できれば本に埋もれて眠りたい -30ページ目

1つの完成形ではないでしょうか

京極 夏彦
嗤う伊右衛門

実はまだ京極夏彦を読んだことがありませんでした。
そこで入門書としてうってつけ、とある書評本に書かれていた「
嗤う伊右衛門 」にチャレンジです。

いやあ、さすがにうまいですね。
まず人物造型。
手抜きのない脇役の背景、

主人公ではないが物語りの中核をなす民谷岩の激情とクレバーさ、

伊右衛門の厭世とその裏返しの生活、

伊東喜兵衛の腹の底からの悪役ぶり。
これだけ濃いキャラを並べておきながら、納得のいくそれぞれのキャラと背景により、怪奇もさらに精緻な味わいが出てきます。

さらにこまかく山谷のあるストーリー展開。

そして印象深いラスト。

読み物としては、たしかに最高級のできではないのでしょうか。

そういえば京極本人が行うといわれている噂のレイアウトも堪能できました。

ここまでの技があり、「妖怪もの」というジャンルを開拓したという実績も含めて確かに今を生きる偉人ですね。


ただ、「どすこい。 」みたいなものを書いているところをみると、「何について書くか」という部分で、妖怪モノ以外も探しているのかもしれません(たちよみしただけですが)。
これから「いいもの」が見つかったときが楽しみです。
ちょっと注意してみていたいと思います。

京極 夏彦
どすこい。

分かると教えるは違う

池谷 裕二, 長崎 訓子
進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線

 「海馬 脳は疲れない」で有名な若き脳学者、池谷裕二がNYの中高生に基本から最前線までの大脳生理学を語るという試みを本にしたものです。


高校生ぐらいに本当に興味を持たせながら教える、というのが、基礎知識のない分野を教えてもらうには一番手ごろなサイズ(興味の設定のしどころが)なのかもしれません。いい感じでした。


期待していた中高生の目から鱗的な質問は案外ありませんでしたが、やはり面白い。

難しい話を分かりやすく例えたり、他領域の話とからめてより興味が増したり、本当の最前線のワクワクする話など、実に楽しめます。


個人的には、なんとなくわかったものや面白かったことは


・イルカが人間の脳より大きいのに、人間ほど脳が発達しなかったのは、手と声帯を持たなかったため刺激が少なかったから。

・クオリア(人生の質感?)は、夢と同じように、実在はしないが脳が作ったものとして存在はする。

・シナプスレベルになると、記憶はじつにいい加減なもの。

・脳の機能はシンプルに考えると、インプットとアウトプットの間にループ回路がある、ということ。

・脳の機能を行列で表現していた(理系のひとはこういうのが好きですね)。


なんかです。

なんか色々と羨ましく感じてしまいました。

短編巧者


朱川 湊人
花まんま

 タイトルと表紙のイメージからは「昭和初期のノスタルジックストーリー」と行った感じですが、そんなことはありません。
 最近の流行でしょうか、ちょっとしたファンタジーを入れながら、ちょっとつらめの日常を健やかな明るさでなんとかしていく話です。
 よく考えるとやりきれない話が出てきますが、それを小説として処理していく技は、目立ちませんが、なかなか達者です。

