今日、最終回を迎える。



歴史は覆らないが、出来ることなら本能寺の変など起こさず、光秀には信長と一致団結して新しい日本を創造してもらいたかったように思う。私は歴史に詳しくないが、信長が一番信頼し、期待を掛けていたのは、織田家中で最も知識人で理解力に優れた光秀だったろうし、光秀も信長の斬新な発想や大胆な行動力に心惹かれていたように思う。

 

信長は、当時の人たちからすればいつも一歩先を歩んでいた人だったのだろう。いち早く鉄砲の威力を認めて足軽に持たせ、無敵と思われた武田の騎馬軍団を足軽に撃退させているし、木造が当たり前だった水軍の船を鉄板で覆い、弓矢では歯が立たない補強をしたとも聞く。経済面では関所を取っ払って人や物の往来を自由にし、楽市楽座を設けることで自由で豊かな消費市場を創ろうとした。


今から見れば「革新的」発想だが、当時の人たちから見れば、信長は常識を平気で覆す異端児、変人、それこそ「非常識」な人物に見えたのではないか。特に守旧派と言われる既存の権益や制度を守りたい人たちにとっては極めて厄介な人物に見えたことだろう。


結局、そういう当時の人たちからすれば非常識極まる信長をそっくりそのまま受け容れられたのは、守るものが何もなかった秀吉だけで、守旧派ではないにしても歴史や伝統を重んじる常識人の光秀からすれば、信長の革新性に魅力を感じながらも、どこかで心の整理が付かなくなったのかなと思う。さて、どんな最終回になるのだろう。

「常識」とは「一般人が持ち、また、持っているべき知識。専門的知識でない一般的知識とともに、理解力・判断力・思慮分別などを含む」ということらしい。


東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の発言が問題になっているが、これが明治、大正、戦前の昭和の時代なら、ここまで大きな騒動にはならなかったように思う。すなわち、時代の変化と共に人の考え方も変わり、結果として常識が変化して行くからだろう。それに気付かず、古い時代の常識を持ったままでいると「非常識」になってしまう。

心から尊敬している人の中にも、女性蔑視の人がいるし、在日韓国人のことを悪く言う人もいる。残念に思うが、生きてきた時代が異なるから、女性蔑視の人は物凄く優秀で責任感も強い女性と仕事をされた経験がないのだろう。在日韓国人のことを悪く言う人は、また会いたくなる在日韓国人のお友だちがいない人だろう。

かく言う私も、私が生きてきた時代では常識人だったから、大きな批判を受けたりトラブルを起こしたりすることはなかったが、激変する世の中で常識が変わって行けば「非常識」になる危険性がある。そう自覚したら謙虚にならざるを得ないし、いよいよ新しい常識に付いて行けなくなれば引退、隠居するしかないのかなと思う。
年の瀬には琵琶湖畔にある両親のお墓にお参りし、帰りに父の友人で良き理解者でもあったゴローさんのお家に厚かましくもお邪魔し、おせち料理の味見をさせて頂くというのが恒例になっていたが(ゴローさん、奥さん、すみません!)、昨年は新型コロナのせいで帰省そのものを諦めた。

両親が聞いたら怒るだろうが、「お墓参りより、ゴローさんのお家に行けないのが残念!」と言っていたら、ゴローさんの奥さんが憐れに思って下さったのか、棒鱈と黒豆、田作りを送ってきて下さった。どれもこれも素晴らしい出来栄えで、お正月からじっくり味わいながら頂いた。


ゴローさん、奥さん、ありがとうございました!お陰さまで、豊かな気持ちでお正月を迎えられました。私が食べる時間の何倍も掛けて作られたおせち料理・・そうと分かっていてもガツガツ頂いてしまいました。ありがとうございました。