さて、今週も「イチケイのカラス」の時間となりました。(笑)
前回の予告から、今週は刑事裁判に国民が参加する裁判員制度の話であることはわかっていた。
原作漫画では第19話から第29話の11回に渡って、裁判員制度が適用された裁判の話になっており、今回は相当に手の入ったドラマ用の脚本かと思っていたら、事件はオリジナルストーリーだった。
ドラマの基本情報については下記を参照されたい。
▼ドラマ「イチケイのカラス」公式サイト
---以下、ネタばれあり注意---
今回の話でテーマとされていたのは、「人生問題における正しさ(正解)」であると感じた。
まず、話の主な部分は裁判員制度で任命された裁判員たちが裁判官と一緒に証拠を検討する場面で進む。
ここでまず、裁判員たちが被告人の人生に大きな影響を与えてしまう判決を出すことを凄く難しくの感じることが描かれる。
これによって、プロの裁判官が日々行っている仕事がいかに難しいものであるかを痛感させられる。
裁判官の仕事の難しさはもともとこの作品のメインテーマであり、特に第2話ではよく描かれていたが、一般市民が裁判員になるという事態は観る側が共感し易い設定である。
次に浮かび上がってくるのが、人生で迷うのが人間だ、という意外性のない事実である。
しかし、この意外性のない事実がここでは実に重い。
人生で迷う人間の判断について、その人の人生に大きな影響を与えてしまう判決を下さねばならないのだから。
責任の重さに耐えかねた裁判員の一人が駒澤裁判官(小日向文世)に、「後悔した判決はなかったのか」とくと、駒澤裁判官は「ある」と誠実に答えた。
そもそも人が人生で迷うのは、人生問題には正解がないからである。
だから、人生問題における判断も裁判の判決も、下した後でも正しかったかどうかはわからない。
証拠を検討していく過程で裁判員はこう気づいていく。
そして、ここで終わらないのがこのドラマの凄いところだと毎回思う。
判決を言い渡す場面で、義務ではないのに被告人と同じ立場だったらどうしたかを裁判員一人一人が告げる。
こうして人生の問題に迷った人の心に寄り添うことが、裁判員それぞれの身をもって示される。
現実ではあり得ないと思われるが、ドラマとしては最高の結末だ。
次回に期待しないということがあり得ようか!
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