 短編集で、大体、大阪で60ー70年代に小学校低学年ごろの主人公の話で、どれもなかなかです。
 「トカビの夜」は、大阪万博のころ、近所の朝鮮人の友達との交流を描いたもの。この頃の下町なので、あからさまに差別があり、引っ越してきた主人公はだんだんと周りの影響受けてきて、という話です。ちなみにトカビは韓国のお化けです。
 「妖精生物」は、なんだかよく分からない生き物を買って育てる話です。バックボーンの暗い話と暗い淵を覗き込むように生き物を飼い続ける、短編中一番暗い話ですが、なにかしらの妙な軽さがあります。
 「摩訶不思議」いかにも大阪、というバカ話で、死んだおじさんを乗せた霊柩車が火葬場の前で動かなくなってしまい、みんなを困らせているところに、愛人がきて霊柩車が動くようになったのですが・・・といった感じです。
 「花まんま」妹が生まれ変わりのようでだんだんと前世の記憶を思い出していきます。妹思いの兄は、今の家族を保つためにできるだけ思い出させないようにするのですが・・・。さすが表題作、いい作品です。
 「送りん婆」は、「死の呪文」を知っているおばあちゃんと女の子の話ですが、かといって大きなできごとはない、たんたんと語られる普通の女の子の話です。
 「凍蝶」は、こんどは主人公が差別される側になった話です。友達もいなくなってから、墓地に行くときれいなお姉さんがいて、なんだか話をするようになっていきますが、というちょっと切ない大人を垣間みる成長物語です。

 全編、ノスタルジー色は強いのですが、変な色づけも少なく、比較的すっと読めて、大騒ぎする作品ではありませんが、好感をもって読むことができました。

雑誌のなかの小説

絲山 秋子
沖で待つ

ある日文藝春秋を読む機会があり、そこで絲山 秋子の「沖で待つ」の本編と評を読むことができました。


主人公の女性と「太っちゃん」の話で、初めての赴任先が博多になり、一緒に赴任した同僚「太っちゃん」と営業で苦労して、お互い仕事仲間としての結びつきを深めていく、とざっとそんな話です。


絲山 秋子については「男女の友情を描くのが上手い」とも「現代の仕事について書ける」とも評されていますが、なるほどその通りと思います。


恋愛関係のない男女関係微妙な立ち位置も書けていますし、仕事観も過不足なく、書けています。


ただこれも評にあったのですが「小品」といわれていました。

たしかにそうですが、これについては新しく発見がありました。

沖で待つ」を単行本なんかで読むと、それなりに値段がついて「よっしゃ」というつもりで読んでしまうのですが、雑誌の中の1編とすると随分気軽に読めて、むしろ「小品」であることが小気味よかったりもします。

なるほど、こういう読まれ方をする小説もありだな、と「沖で待つ」の感想以上に感心してしまいました。

そういう位置付けで「沖で待つ」を読むと、内容の小品さはよりむしろその完成度の高さに好感をもてました。


ただ絲山 秋子のプロフィールをみると、そろそろネタ切れなのでは、と心配してしまいますが、「受賞のことば」で「早くこんなお祭り事は終わって欲しい」と勝手なことをいっているふてぶてしさを考えれば、ま、大丈夫でしょうか。


しかし、初めて装丁みましたけど、あれはないですよね。装丁とタイトルだけなら海洋小説みたいだし、オビをみても、自然回帰ものみたいに思えてしまいます。

中州あたりの盛り場の写真とか、もう少し仕事的要素がほしかったなぁ。

写真がよすぎる。

ジーコ自伝 「神様」とよばれて

ジーコ, 浜田 英季

ジーコ自伝―「神様」と呼ばれて

そろそろ、ワールドカップも近づき、サッカーモードに変えようと思って手にとった1冊です。

誕生から1996年のJリーグでのアントラーズ優勝までが書かれています。

本人は「神様」と呼ばれたがらず、特別扱いも嫌がるような性格なので、本書も持ってうまれた才能については自分でもあまり語っていません。


ただ、印象的なのは何度も「挫折」について書かれていること。

これほどの才能をもちながらも、要所でのミスや監督やクラブの裏切り、大ケガについて、絶望しながらも、最後にはあきらめずにサッカーに戻ってくるあたりが、「神様」の一要素でもあるようです。


それに基礎の重要性を何度も言っていることやプロ意識としての自己管理、サポーターへの考え方、勝つことへのこだわり、なども当たり前ですが、これだけの才能がありながら当たり前のことを着実に積み重ねていることに至極感心しました。


