滋賀県能登川にある「止揚学園」の園長さん、福井 生さんが書かれた本だ。止揚学園は知能に重い障害を持つ人たちが共に暮らす家で、福井さんのご両親がそこで働いておられたことから、福井さんもそこで生まれ、障害を持つ人たちと一緒に育っておられる。


福井さんも、そのお父様も同志社の神学部を出ておられ、そんな関係からか、止揚学園の存在は同志社中学時代の恩師から教わり、以後、僅かだが毎年クリスマスに寄付をさせて頂いている。そんなご縁から福井さんの講演を東京で聞く機会があり、この春に出版された本も買わせて頂いた。

本には18のエピソードや人物が出て来るが、読み進むにつれ胸が締め付けられ、目頭が熱くなるのを感じた。関西学院大学の藤井美和教授が学生たちと止揚学園を訪れたときのことを「推薦の言葉」の中に記しておられるが、それが良く分かった。そのまま写させて頂く。
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「言葉にできない」、「ヤバイところに来てしまった」。昨秋、学生たちと久しぶりに訪ねた止揚学園で、その帰り際、彼らが涙しながら語った言葉です。学生たちの見た止揚学園は「障害者施設」ではなく「あたたかい家」でした。私たちは施設の見学者ではなく、お家を訪ねたお客様としてあたたかく迎えて頂きました。食前の祈りを共にし、そば打ち師匠のおそばに舌鼓を打ち、一緒に語り、歌い、楽しいひとときを味わいました。そして帰りには、止揚学園の仲間全員が外に出て、寒い中、一生懸命手を振って見送ってくださいました。「またきてね~」と見えなくなるまで。
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本を読むだけで学生と同じ気持ちになった。多分、止揚学園で暮らす人たちは、私たちをそのまま受け容れてくださる人たちで、私たちはそれを知っているくせに、普段はそういう方々の存在そのものを心の奥底にしまい込み、忘れようとしているのだろう。
学生時代は「思う存分運動するために食べる」だったが、最近は「思う存分食べるために運動する」だ。ジムのインストラクターから、筋肉はアイドリング中のエンジンだ、筋肉を付けるだけで代謝量が増える、と聞かされて以来、大きい筋肉が衰えないよう運動してきた。

しかし、腰痛で運動量が減ると筋肉量も減るだろうし、それ以上に怖いのは能動的な姿勢や意欲が減ることだ。ここは何とか「腰痛でも可能な運動」を探さねばと思う。取りあえず、昨日は久し振りに自転車に乗ってみた。


姿勢が前かがみだから腰が痛くないし、この自転車には変速機など付いていないから、ちょっとした登り坂でも脚に力が入る。これは良いかも。アインシュタインもこんな言葉を残している。

Life is like riding bicycle . To keep your balance you must keep moving.
人生は自転車に乗っているようなものだ。バランスを保つには走り続けねばならない。

人生も走り続けたいから、自転車でその感覚を忘れないようにしてみよう。
ギックリ腰は治ったように思うが、どうも腰が重い・・と感じている内に、朝の通勤電車で立っていることが辛くなってきた。又、階段の昇り降りにも痛みが伴うようになり、流石に心配になって整形外科医の先生を訪ねてみたら、「脊柱管狭窄症」と診断された。脊柱管が狭くなり、神経が圧迫されているらしい。

ショックだったのは、先生に言われるまま前かがみになったら痛みが和らいだことだ。痛みが和らぐのは大歓迎だが、この姿はまるで老人だ(笑) 擦り傷や打撲は慣れっこだったし、アキレス腱を切ったときも鼻を折ったときもちゃんと元に戻ったが、今回は怪我ではなく長年の使用による変形だから簡単に元に戻ることはないのだろう。

如何にも年老いたようで嫌になったが、これは神様から貰った研究テーマだと思ってみることにした。これまで楽しめた運動が難しければ、何か別の運動を探してみよう。運動不足で体型が変わるようなら食べるものや量を見直してみよう。ひょっとすると、ライフスタイルを変えなさいというサインなのかも。


それから、今朝のバイオリン練習では通勤時より長く立っていたのに痛く感じなかったが、痛みが和らぐ時間があるなら探してみよう。ただ、それが仕事をしていないときや美人に囲まれたときだったらどうしよう(笑)  うん、この楽観的な姿勢で臨んでみよう。