8月3日(土)に小さなコンサートでバイオリンを弾くことになった。同志社混声合唱団のソプラノ、MKさんから誘われたものだが、出演するかどうか迷ったので、バイオリンを教わっている詩子先生に相談したら、即座に「いいじゃないですか、出ましょう、曲は考えておきます」と3秒程で決まった(笑)


それから2ヶ月、もし出演しないなら練習などしないだろうなという時間帯にもバイオリンを取り出し、積極的に練習に取り組んできたが、上手く弾けないところが出てくると、なぜ出演を決めんだろうという後悔をしてしまう。そんなとき、気分転換に昔読んだ本を読み返そうと引っ張り出したら、アラビアのことわざが出てきた。

「何かをしたい者は手段を見つけ、何もしたくない者は言い訳を見つける。」

全くその通りだ。私がコンサートに出ると決めたのは、練習を促すためだ。自分が怠け者であることを良く知っているから、練習せざるを得なくなる手段を見つけたのだ。出なくても済む言い訳はいくつでも探せたのに。そうと分かれば練習、練習(笑)
田園調布にある玉川平安教会のご厚意で、男声讃美歌研究会によるチャペル・コンサートを持たせて頂いた。


讃美歌から「慈しみ深き」や「み許しあらずば」など6曲、その後、グレゴリオ聖歌や典礼聖歌、メンデルスゾーンやジョン・ラターの作品など合計7曲を歌わせてもらった。

信者さんたちが温かく迎えて下さり、又、教会の中は声が良く響き、大変気持ち良く歌わせて頂いたが、コンサートの後、牧師先生のおっしゃった言葉が印象に残った。

「外国語で歌われた曲もありました。外国語だから、意味が分からないはずなのに、ちゃんと心に響き、感動しました。これこそが音楽の力ではないでしょうか。」

本当にその通りだと思う。音楽そのものが一つの言葉なのだろう。もう一つ、歌うことがどれほど健康に良いかも思い知らされた。男声讃美歌研究会を面白く紹介しようと平均年齢を計算したら「78才」だった。最高齢は87才で、私は63才でこの日は一番若い出演者だった。う~ん、ラグビー部のOB会より元気かも。
昨日、田園調布にある玉川平安教会にお邪魔した。今週末の日曜日礼拝の後に、男声讃美歌研究会で讃美歌やグレゴリオ聖歌を歌わせて頂くことになっており、そのリハーサルがあったからだ。


私はクリスチャンではないけれど、教会にお邪魔すると何かしらホッとするのを感じる。多分、多感な中高生の時代に同志社のチャペルで過ごす時間があったからだろう。

信者さんが礼拝の際に座られる長椅子の前に、聖書、讃美歌、そして「主の祈り」が置かれていた。学生時代、毎朝の礼拝で暗誦したお祈りだ。試しに小さな声で口ずさみ始めたが、何とか最後まで言えた。


主の祈りの中に、「我らに罪を犯すものを我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ」という言葉がある。なかなか難しいことだと思うが、知らず知らずの内に、回りの人に不快な思いをさせていることは十分に考えられる。ならば、先ずは「不快な思いをさせられても受け入れます。その代わり、不快な思いをさせていることを許して下さい」から始めようと思う。