我々はイマイチ「神様」への理解が足りないのかもしれません。

もう、最終段階、1-2ヶ月ですが、選手もファンも含めて、ジーコに色々学んでいきたいと思います。


ここ2ヶ月、更新が少なくなり申し訳ございません。

今月あたりから、前のペースぐらいに戻していきたいと思います。

よろしくです。

妖怪よりも水木しげる

荒俣 宏
水木しげると行く 妖怪極楽探検隊



水木しげるのことを、単に妖怪マンガを描く片腕の漫画家と思っていましたが、80年以上も練り上げた奇妙な思想に接すれば、マンガもその表現のごく一部、もしくは生活の糧と感じてしまいます。


元々、水木しげるの大ファンもしくは弟子である荒俣宏が、ある時南の島の妖怪探訪に同行し、すっかりその妖怪感度に感激して、次からは荒俣宏がヨーロッパ怪奇ツアーに招待する、という内容です。


齢80を超える水木しげるは、世俗のしがらみを断ち切っておられ、まったく話を聴かなかったり(「今、水木さんは妖怪度81%です」などといい、荒俣の説明を聞かなかったりする)、撮影禁止の博物館で写真をがんがん撮ったり(でも注意されない)、高額紙幣で大量のお土産を購入したり(危険な目にあったことは一度もない。「水木さんは頭がいいから」問題ないのだそうだ)、やりたい放題です。


で、やっぱり、妖怪はいるの?と思って読み進めると
「妖怪はなかなか姿を見せません。感じるものです」というようなをいっていました。
何でもない場所で、常人にとってはたんなる大木を、根だけを写真に撮り「悪魔の爪」のようなものを見つけるあたり、感心します。
もちろん現地のオカルトや魔術に参加します。
水木しげるにとって、自ら見つけだす「妖怪」と、向こうからやってくる「妖怪」を集める、それが旅のようです。


「いっぱい食べてよく寝るのが幸せなのになんで日本人はそうしないか。水木さんが幸福菌をいっぱいばらまいているのに、予防接種でもしているのですか」
うーん、とても漫画家のいうこととは思えませんね。
死人も生きているように扱われる死者の都市ネクロポリスを見て、ここでもインスピレーションを受けたらしく、荒俣宏、京極夏彦との対談で
「半分死んだ人間として生きろということです」「静かにものが見れる感じなのです」「その場合、資格としてはやっぱり75歳以上でしょう」
と、なかなか面白いことをいっています。


まあ、対談・エッセイの寄せ集めみたいな本なので、玉石混合の内容ですが、水木しげるの突飛さにふれるのに、拾い読みしてみてはいかがでしょうか。


勉強になったのは、イタリアのグロッタ庭園が「グロテスク」の語源であること。
確かにこの庭園、ただものではありませんでした。



更新頻度が落ちてしまい申し訳ないです。

もう少ししたら余裕が出てくるので、しばらくはご勘弁を。

それでも暇をみつけて書いていきますが。

宮崎駿の分かりにくいすごさ

宮崎 駿
風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡



映画をみているだけでそのすごさは十分わかりますが、では宮崎駿は何がすごいのかといわれれば、これがうまく言葉にできませんでした。

映画のよさはいくらでもいえるのですが、宮崎駿の発言を聴いていると、どうも映画だけでは語れない何かがあるらしい、そう思って手に取った本です。


しかし対談というのは、作る方には簡単なのですが、読むほうにとってはある程度バックボーンがないと読めないし、対談者同士の共通理解が抜けるため、好きではないですが、こういった忙しい人の場合は、まぁ仕方がないですね。


