宮地先輩がダッシュしてN村のもとに駆け寄られる様子を見て、誰もがこう思った。

「宮地先輩はあんな怖い顔をしたはるけど、ホンマは優しい先輩なんや。」

牛殺しの練習で少しすさんだ気持ちになっていた私など、その様子を見て感激し、ちょっとウルッとまでしてしまった。

ところが、宮地先輩はと言うと、倒れていたN村の傍らをサッサと通り過ぎると、そのままゴールポストまで駆け寄り、ちょうどN村が頭をぶつけたゴールポストのポールを手でさすると、「おおっ、ゴールポストは大丈夫や!」とおっしゃったのだ(笑)

これには練習を見ておられたOBが大笑い、その後、一瞬間が空いて、私たちも大笑いしてしまった。不思議なもので、暗かった雰囲気がガラッと変わり、新たな気持ちで練習を再開できたことを覚えている。今になって思えば、嫌々練習している私たちに気付き、宮地先輩は誰も傷付かない方法で「喝」を入れられたのだろう。

多くのOBと接し、私自身もOBとしては年長者の部類に入ってきたが、同志社のOBの中で一番愛情豊かで人に優しいのは宮地先輩だと思っている。

rugby golepost
毎日新聞の夕刊に宮地克実先輩のインタビュー記事が掲載されていた。

宮地先輩

宮地先輩は大阪の四条畷高校から同志社に進学された名プロップで、大学3年のときにはNHK杯で優勝し、日本一を経験されている。ジャパンでは選手としても監督としても活躍され、第一回のワールドカップではジャパンの監督を務められた。

そういう素晴らしい実績をラグビー界に残された先輩だが、私たちの学年には忘れられない思い出があり、今も宮地先輩の話になると誰かがこの思い出を語る。あれは大学3年生の夏合宿、菅平で当時「牛殺し」と呼ばれた生タックルの練習をしていたときのことだ。

この牛殺しというのは、ゴールに向かいボールを持って走る一人の選手に縦一列に並んだ数人の選手が順番にタックルに入り、その前進を阻止するのだが、ボールを持つ選手がゴールに辿り着くまで延々と繰り返されるので、非力な選手はゴール前で力尽きてしまう。その様子から牛殺しと命名されたのだろう。

事件は同級生のN村がボールを持ち、ゴールに向かって突進していたときに起こる。N村は今まさにゴールラインを超えてトライしようというときに強烈なタックルを受け、そのままゴールポストに頭から激突してしまう。打ちどころが悪かったのか、N村はもんどり打ってゴール前に倒れこんでしまったのだが、それを見ていた宮地先輩がダッシュしてN村のところに駆け寄って来られた。

(続く)
下戸の「戸」は律令制の最小課税単位で、家族の人数や資産によって大戸、上戸、中戸、下戸という4段階に振り分けられていたとのこと。たまたま婚礼時の酒の量が上戸の場合は8瓶、下戸は2瓶と定められていたことから、お酒をたくさん飲める人を上戸、お酒が少ししか飲めない人のことを下戸と呼ぶようになったらしい。すなわち、当時はお酒が飲みたくても、多分、家族や資産の少ない下戸は思う存分お酒を飲めなかったのだ。可哀想な下戸(笑)

下戸にまつわることわざを調べていたら、「下戸の建てた蔵はない」というのが出てきた。下戸はお酒が飲めないのだから酒代が貯まりそうなものだが、下戸には人付き合いが良くない堅物というイメージがあり、そこから世渡りも下手、商売も下手という意味になったのだろう。あぁ、やっぱり可哀想な下戸(笑)

日本酒
(明治神宮に飾られた樽酒)

更にことわざを調べていたら、「下戸の肴荒らし」というのが出てきた。お酒の飲めない下戸が酒の肴を片っ端から食べて荒らす様子をからかったもので、そう言えば私も「アテ(肴)食いのボル」と良く非難された。しかし、下戸は酒席で手持ち無沙汰になり、ついつい食べる方に回ってしまうのだから仕方ない。

だから、下戸の皆さん、私たち下戸を酒席に誘う場合は、きれいなお姉さんがいるところに限定してくれと要求しましょう。私もそういう場所なら肴には手を出さない(笑) で、多分、こういうことわざが出来る。

「下戸の無いものねだり」
「下戸の身の程知らず」
「下戸のオンナ好き」

負けないぞ!(笑)