心」や「不信感」なら、これら以外の新しい意識を持たないと核兵器削減や廃棄の話など到底無理・・・そういう意味だろうか。
では、私の仕事には契約書が付いて回るが、契約書を作り上げたものは何なんだろう。共通の利益への期待か、相手の変心への恐怖か、はたまた、相手を拘束しておきたいという願望か。ともあれ、契約書の果たしてきた役割が大きく、人々に支持されてきた存在価値があるからこそ今も契約書が重宝されるのだろうが、契約書の弊害のようなものもあるように思う。
例えば、状況が大きく変化してしまい、契約書の前提条件が意味をなさないか、又は当事者の一方が非常に不利になった場合でも、簡単に条件を変えられなくなっていることが多い。又、中には契約書を結んだ瞬間から過剰な安心感に浸り、努力を怠ってしまう当事者が出てきたのに、簡単には契約を切れないということもあるだろう。
そんなことを考えていたら、紳士協定と言われる口頭による契約や約束事など、頼りなくてアテにはならないと決め付けてきたが、考えようによっては、口頭による約束事で済む間柄ほど強い信頼で結ばれたものはないし、口頭による約束事ほど周りの状況に応じて簡単に変えられるものもないと思えてきた。
契約書で解決できなかった問題を契約書で解決しようとすればするほど、契約書は益々詳しく物事を定め、それを読む当事者は更に疑心暗鬼になって契約書に頼る・・・そういうこともあるように思う。私も何度か契約書に救われてきた口だが、昔、上司から教わった通り、「良くできた契約書より、良くできた相手を探す方が大事」なんだと思う。
「いかなる問題も、それを作り出した同じ意識によって解決することはできません」
例えば、多くの核兵器を作り出してしまったものが「恐怖心」や「不信感」なら、これら以外の新しい意識を持たないと核兵器削減や廃棄の話など到底無理・・・そういう意味だろうか。
では、私の仕事には契約書が付いて回るが、契約書を作り上げたものは何なんだろう。共通の利益への期待か、相手の変心への恐怖か、はたまた、相手を拘束しておきたいという願望か。ともあれ、契約書の果たしてきた役割が大きく、人々に支持されてきた存在価値があるからこそ今も契約書が重宝されるのだろうが、契約書の弊害のようなものもあるように思う。
例えば、状況が大きく変化してしまい、契約書の前提条件が意味をなさないか、又は当事者の一方が非常に不利になった場合でも、簡単に条件を変えられなくなっていることが多い。又、中には契約書を結んだ瞬間から過剰な安心感に浸り、努力を怠ってしまう当事者が出てきたのに、簡単には契約を切れないということもあるだろう。
そんなことを考えていたら、紳士協定と言われる口頭による契約や約束事など、頼りなくてアテにはならないと決め付けてきたが、考えようによっては、口頭による約束事で済む間柄ほど強い信頼で結ばれたものはないし、口頭による約束事ほど周りの状況に応じて簡単に変えられるものもないと思えてきた。
契約書で解決できなかった問題を契約書で解決しようとすればするほど、契約書は益々詳しく物事を定め、それを読む当事者は更に疑心暗鬼になって契約書に頼る・・・そういうこともあるように思う。私も何度か契約書に救われてきた口だが、昔、上司から教わった通り、「良くできた契約書より、良くできた相手を探す方が大事」なんだと思う。
