毎日新聞の夕刊に宮地克実先輩のインタビュー記事が掲載されていた。

宮地先輩

宮地先輩は大阪の四条畷高校から同志社に進学された名プロップで、大学3年のときにはNHK杯で優勝し、日本一を経験されている。ジャパンでは選手としても監督としても活躍され、第一回のワールドカップではジャパンの監督を務められた。

そういう素晴らしい実績をラグビー界に残された先輩だが、私たちの学年には忘れられない思い出があり、今も宮地先輩の話になると誰かがこの思い出を語る。あれは大学3年生の夏合宿、菅平で当時「牛殺し」と呼ばれた生タックルの練習をしていたときのことだ。

この牛殺しというのは、ゴールに向かいボールを持って走る一人の選手に縦一列に並んだ数人の選手が順番にタックルに入り、その前進を阻止するのだが、ボールを持つ選手がゴールに辿り着くまで延々と繰り返されるので、非力な選手はゴール前で力尽きてしまう。その様子から牛殺しと命名されたのだろう。

事件は同級生のN村がボールを持ち、ゴールに向かって突進していたときに起こる。N村は今まさにゴールラインを超えてトライしようというときに強烈なタックルを受け、そのままゴールポストに頭から激突してしまう。打ちどころが悪かったのか、N村はもんどり打ってゴール前に倒れこんでしまったのだが、それを見ていた宮地先輩がダッシュしてN村のところに駆け寄って来られた。

(続く)