同級生の七回忌に参列すべく、奈良まで行ってきた。ラグビー仲間が7名、ご親戚が二十数名、合計30名程の法事だったが、全員でお経を読み、その後は場所を変えて食事をご一緒し、同級生の思い出を語っては笑い、変な言い方だが賑やかな法事になったように思う。生前、賑やかで笑いの絶えない場が大好きだった同級生だから、「お前ら相変わらずアホやけど許す」と苦笑しながら見ていたような気がする。

お経
(お坊様から手渡されて一緒に読んだお経)

私たちを出迎えたお父さんは同志社のラグビージャージを着ておられた。「今日はこれを着てるねん。遠いとこ良う来てくれた。おおきに」と一人ひとりと泣きながら握手されたが、それを見ていて胸がいっぱいになった。又、参列者にはお礼の言葉が掛かれた式次第が配られたが、そこにもラグビー仲間への感謝の気持ちが書かれていた。

言葉

ときどき、「ラグビーをされてた方は本当に仲が良いですよね。どうしてですか?」と言われることがある。そういうときには、「いやいや、嫌われ者が多くて友達が少ないから、ラグビー仲間で仲良くするしかないんですよ」と答えるようにしているが、本当は違う。ラグビーをした人は「痛み」を知る。痛いのは身体だが、その痛みと戦うのは心だ。そういう心が養われ、隣の仲間も同じように戦っているのだと実感できる。ラグビーはそういう痛みを教え、同じ痛みと戦う仲間がいることを学ばせるスポーツなんだと思う。
大学で一緒にラグビーをしていた同級生、N須が亡くなって丸6年経った。同級生の中では一番実務能力が高く交渉力にも長け、何より責任感の強い男だったから、社会に出てからも重宝がられ、又、期待に応えようとして頑張りすぎたのかも知れない。

病に倒れ、亡くなるまでの長い時間を病院と自宅療養で過ごしたが、そういう彼を見舞うことから同級生が自然に集まるようになり、1年に1度は彼を囲んでバーベキューを楽しむのが恒例になった。「N須のお陰でみんな集まれて幸せや」と誰かが言うと、N須は唸るように泣いた。

そのN須が亡くなり、みんなが集まることも無くなってしまった。それを一番寂しく思っておられたのは彼のご両親だろう。間もなく90歳になられるお父さんから手紙が来て、「息子の13回忌は自信がない。せめて7回忌をみんなと催したい」と書かれていた。それを読んでウルッときた。

早速、同級生に連絡し、最も多くの参列が見込める明日の日曜日に、彼の実家がある奈良で七回忌を催すことになった。ご両親とは6年振り、彼の息子とも6年振り、それから、何人かの同級生とも6年振りの再会だ。やっぱりN須のお陰でみんな集まれるのだ。

那須の墓参り

嬉しいことに、明日参列できない同級生二人が信州にあるN須の墓参りに今日行ってくれた。写真が送られてきたが、墓石に同志社ラグビー部のマフラーを巻き、彼の好物だった果物を山ほどお供えしている。何とも賑やかな墓参りだが、写真を見て再びウルッときてしまった。
パリでテロがあったことを知った。パリには三女が住んでいるからギョッとしたが、無事の連絡を受けて心底ホッとした。しかし、連絡の取れない友達が何人かいるという三女は泣きたくなるのをこらえ、友達からの返事を待っているとのことだった。

しばらくして「連絡が取れた!」というメールが三女から来たが、100名を超える多勢の方が亡くなったことを知り、「亡くなった人たちは、みんな明日の予定があり、来月や来年の計画、将来の夢があった人たちだよね。無事だということは本当に有難いことだ。しっかり生きないといけないね」という返事を入れた。

お昼には義理の母が熱を出して病院に運ばれ、診断の結果、肺炎と分かって入院したという連絡を受けた。これも予想外のことで最初は現実味がなかったのだが、お医者様と電話で話す内に現実のものと理解できた。結果として、私が予定していた「明日」も予定通りにはならなくなったが、明日を迎えられるだけで幸せなのだと思う。

バラ