海外出張では取引先と食事になることが多く、ついついご馳走を食べ過ぎてしまう。その結果、太って帰ることが多いので、今回は「食べたら走る」という決意の下、Tシャツと短パンを持参した。ホテルの案内によれば3階にジムがある。よしよし ^^
 
到着した日の夜に早速取引先との会食があり、美味しい食事を頂いた。翌朝、さぁ走るぞと気合いを入れてジムに行ったら、6時オープンの筈なのに人影がない。何か変だと思ったら、改装工事中で数日前から閉鎖されていた。あぁ、このままだと太っちゃう(笑)
 
外を走ることも考えたが、半袖に短パンでは凍えてしまう。こんなことなら昨日訪れたNIKEのショップでジョギング用のタイツと長袖のシャツを買っておけば良かった・・うん? タイツ? 長袖のシャツ? 何とかなるかも、と部屋へ駆け戻り、着替えてみた。これでどうだ?(⬇︎)
 
 
恥ずかしながら、長袖のシャツはパジャマ用に持参したスウェット、タイツはジョギング用ではなくユニクロのヒートテック、要はパッチと呼ばれる下着だ。見る人が見れば陳腐なスタイルだから外に出るのを躊躇していたのだが、思い切って部屋を出た。
 
最初こそ、すれ違う人たちの視線が気になったが、直ぐに私を見ている人などいないことに気付いた。皆さん通勤途上で、今日の仕事のことで頭がいっぱいなのだろう。あぁ、悩んで損をした、こういうのを取り越し苦労というんだなとホッとした瞬間、少し段差のある歩道に躓いて転んでしまった。痛いのを我慢して恐る恐る目を上げると、大きな交差点の手前だったこともあり、信号待ちの人たちが心配そうに見てくれていた。あぁ、恥ずかしい・・・。
 
【今日の教訓】
①思っている程、周りの人は私のことなど見ていない。
②しかし、油断すると失態を演じ、見られたくない姿を見られる。
上海に出張した。
 
伯父は太平洋戦争の最中、上海で亡くなった。京都に幼い3人の子供と妻を残して出征し、どんな気持ちで最後の日々を過ごしたのだろう。想像するだけで胸が痛む。それに比べると、私の訪問目的は商談で2泊3日の滞在と決まっているし、生命の危険を感じるような環境ではない。平和とは本当に有難いものだと思う。
 
その上海で人気があるというショッピングモール、impmに行ってみた。写真はその内側を撮影したものだが、金色に光り輝く内装を見ると、同じアジアの民族でも中国人と日本人では好みや感性が異なることが良く分かる。話し方も、日本人からすると、中国人は声が大きく、時に乱暴に聞こえるから、思わず振り返ったりしてしまう。 
 
 
そういう違いが気になり出すと少し気持ちがザワザワしてくるが、子供を優しく見守る目は中国人も日本人も同じだし、女性に叱られている男性など見付けようものなら、国境を超えて心から同情してしまう。違いを探せば喧嘩になるんだろうから、せいぜい同じところを探し、親しみを感じられる心の余裕を持ちたいと思う。
中学1年生の時に担任だったB先生は、大学を卒業されたばかりの青年教師で、関西人の我々からすると耳に新鮮な標準語を話されるカッコイイ先生だった。微笑みを絶やさず、私たちの話を聞くときは目を真正面から見詰め、折りあるごとに嗜んでおられた和歌をハガキに書いては下さった。
 
36才のとき、たまたま京都に帰省してラグビーのゲームに出場し、アキレス腱を切ってしまった私はそのまま京都の病院で手術を受け、入院してしまったのだが、どこかでその噂を耳にされたのか、B先生がひょっこりお見舞いに来て下さった。暇を持て余していた私はこれ幸いとB先生相手に喋り続けたような記憶がある。
 
それから暫くして、B先生は病に倒れ、帰らぬ人になってしまわれた。年賀状のやり取りこそあったが、全くそのようなことは書いておられず、ついに一度もお見舞いに伺わなかったばかりか、告別式にも行かずじまいで本当に申し訳ないことをしてしまった。最後まで私は子どもで、B先生はそれを気遣える優しい大人だったのだと思う。
 
そのB先生の奥様が、昨日、中学1年生のときのクラス写真を送ってきて下さった。前列中央がB先生、私は最後列の向かって右から3人目だ。以前は、大事な人は亡くなっても「心の中に生き続ける」と言われても実感が湧かなかったが、最近はそれが良く分かる。私が記憶するB先生の年齢を既に超えているのだから、私も優しい大人になろうと思う。