土曜日の朝はバイオリンのレッスンに出掛ける。レッスン終了後、先生から「7年目を迎えましたね」と笑顔で言われ、新しいお月謝袋を手渡された。初めて先生のところに伺ったのがゴールデンウィーク中の一日だったことは覚えていたが、それが6年前とは・・・。


最初のレッスンでは、先生から「一緒に弾いてみましょう」と言われ、ドキドキしながら何か簡単な曲を弾いたのを覚えている。43年振りのバイオリンで、上手く弾ける訳などなかったが、あれが壁を越えた瞬間だったのだと今でも思う。もし、先生から長々と説明を受けていたら、私はどこかで尻込みしたかも知れない。

想像と現実の間には壁があり、それを越えるのが怖かったり億劫だったりするが、壁のこちら側も向こう側も現実の世界だし、興味があるなら越えてみる、で良いように思う。そういう壁には必ず非常口があり、そこを開ければ戻って来れるし。お料理教室、ヨガ教室、スカイダイビング・・等ではその非常口を使わせて頂きました(笑)
明石順平さんという弁護士が書かれた本で、アベノミクスに批判的な内容になっている。公表されている資料を元に分析されており、いくつか「ホンマかいな?」と気になる指摘が出てくるが、信憑性があるせいか、未来への不安を払拭できぬまま読み終えた。


その中でも最も気になったのは、リフレ派の経済学者でノーベル賞も受賞しているクルーグマン教授が2015年10月20日に自分のブログに書いていたという、日本の異次元の金融緩和に関する見方だ。

... the problem confronting monetary policy is harder than it seemed, because demand weakness looks like an essentially permanent condition.
(日本の)金融政策が直面している問題は見た目よりも困難だ。なぜなら、需要の弱さは本質的に永続的な状況のように見えるからだ。

要するに、異次元の金融緩和も需要が弱い状況では機能しないという見方だろう。確かに、需要を上回る供給があれば、売上は容易に伸びないし値上げもままならない。そう考えると、クルーグマン教授が永続的と見る人口の減少や、消費者も既に最低限必要なものは持っているという日本の豊かさが経済成長のブレーキになっているように思う。

問題は、そういう状況が日本だけではなく、欧米を含む先進国で広く見られることだろう。円もドルもユーロも経済成長を上回る規模で刷り続けられているのだとすると、いつか精算を求められるときが来るだろうし、それが子や孫の世代なら申し訳なく思う。
高校時代に運動部仲間で始めた忘年会がある。身体は頑強だが、頭の中は空っぽという謙遜から「ピーマン会」と命名され、それが50年近く続いている。

(去年のピーマン会)

そのピーマン会の仲間から昨日メールが入った。メンバーの一人が奥さんを亡くしたというのだ。みんな還暦を超えているし、ご両親が亡くなったなら、まだ順番だからという慰めがあるが、共に生きてきた奥さんが60そこそこで亡くなったと聞くと、どう受け止めれば良いのか分からない。しばし呆然としてしまった。

今朝になり、ともかくお通夜に行こうと決め、新幹線で京都まで行ってきた。奥さんを亡くした親友に「大丈夫か?」と声を掛け、棺の中で眠る奥さんに手を合わせたが、どう気持ちを整理して良いのか分からない。読経が始まり、焼香を済ませ、お坊様が「定命」という生まれるときに約束してきた各々の寿命について話されたのを聞いてもスッキリしない。

そんなまま、東京に戻る新幹線に飛び乗ったが、いずれ私にもそういう時が来るのだと気付いたら、急に気持ちが楽になった。正に遅かれ早かれ私にも定命の時が来る。これは特別なことではなく、みんなにやって来るものなのだ。だから大事なことは、生きているという実感を思う存分味わっておけということだろう。