毎日新聞の「人生相談」で作家の高橋源一郎さんが読者からの相談事に対応されている。その回答が新鮮で面白く、なるほどと思うことが多かったことから、その相談事と回答を一冊にまとめたという本を買い求めた。


いつもお姉さんと比較され、コンプレックスを抱くようになってしまった18才の女性からの相談。お姉さんは高校時代インターハイに出場経験のあるスポーツウーマン、大学は医学部に進学し、英語もペラペラということだから、そんなお姉さんと比較されたら確かに辛くもなるだろう。

これに対する高橋源一郎さんの回答。
「他人との比較に悩むのは人間の宿命、かの太宰治ですらコンプレックスの塊だったのだから、私がコンプレックスから逃れられないのは当たり前。最近、コンプレックスは常に謙虚であるようにと神様が贈ってくれた能力だと思うようになった。」

良い言葉だ。なるほど、確かに謙虚になれる。が、神様、私には一つのコンプレックスで十分でしたのに!(笑) 

一方では、コンプレックスは努力や工夫の原動力になるように思う。それでも太刀打ちできなければ、さっさと降参して敬意を払うのはどうだろう。自分が敵わない相手を祝福することで、何か一回り大きな人間になれるように思う。
 今日、たまたま現金で買い物してお釣りを貰ったら、令和二年の十円玉が混じっていた。ひときわ光り輝いていたから釣り銭の中では浮いていたが、これから何十年も、何百人、何千人という人の手を介して流通し続けるのだろう。


このところ、森喜朗元総理の発言が物議を醸したこともあり、老害の文字があちらこちらに踊るようになった。私も高齢者だから、そういう老害を撒き散らしているのかなと不安に思う反面、私より若いのに毎回同じことを言っている人を見掛けると、老害とは年齢だけでは計れないぞ、と言いたくもなる。


こちらは平成二年の十円玉だ。かれこれ30年もの間、流通してきたことになる。令和二年ものに比べると輝きこそ失ってはいるが、今でも十円としての価値を立派に保っている。私は社会に出て間もなく43年になるが、十円玉に負けず、ちゃんと流通できる価値を保とうと思う。

大学ラグビー部で2年先輩だった「つーやん」が亡くなられた。まだ67才だ。中学、高校、大学、社会人チームで一緒にプレーしたという方々からの電話が相次ぎ、皆さん、口々に「残念や」とおっしゃっていたから、回りから慕われ、好かれるお人柄だったのだろう。


つーやんと最後に大騒ぎしたのは10年前のことだ。ブログにアップしていたので読み返し、そのときの会話を思い出して大笑いし、その後、本当に悲しくなった。合掌。