高尾山に登った。
冬は空気が澄んでいて富士山が綺麗に見える・・筈だったが、雲に隠れていて見えなかった。

富士山見えず

それが悔しかったので、もう少し歩いてみようと景信山に向かった。高尾山からだと最初に急な下り階段を降りることになるのだが、降りたところで足を滑らせた。どうやら、霜柱と残雪が土に溶け出して泥濘になっているようだ。

「これは戻るべきだ」と知性は言うのだが、つい今しがた降りてきた「急な階段を登るのは嫌だ」と心臓と肺と膝と腰が言う。結局、知性が負けてそのまま行くことにしたが、多分、へっぴり腰の見本のような姿勢だったと思う。しばらく行くと相模湖が見えた。

相模湖

相模湖は相模川を相模ダムで堰き止めて造った人造湖とのこと。相模ダムが完成したのは終戦から僅か2年の1947年だというから、日本は戦後すぐに力強い足取りで歩み始めた訳だ。それに比べて今日の私のおぼつかない足取りはどうしたものか。酔っ払いよりひどい(笑)

残雪

何とか頑張って景信山まで来てはみたが、頂上には雪が積もっているし、所々アイスバーン状態でツルツル滑るし、今回ばかりは知性も心臓も肺も膝も腰も「下山」で一致。ぬかるむ道を慎重に一歩一歩降りて行った。

青空

途中、青空が綺麗なことに気付いた。考えてみると、今日はずっと下ばかり見て歩いていたな(笑)
勤務先で「60歳の誕生日を迎えた月の最終日に定年退職となる」と聞いた。そうすると、私は今年の7月5日に60歳の誕生日を迎えるから、7月31日付で定年退職になる訳だ。何の根拠もなく定年退職は来年3月末日だと決め付けていた私としては、少々面食らうこととなった。

不思議なもので、定年まであと半年余りだと思うと、俄然、気合いが入る。交渉中のビジネス案件は出来るだけ早くまとめよう。重要取引先には早めに訪問して伝えよう。同僚に引き継げるものはどんどん引き継ごう。撤収すべき案件は出来るだけ私の手で片付けよう。

定年が80歳だったら、とてもこんな気持ちにはならなかったろうから、やはり物事には終わりがあった方が良い。更に言えば、その終わりをどのような形で迎えるかにその人の生きざまが出るだろうから、朝のジョギングに出掛けるときのように、身軽にしておきたいものだ。

複数の会社で働いてきたが、今の勤務先ではずいぶん面白い仕事をさせて貰った。野球に例えると盗塁、ヒットエンドラン、まぐれ当たりのホームランがあった反面、逆転サヨナラ負けのエラー、三球三振、そして、今思い出してもアタマに来るデッドボールがある。

得失点を見ると5対5の同点というところか。何とか6対5の辛勝で終えたいと思う。

flower
(花にも枯れるときがくるから、こうして写真に収めたくなるのだろう)
毎日新聞1月14日付け朝刊の記事から。
「文科省が大学入試改革の一環で各大学に対し、入学者の受け入れ方針や卒業させる学生像を明確に定めた卒業方針の策定を義務付ける方針を決めた」。

要は、大学の入口では重視する能力等を明示し、入学して欲しい学生像を示す。一方、出口では学生が身に付けるべき学問やスキルを示すことで社会に送り出す卒業生像を示す、ということらしい。狙いは大学生の質や学力を向上させることにあるようだ。

大学改革

私立の大学には各々「建学の精神」があり、脈々と受け継がれてきた校風や文化がある。そういうスクールカラーをより分かりやすく打ち出せることにつながるなら意味があると思うが、大学を見る視点や基準が画一化されたり固定化されると、却って各大学の変化や進化への試みを阻害するようにも思う。

そんな意見を商談の席で偉そうに語っていたら、「ボルさんはどんな学生時代を送られたのですか?」と尋ねられた。「私ですか?」と応じながら40年前の記憶を辿ったが、私は校舎よりラグビーグランドにいた時間の方が圧倒的に長かった。それでも4年で卒業できたのだから、時代が良かったとしか言いようがない。

これから大学を目指される高校生の皆さん、入学や卒業が難しくなるとしたら、その責任の一端は私にあるかも。ごめんなさい!((((((ノ゚⊿゚)ノ