経団連が就職活動の指針を撤廃すると発表し、それを批判する声が大学や学生、政府から出ているようだが、私は完全撤廃で構わないと思う。

指針を設けた目的の一つは大学生にきちんと勉強してもらおうということのようだが、例えば大学一年生や二年生の時に様々な企業と交流することで興味深いテーマと出逢い、勉強の意欲が更に湧くこともあるだろう。一方の企業側も、多くの学生と交流できる機会が増えれば、必要な人材をじっくり探せるようになるだろう。

かつては調子の良かった企業でも、人々が必要としなくなるあっという間に倒産するし、調子が良くとも社内で急に不要となる仕事と人材が出て来たり、逆に新たな仕事とそれをこなせる人材が必要になることもある。

かように世の中の変化は速く激しいから、企業としては新人をじっくり育て上げるだけではなく、即戦力の人材を絶えず探し続ける必要がある。そういう意味で、人材に関しては自由で流動性の高い市場を創造すべきだと思うのだがどうだろう。
鍼灸整骨院の先生を訪ねた日から14日目を迎えた。雨の日を除き、毎朝30分から40分のウォーキングを行い、三種類の体操をした後、熱を持った骨盤を氷嚢で冷やし、シャワーを浴びる。そういう朝から始まる生活が続いている。先生には週2回診てもらい、その都度、治療と指導を受けている。

(彼岸花が満開になった)

さて、その効果があったかどうかだが、実に興味深い現象が起きている。例えば、昨日のウォーキングでは20分を過ぎるまで腰の痛みが消えなかった。前日に比べると悪化だ。しかし、その2時間後、通勤のため駅まで歩き始めたら、今直ぐに走れそうなほど楽に歩けるではないか。これは著しい回復。ところが、電車に乗り、真っ直ぐ立った途端、呻き声を上げそうになるほどの痛みに襲われた、という感じなのだ。

それを昨夕の診察時に話したら、先生はニコニコ笑いながら、「ボルさんが歩く姿をビデオに撮ってみましょう」と言われ、先生の前を何度か往復させられた。それを画面で見せて頂くと、画面の左半分に最初の診断時に撮影された私の歩く姿、右半分に先程撮ったものが映し出された。比較すると一目瞭然とはこのことか、左の私は歩く度に肩が大きく左右に揺れ、足が外側に踏み出されているが(いわゆるガニ股)、右の私はその傾向が残ってはいるものの、揺れの幅が小さくなり、足も真っ直ぐ出ようとしている。

要は、私の身体に変化が起き始めたということだろう。痛みが小さくなれば効果、仮に大きくなったとしても、それは良くなる前の前兆、と楽観的に考え、続けてみようと思う。
ジャパン・クラシカ第10回定期演奏会を聴きに行った。最初にモーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」序曲が演奏されたが、解説によるとモーツァルトが31才のとき、締切の前夜から書き始め、徹夜で仕上げた作品とのこと。序曲とは言え、波乱の展開を暗示する聴き応えのある作品だ。これを一晩で書き上げるとは、やはりモーツァルトは天才なのだろう。


そのモーツァルト作曲のピアノ協奏曲第23番イ短調をドイツから招かれたピアニスト、ペーター・レーゼルさんが演奏された。第1楽章はテニスボールが坂道を跳ねながら転がって行くような軽妙さ、一転、第2楽章は静かだが悲しみや不安を感じさせる重々しさ、そして、再び軽快なリズムに戻る第3楽章は全身で喜びを表現するような躍動感があり、同じピアノで良くこんなにも違う情景を描けるものだと感心した。

そして休憩の後、ブラームスの交響曲第1番ハ短調が演奏された。ブラームスのことも、交響曲第1番のことも知らないから、一体どんな曲で、どういう演奏になるんだろうとワクワクしながら聴いたが、第1楽章から第4楽章までそれぞれに特徴があり、ゆっくりコース料理を頂くような満足感があった。

第1楽章はピタリと揃っている絃楽器が見事で、高音のバイオリンや低音のコントラバスを聴いている内にどんどん感情が高まってきた。第2楽章はゆったりと進み、あれはクラリネットなのか、笛の音色が大変美しく、うっとりした。第3楽章は弦楽器のピチカートが出てきたり、大胆にリズムが変わる箇所があったりして、私には新鮮なサプライズとなった。

そして第4楽章だが、何かが近付いてくる足音のようなものを感じていたところにティンパニーが鳴り響いたので、「出た~!」という感じに私はなってしまったが、その後、聞いたことのあるテーマが流れ、リズムが変わり、壮大な響きの中でエンディングを迎えた。

素晴らしい演奏だったと思うが、メンバーの一人ひとりがのびのびと演奏されているように見え、こんなに難しい曲ではないのにのびのびと弾けない自分自身のことを思い、アカン、まだまだ練習が足らん、と反省しながら会場を出た。