パリの街中で見慣れない看板を見付けた。

ホタテ貝

写真に収めてから、一緒にいたフランス人の青年に何の看板なのかを尋ねた。言葉の壁を乗り越え、彼が話す壮大な歴史物語の一端を理解した。

杖を持って歩いているのは、スペイン・ガリシア州にある「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」という町に向かう巡礼者、その下に描かれているのはホタテ貝だ。なぜ、ホタテ貝なのかと聞いたら、こういう答えが返ってきた。

スペイン語のサンティアゴは日本語では聖ヤコブと訳される、イエスキリストの弟子の一人を指すが、この聖ヤコブの遺体が9世紀にこのサンティアゴ・デ・コンポステーラで奇跡的に発見されたらしい。それ以降、この地はローマ、エルサレムに並ぶ三大巡礼地になって行くが、サンティアゴはフランス語でホタテ貝を意味する「サンジャック」とのこと。すなわち、ホタテ貝は聖ヤコブの貝でもあるのだ。聖ヤコブはガリラヤ湖畔で漁師をしていたところ、イエスキリストに出会い、その弟子になっているから、ホタテ貝は聖ヤコブを象徴する貝になっていったのだろう。今も巡礼者は荷物にホタテ貝の殻をぶら下げ、巡礼者であることを示す。そして、このホタテ貝の看板を掲げているのは、そういう巡礼者に宿や食事を提供する信徒や組織であるという印なんだそうだ。

さて、フランスからサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かうにはピレネー山脈を越える必要があるとのこと。決して楽な巡礼路ではなく、イベリア半島に入ってからも800kmの行程があるそうだが、今も年間10万人の巡礼者があるらしい。巡礼者にも、それを支える信徒の人たちにも信仰の力を感じさせられる話だった。

青年は、その後、自分が洗礼を受けたという教会に案内してくれた。仏教徒の私だが、胸の前で手を合わせ、家族や友人の安全と健康を祈った。

教会
パリに住む娘を訪ねた。

これまで仕事でしか訪問したことのないパリで、歩いたという記憶が全くなかったのだが、今回はとにかく良く歩いた。「日本人旅行者は狙われやすいから気を付けてね」と注意されたのだが、目から入る情報が新鮮で、キョロキョロしてしまった。

道路標識1
(古今東西を問わず、矢印はその先にあるものを示すことになっている)

道路標識2
(言葉は理解できないが、車の長さを規制したり、レッカー移動を警告するものだと分かる標識)

道路標識3
(歩行者向けの標識。微妙な角度の違いが面白かった)

道路標識4
(愛犬家にふんの始末を呼び掛けているらしいと分かる標識)

道路標識5
(自転車専用の道路。そうと分かるまで堂々と歩いていた)

道路標識6
(入って良いのか悪いのか分からない標識。しかも、20kmの制限速度が歩行者にも付いているのだろうか?)

道路標識7
(思わず吹き出した標識に見せかけたジョーク)

そんなこんなで標識ばかり気になって見ていたら、路地でこんなものを発見した。これは一体なんだったんだろう?

道路標識8
60代、70代を対象として書かれた本だから、他人事ではなく耳に痛い話が頻繁に出てくる。

「くれない族」の老化度

自分の精神がどれほど老化しているかを量るには、どれくらいの頻度で「くれない」という言葉を発するかを調べてみるといい。友達が「してくれない」。配偶者が「してくれない」。政府が「してくれない」。ケースワーカーが「してくれない」。他にも娘や息子や嫁や婿や姉や兄が「してくれない」を連発する年寄りはいくらでもいる。だからそういう人のことは「くれない(紅)族」と呼んでいいだろう。
この精神的老化は、実年齢とほとんど関係がない。二十代でも、三十代でも、男でも女でも、この言葉を口にする人は老化がかなり進んでいる。だからこういう人に対しては、相手が青年でも壮年でも「おじいちゃん」とか「おばあちゃん」とか呼んでいいだろう。

●ボル7の決意:
「してくれない」と感じた時は、私なら当然できると思われているのだ。ならば、期待に応えて軽々とやってみせましょう、と思う。どうだ?(笑)

「公害」に気をつけて

服装に関心がないのはこの頃間違いだと思うようになった。若い人はまあいいとしても、お見苦しいお年寄りが、身なりに気を使わないなんて「公害」である。そして都会というところは本当はだらしなくしていたい絶対多数の怠け者にも、否応なしに少しばかりの緊張を強いるところなのである。

●ボル7の決意:
我が家の手厳しい娘たちが一緒に出掛けた際、どれくらい私と距離を開けるかで公害度をチェックする。一緒に出掛けるのを拒否されたときは・・既に公害なのだから拡大しないよう自宅謹慎する(笑)