こういう文章を読むと、プロの作家というのは日常の中から真理を探し出す感受性に長け、それを平易な言葉で無駄なく分かり易く書くことのできる能力とセンスをに恵まれた人なのかなと思う。

「美しく生きるには」
晩年に美しく生きている人というのは、できればごく自然に、それができなければ歯を食いしばってでも、一人で生きることを考えている人である。

「納得して死ぬために」
何歳で死のうと、人間は死の前に、二つのことを点検しているように思われてならない。一つは自分がどれだけ深く人を愛し愛されたかということ。もう一つは、どれだけおもしろい体験をできたか、である。それが人並み以上に豊かであれば納得して、死にやすくなる。

蝶々

優雅に花の間を行き交うように見える蝶も、実は歯を食いしばって、孤独と闘いながら生きているのかも知れない。又、「二つの点検」が人を深く愛し愛されたこととおもしろい体験とは意外だが、それが事実なら私にも人並み以上に豊かにできる可能性がある。二つの点検が富と名声でなくて良かったぞ(笑)
曽野綾子さんの「引退しない人生」を読んでいる。

曽野綾子さん

立ち読みしていて、最初に開いたページ(文庫版の前書き)に次のような言葉があった。

「運動選手は、まだ若いうちに第一線を引退する。四十歳未満で現役の選手生活を止める人はごく普通だろう。あらゆる職種が、その仕事に適した年齢、限界の年齢というものを持っている。しかしその後の長い人生を『人間として』生きる。この部分が実は大切なのだ。余生などという言葉で済むものではない。」

この「運動選手」という言葉に目が捉えられ、全くその通りだ、何をするにも限界の年齢があるはずだと考えた。しかし、人生に引退がないなら、曽野綾子さんはどう生きろとおっしゃるのだろう。そう思って、パラパラとページをめくってみると、「冒険は老年の特権」というタイトルのエッセーが出てきた。

「年を取るということは実にすばらしいことだ。雑学も増える。少々危険なところへ行っても、もうそろそろ死んでもいい年なのだから、自由な穏やかな気分でいられる。冒険は青年や壮年のものではなく、老年の特権だという私の持論はなかなか人には納得されないが、私はおかげでおもしろい生活をし続けている。」

この一文に勇気を得た私は、その場で本を購入して読み始めた。私自身は自分のことをまだ「もうそろそろ死んでもいい年なのだから」とは思えないが、冒険を恐がる老年にはなりたくない。がんばるぞ!(^O^)/
インドの友人が「親と子」をテーマにした写真を送ってきてくれた。プロのカメラマンが撮影したものだろうが、動物たちが見せる親子の愛情に心温まる思いがした。

鳥1
(子供にとり、こんな安心な場所はないだろう)

鳥2
(最初は新種の鳥かと思った・笑)

鳥3
(後部座席の子供たちみたいだ)

トラ
(猛獣でも子供は可愛いらしい)

ライオン
(子供が歩き始めると嬉しいが心配が増える)

熊

一番、気に入ったのはこの熊の親子だ。私なら、「息子に立ちシ●ンを教える父親」というタイトルを付けたいところだ(笑)