保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書2018/第1部・第四課 老年と人生の諦観(その1) | 日々是本日

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 保立さんの「現代語訳 老子」を少しずつ読んでいる。

 

※本の概略についてはこちらを参照

 

■第1部 「運・鈍・根」で生きる

   第四課 老年と人生の諦観

 

 老子は紀元前320年頃に生まれ、紀元前230年頃に亡くなったと考えられている。

 

 「老子」は複数の原典の竹簡が発見されていて、より後の年代に発見されたものと比較することによって書き足された部分がわかるという。

 

 第四課は「老年と人生の諦観」というタイトルで、老子が40歳以降に書いたと思われる部分を集めたということである。 

 

 まず原典50章が挙げられる。

【現代語訳】
人は生まれて死んでいく。そのうち生を普通に終える人が十人に三人、早くに死ぬ人が十人に三人だろう。そして、生き急ぐなかで死の影の地に迷う人が十人に三人いる。それは生きる力と期待が厚すぎたためだ。残りの一人はうまく「生」の善(本性)を握った人であり、山地を行ってる犀(さい)や虎に遇わないし、戦争に動員されて甲冑と武器なしで生き延びた。犀も角を突こうとせず、虎も爪を立てようとせず、敵兵も刃をたてる隙がない、彼は死の影の地を本能的にさけることができたのだ。

※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p129

 保立さんは「死の影の地に迷う人」に注目して、社会の枠を外れてしまう人の生き難さというものが人間の業として昔からあったという指摘をしている。

 

 戦争での状況については、背景となる当時のことわざがあったと思われるがその事情はもうよくわからなくなってしまっているという。

 

 私は現代的な視点も鑑みて以下のように考えてみた。

 

 まず、当時の基準では成人になるまでの生存率が現代よりかなり低かったであろうから、成人になる前に3人が死んでいく。

 

 「生き急ぐなかで死の影の地に迷う人」はハイリスクの行動を敢えてとる人である。

 

 危険を顧みず功を上げようとする人は大昔からいた筈で、この手の3人が死んでいく。

 

 最後に残る「うまく「生」の善(本性)を握った」一人は老子の教えを実践した人のことである。

 

 老子の教えの中には微かなものを見ることや兆しに気づくことが含まれている。

 

 リスクを事前に回避すれば戦地でも生き残れる確率はかなり高まる。

 

 後半の主旨が戦争における老子の教えの有効性を示唆することにあるとすると、老子は何のために前半を書いたのだろうか。

 

 ここではそれを、老子の教えに至らない人についての説明、特にその個人的な努力を超えた要因について説明していると考えたい。

 

 その一つは幼くして無くなる場合である。

 

 もう一つのケースとしてハイリスクな行動に向かってしまう人を挙げているのは、一部の人のハイリスクな行動に向かっていく傾向を個人的な努力では越えられない人間の本性としてを見ていたのではないだろうか。

 

 現在では、こういう傾向が遺伝的なものとして存在し、こうした危険を顧みない人が常に一定数いるから現在の人類は地球上に幅広く分布しているという指摘がある。

 

 全体としては、表向きには老子の教えを実践する最後の一人になれと言っているように読めるが、その裏には不可避的な理由でそこに至れない人々を想う気持ちがあったのではないだろうか。

 

 長くなったので、以降については次の記事に譲る。

 

 

▼保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書2018

 

現代語訳 老子 (ちくま新書)

 

【目次】
序 老子と『老子』について
第1部 「運・鈍・根」で生きる

 第一課 じょうぶな頭とかしこい体になるために
 第二課 「善」と「信」の哲学
 第三課 女と男が身体を知り、身体を守る
 第四課 老年と人生の諦観
第2部 星空と神話と「士」の実践哲学

 第一課 宇宙の生成と「道」
 第二課 女神と鬼神の神話、その行方
 第三課 「士」の矜持と道と徳の哲学
 第四課 「士」と民衆、その周辺
第3部 王と平和と世直しと

 第一課 王権を補佐する
 第二課 「世直し」の思想
 第三課 平和主義と「やむを得ざる」戦争
 第四課 帝国と連邦制の理想