映画「隠し剣 鬼の爪」は山田洋次監督、藤沢周平原作の時代劇映画である。
映画「たそがれ清兵衛」の記事でも書いた通り、山田洋次監督による「時代劇三部作」の二作目である。(三作目は「武士の一分」)
2004年製作で主演は永瀬正敏、ヒロイン役は松たか子である。
2005年の日本アカデミー賞にノミネートされたが受賞には至らなかった。
人気時代小説作家、藤沢周平の剣豪小説「隠し剣」シリーズの「隠し剣鬼の爪」と、人情時代小説「雪明かり」を原作に、「たそがれ清兵衛」の山田洋次監督が映画化。幕末の東北の小藩。秘剣を身につけた下級武士、片桐宗蔵は、かつて好意を抱いていた奉公人きえが病に倒れたと知って引き取り、心を通わせていくが、藩の江戸屋敷で謀反が発覚し、お家騒動に巻き込まれる。
※映画.com 作品紹介ページより引用
原作は「隠し剣鬼の爪」と「雪明かり」2つの短編で、映画脚本は両作品を合作した形になっている。
※「隠し剣鬼の爪」所収
---以下、ネタバレ注意!---
主人公の下級武士である片桐宗蔵は、かつて好意を抱いていた奉公人きえが嫁入り先で虐げられていることを知って強引に引き取ってしまう。
「たそがれ清兵衛」と似た雰囲気の作品であるが、武家社会で自由に生きようとする個人がより色濃く描かれている。
片桐の家で方向するようになったきえに、片桐の娘が「身分てなに?」と訊く場面がある。
きえの答えは、「なんだろうのう」であった。
きえに答えを用意することもできたはずだが、そうしなかったのは、身分というのは大人の作り出した制度に過ぎないというメッセージだろう。
法事で集まった爺さん達の物言いは時代錯誤を感じさせるし、鉄砲隊や砲術の訓練は封建的な武家社会の終わりを告げているように見える。
片桐は冷ややかな世間の目と噂を気にせざるを得なくなったために、きえに実家へ帰るように伝えると、きえは「それは旦那さんのお言いつけでがんすか?」と言った。
俺の命令だという清兵衛の答えをきいて、きえ(松たか子)は涙を流す。
さて、この映画のもう一つの部分は道場で同門だった武士・狭間を謀反の罪によって討たねばならなくなる話である。
「隠し剣 鬼の爪」というタイトルながら、この隠し剣は同門の武士を討つためには用いられない。
用いられない理由は、その隠し剣とは特殊な短刀を至近距離で用いる暗殺剣だからである。
そして、剣客との死闘はこの時代劇作品のハイライトでありながら、止めを刺すのは鉄砲であった。
刀の時代は終わった。
それでは、この隠し剣は一体誰に用いられたのか。
片桐が狭間を討つことに決まった日の夜、狭間の妻が夫の命乞いにやって来た。
片桐がその話を断ると狭間の妻は、家老である堀の屋敷に行くと言い残して去っていった。
家老の堀は狭間の妻を謀り、体を弄んだだけで夫の命を助けはしなかった。
隠し剣鬼の爪はこの家老を暗殺するのに用いられた。
武士の恥を武士の技によってすすいだのである。
だから、本当の敵は武士としてあるまじき権力者だ、ということになる。
そして家老を葬った片桐は武士をやめて町人の身分になり、きえの元に行く。
ラストシーンである。
町人になった片桐がきえに結婚を申し込むと、「それは旦那さまのご命令でがんすか?」ときえはまた、実家へ帰るように言われた時と同じようにきいた。
俺の命令だという清兵衛の答えをきいて、命令であれば仕方ないと答えるきえ(松たか子)の表情は実に嬉しそうで清々しい印象であった。
封建主義的な主従関係を連想させるやりとりの中に、自由になった個人を描いた脚本はなかなか上手くはあった。
こうして見るとこの映画は、藤沢周平の原作を時代精神の移り変わりを描いた作品にうまく変質させた映画であり、この意味では悪くない作品であるように思われた。
この手の作品はいつも我々に、自由になったからといってそんなにすぐに個人としてあれるわけではないという現代的な意味を感じさせる。
▼[HD DVD]はこちら
▼[Blu-ray]はこちら