保立さんの「現代語訳 老子」を少しずつ読んでいる。
※本の概略についてはこちらを参照
■第2部 星空と神話と「士」の実践哲学
第一課 宇宙の生成と「道」
さて、話はいよいよ天と人間の関係へと進んでいく。
取り上げられるのは原典73章、「天網恢恢(てんもうかいかい)、疎にして漏らさず。」という言葉で知らわれる部分である。
【現代語訳】
普通の考え方とは違って、敢えて動く勇気が死をまねくことは多い。同じことだが敢えて動かない勇気が活をもたらすこともあるのだ。しかし、動くか動かないか、この両(ふた)つにはどちらの場合も利があったり害があったりする。天が悪とするのが何かは誰にもわからない。天道は、争わないで善なる本性にそって進むものを助け、不言のまま善にそって素直なのに応え、求めのないもののところに来て、坦然として善なるもののために計らう。大道の網は広大で目が粗いが、そこから漏れるものはない。
【書き下し文】
敢えてするに勇なるものは即ち殺か、敢えてせざるに勇なるものは則ち活か。此の両(ふた)つは、或いは利あり、或いは害なるも、天の悪とする所は、孰(たれ)かその故を知らん。天の道は、争わずして善なるを勝たせ、言わずして善なるに応じ、召かざるに自(おのずか)ら来り、坦然として善なるに謀らう。天網恢恢(てんもうかいかい)、疎にして漏らさず。
※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p179-180
「天網恢恢(てんもうかいかい)、疎にして漏らさず。」という言葉には、天は悪を見逃さないという解釈があるがこれはおかしいのではないかという。
それは、保立さんはこの前の部分をこう読んでいるからである。
「天道は争わずして善なるを勝たせ、言わずして善なるに応じ」と読み下した。そう読めば、本章はむしろ人生において、その人間の「善」にそって素直に判断することの意味を説き、楽天的な立場にたって我々を励まそうとしていることになる。私はこちらの方が『老子』らしいと思う。
※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p181
つまり、悪を見逃さないことではなく善であることを推奨しているという読み方である。
実にもっともであると思う。
私は以下のように読んだ。
まず、最初の「敢えて動く勇気が死をまねく」というのは、第1部・第四課で言われていた「生き急ぐなかで死の影の地に迷う人」を思い起こさせる。
動く方が勇敢であるようだが、実のところは動かない方が活かされるという老子流の逆説的な現実が提示される。
どちらにも利と害があるが、天は具体的な何かを悪としているのではなく、天は常に善に自ずから応えるのである。
そして、善は水なのだから、網から漏れようもない。
だから、天の網は善に応じるために隈なく広がっているが、それそもそれは何かを掬うというものではないのだ。
こう読むと、「疎にして漏らさず。」というのは実に痛快な表現である。
▼保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書2018
【目次】
序 老子と『老子』について
第1部 「運・鈍・根」で生きる第一課 じょうぶな頭とかしこい体になるために
第二課 「善」と「信」の哲学
第三課 女と男が身体を知り、身体を守る
第四課 老年と人生の諦観
第2部 星空と神話と「士」の実践哲学第一課 宇宙の生成と「道」
第二課 女神と鬼神の神話、その行方
第三課 「士」の矜持と道と徳の哲学
第四課 「士」と民衆、その周辺
第3部 王と平和と世直しと第一課 王権を補佐する
第二課 「世直し」の思想
第三課 平和主義と「やむを得ざる」戦争
第四課 帝国と連邦制の理想