初めて「コーロカステロ」のコンサートにお邪魔したのは2011年のことだ。聴き応えのある素晴らしいコンサートだったが、深く印象に残った理由は、「Tramp、Tramp、Tramp」というアメリカ南北戦争時代の北軍行進曲が同志社で応援歌として愛唱されている「若草萌えて」と同じメロディーだったことに驚いたからだ。パンフレットには「数奇な運命を辿った歌」と書かれ、北軍士官だったクラーク博士から有島武郎に伝わることで北大では「永遠の幸」という校歌に、新島襄に伝わることで同志社では「若草萌えて」という応援歌に、そしてアイルランド出身の兵士がアイルランドに持ち帰ることで「神よアイルランドを救い給え」という準国歌になったことが紹介されていた。まさに「数奇な運命を辿った歌」なのだ。この曲との出会いで、コーロカステロをものすごく身近に感じるようになったものと思う。

2012年のコンサートでは、開幕と共にメンバーの方々が色とりどりのポロシャツ姿で登場されたり、女装されたメンバーが「ハワイ結婚の歌」を歌われたり、耳だけではなく目も楽しませてくださることを知った。2014年には「カステロいろは歌留多」なるものがパンフレットに紹介されており、例えば「や」やたらrit.がしたくなり、「て」テンポゆるめば元に戻れず、「さ」下がれど上がれず、はちょうどその頃合唱を始めた私に思い当たるもので、大いに笑わせて頂いた。2016年は70周年を記念するコンサートで、盛り沢山の企画に楽しませてもらったが、高嶋先生が独唱された「ホワイトクリスマス」は豊かで優しい歌声に心が癒された。又、客席と一緒に歌う「アヴェ・ヴェルム・コルプス」にも感動した。

 

コーロカステロ
2012年のステージ


2017年は少し物足りなかったと偉そうにブログに書いているが、2018年は「村の乙女」、「手のひらを太陽に」、「トランブーラン」(インドネシア民謡)、「草競馬」、「懐かしのヴァージニア」、そしてビートルズの「Yesterday」など初めて聞く歌が新鮮で、多分、コーロカステロが得意とされてきたロシアやドイツの男っぽい歌よりも表現力が生きて聴き応えがあったのではと思う。逆に、この年から賛助出演されているクラーククラブと一緒に歌われた「巡礼の合唱」には感動したと書いているので、やはり、男の歌は大勢の力強い歌声があるとより一層引き立つのかなと思った。

(続く)

 

「最初に平尾君と電話で話しました。20分程の会話でしたが、驚いたことに、メモした単語をつなぐとそのまま原稿になりました。彼は私の質問の意図や、どうまとめたいかという私の方針まで理解し、私の質問に答えてくれていたんです。」

「次に林君と電話で話しました。」

ここで何人かの方が笑われたから、話の展開を読める程、林君と親しい方が居られたということだろう。

「同じ質問をしたはずですが、話題は低迷を始めた同志社ラグビーのことに変わり、彼が『あんなディフェンスで早慶明に勝てると思いますか?』みたいなことを言うので、『ホンマや、その通りや、良う言うた』と私も答えて盛り上がり、気付いたら私は電話口で泣いてました(笑)」

多くの方が笑われたから、私と同じような経験をされた方がたくさん居られたに違いない。

「それで、『林、今日は君と話せて良かった、ありがとう!』と電話を切って私のメモを見たら何も書いてない(笑) 何を話していたかも覚えてない(笑) 彼は『壊し屋』ですが、私の編集スケジュールまで壊したんです(笑)」

作り話ではないので、話し方にも熱がこもる。

「林君はそういう熱い男やから、ここにいる人たちには責任があると思います。今回の受賞で彼の活躍の場が広がります。しかし、時には、あのう、子供が熱を出した時おでこに貼る冷えピタってありますよね、そういう役割や通訳が必要になると思います。松永さん(慶應義塾OB、林君が会長を務めるNPOヒーローズの副会長)、頼りにしてます(笑)」

皆さん、良く笑い、大きな拍手も下さったが、これも林君への信頼や好意が私に回って来たということだろう。これからも、できる範囲で林君を応援しようと思う。林君、おめでとう。それから、ありがとう。
同志社大学ラグビー部の後輩で、日本代表としても活躍した林 敏之君が第10回日本スポーツ学会大賞を受賞した。現役時代は「壊し屋」と呼ばれ、対戦相手から恐れられた林君だが、現役引退後はその熱く、沸き上がってくるような情熱を青少年の育成やラグビー普及などに注ぎ、多くの人たちから共感と支援を得ている。


その受賞を祝う会が一昨日開かれ、私も出席させて頂いた。初対面の方が多かったが、さすがに林君を応援し、彼の受賞を我がことのように喜ぶ方々ばかりだから、会場には温かいというよりは熱くて火傷しそうな空気が所々に流れていたように思う。

会の最後に、さまざまな付き合いのある5人がスピーチすることとなり、私もその一人に選ばれた。皆さん親しいとはいえ、多くの人たちの前だと言葉も選ばれるだろう。好きなことを言えるとしたら先輩の私だけだと考え、本当に好きなことを言わせて頂いた。

「私は同志社大学ラグビー部のOB会報の編集長をしていたのですが、ちょうど林君や平尾君がジャパンで活躍していましたので、海外遠征から帰ってきた二人にインタビューしたことがあります。」

(続く)