第二部はプッチーニ作曲のオペラ「蝶々夫人」の第2幕と第3幕から、いくつかの場面がオペラ形式で演じられた。 多分、田村さんは何度も蝶々夫人を演じておられるのだろう、他の登場人物が領事のシャープレスと女中のスズキだけというダイジェスト版なのに、圧巻の歌唱力と表現力で感動的なステージにされた。

恥ずかしながら、私は「蝶々夫人」を一度も鑑賞したことがなく、物語も良く知らなかったので、ピンカートンが長崎に戻ってきたと知って大喜びし、その後、真実を知って深い悲しみに沈む蝶々夫人に心から同情した。特に、幼い息子を思って歌う「可愛い坊や」は聴いていてやるせなくなるほど悲しい思いが詰まっていたように思う。

話は少し戻るが、第2幕に蝶々夫人とスズキが二重唱するシーンがあり、柔らかくて温かなスズキの歌声に驚いた。私の隣に居られた整形外科医のT先生に「あの方も上手いですね」と話したら、T先生も「大柄ではないのに素晴らしい歌唱力です」と感心されていた。それを田村麻子さんのお母さまに話したら、「当たり前やん、あの方(永井和子さん)は麻子の先生や」と教えて頂いた。なるほど、温かな響きは教え子を思われてのことだったのかも。

さて、最後は武士の娘らしく、潔い最期を自ら選択してしまう蝶々夫人だが、今の時代にこのオペラが作られたなら、逃げるピンカートンに対し、私は一人でも立派に息子を育ててみせるわよ、という筋書きになったかも。そうお取引先に話したら、「ボルさん、ちょっと逞しい女性を多く見すぎかも・・」と言われた。はい、職場でも家庭でも混声合唱団でも・・間違いありません(笑)
田村麻子さんが海外デビュー20周年を記念するリサイタルを催された。国立音大の声楽科、東京芸大大学院で学ばれた後、米国マネス音楽院に進まれ首席で卒業、世界的なコンクールで上位入選を果たし、欧米各地の歌劇場では主役を張り、米国メジャーリーグの試合では外国人として初めて国歌斉唱までされている。


そんなご経歴から、順風満帆の人生を送って来られたものと思っていたが、実際にはさまざまなご苦労があったらしい。それが分かったのは、第一部で田村さんの人生に大きな意味や転機を与えることになった7曲の歌を披露され、それぞれの歌に込められた思いや、その後の人生に及ぼした影響などを話されたからだ。

例えば、ブダペストで開かれていたコンクールの本選前夜に、大好きだったお祖父さまが亡くなられたという連絡を受け、お祖父さまが好きだったという「浜辺の歌」を歌い、一人、お祖父さまのことを偲ばれる。そして、翌日の本選に臨まれるが、実に不思議なことが起こり、カッチーニの「アヴェマリア」を自分の理想通りに歌っている歌手がいると聞き惚れていたら、何とそれは自分の歌声だったのだとか。ステージでは時にそういう不思議なことが起こるらしい。

コンクールでは聴衆のスタンディングオベーションを受け、又、審査員からは高い評価を獲得されるが、アジア人であるが故に全く仕事が来ないという辛い思いをされている。しかし、それをきっかけに、西洋音楽から日本やアジア音楽にも目を向けるようになり、結果として新しい境地を切り開いておられるから立派だ。

どの歌も素晴らしかったが、「浜辺の歌」、「アヴェマリア」、そして黄自作曲「メイグイサンユアン(バラの三つの願い)」に胸の締め付けられる思いがした。

(続く)
2週間前の誕生日に「おめでとう」というお祝いのメッセージをfacebookを通じ、多くの方から頂いた。これまでお会いしたことのない方からも  頂いているから、改めてIT技術の進歩が世界をどんどん狭く便利にしていることを実感した。


一方では、今年も手書きのお手紙やカードをいくつか頂いた。香織ちゃんからのお便りもその中の一つで、見慣れた香織ちゃんの文字と心温まるメッセージに今年もしっかり癒して頂いた。

先日、受けたセミナーで「高齢者ほど、同じ情報であってもデジタル画面より紙媒体から得た時の方が強い刺激を受け、脳の温度が熱くなる」という話を聞いた。例えば、Eコマースの買い物カゴに洋服を入れたままにしている女性に、その洋服を着たモデルの写真を葉書にして送ったら直ぐに注文に至るということが実際にあるらしい。

それが何となく分かる私も高齢者なのだろうが、私のデスクには官製葉書がいつも何枚かしまわれており、メールで事足りるお礼でも、できるだけ葉書に手書きのメッセージを入れ、郵送するようにしている。その方が感謝の気持ちが伝わるに違いないという自己満足だが、相手の方には「万一、私が有名人になったら、その葉書、高く売れますから」と言ってある(笑)