ここでは、まだ世界の宮崎になる前からの対談が入っているため、随分泥臭いことから始まります。


社会主義のこととか、学生運動のこととか、真剣に「理想」について考えていることから

南向きの家のディテールとか、ほうきにのって空を飛ぶことのディテールことまで

色々です。


これだけではあきたらず、Wikipedia で調べると、その驚異的な

「アニメーターとしての傑出した実力に加え、圧倒的な仕事量と厳格な自己管理能力」

とあるように仕事人としても傑出した人ということが分かります。


映画だけみていると、簡単に映画をつくる才能がある人、とだけ思ってしまいますが、いろいろ調べていくと

あの作品群を作るに足るディテールを積み重ねてきた人、と評価が変わり、むしろその圧倒的な量にめまいさえ覚えます。


作品を作るたびに「欠点ばかりが目にうつる」「作らなきゃよかった」と言う人ですが、強烈な自己批判能力と次への意欲の現れなのだと思いました。また、よくこれだけの作品をつくりながら「もうこんな大変なことはやりたくない」ともよくいっています。でも毎回自分をそれほど追い込む姿勢はえらいな、と思います。


漫画家、原作家、演出家、アニメーター、監督など複数の才能を併せ持つからこそ、今の作品群には完成したことを考え、天才と呼ぶにはあまりに実務的な、総合的な才能の結集に驚くとともにその行く末にも期待したいと思います。

エッセイに求めるもの

 
福田 和也
晴れ時々戦争いつも読書とシネマ
 
イデオ ロギーズ

今今で読みたいエッセイというのがなかなか思いつきません。

もともと雑誌を買う習慣がないせいなのですが、それでも福田和也のエッセイは読んでしまいますね。

偽悪的に、どうしようもないことを書いていることもありますが(慇懃無礼さでなんとなくわかる)、それでも情報量が(政治経済文学映画食と質量ともに)多くていくつかは自分にあうのと、批評にそれなりに信頼性がおけるからでしょうか。

だいたい日本の作家は、文章の腕だけで読まそうとすることが多くないですか?

それはそれで面白いのですが、やっぱり基本的な情報量の多さは魅力的です。

そんななかでもやはり作家・書評は期待してしまいます。


今回も晴れ時々戦争いつも読書とシネマ では

福永信
中村文則
菊地成孔
友里征耶

なんて名前が挙がっていました。

ほとんど知りませんが、機会があれば手にぐらい取ってみようと思います。


で、イデオ ロギーズ は拾い読みをしてみましたが、うーん、分かりませんでした。

思想書?かと思うのですが、まだ基礎知識が足りないようですね。

しかしこういった本は、読むための教養をつけたころには読む必要がなくなるような気もします。

久しぶりに手の届かない本を手にとって、もっと本を読まなきゃな、と思いました。

小説の中の写真

鉄輪

藤原新也

tetsuwa

藤原新也の自伝的小説、というふれこみですがどんなもんでしょうか。


親の借金で一家で夜逃げをして、温泉地「鉄輪」へ。

そこですごす日常に感じる、奇妙な異邦感と亜細亜的なむせるような土俗感。


まさに藤原新也。ひさしぶりに堪能できました。

「自伝的な」というところに、今さらさして価値は感じませんが(大体、印度や西域を長く放浪していた藤原新也に幼い頃の思い出や故郷という感覚を求めやしない)ここ数年のエッセイよりは楽しめたような気がします。


しかし、藤原新也の写真は文によくあいますね。普通、小説に写真や絵があるとけっこううるさいのですが、独特の「日常的だからこそぼけて見える風景」が文との外れ具合も含めて、よく馴染んでいます。文も写真もやっている人の強みですね。


これから新刊がいくつか出版されるみたいで楽しみです。

今なら初期短編も読めるかも

ふしぎな図書館

村上春樹

toshokan

amazonにも


この作品は「図書館奇譚」(「トレフル」1982年6月号~11月号初出)を、改稿いたしました。



と書かれているように、村上春樹の初期短編を改稿した作品です。

何本も村上春樹を読んだあとに、この短編を読むとすでに「迷宮」「暴力的な悪意」「羊男」「逃亡」などのモチーフがしっかりと 書かれていることに驚かされます。

つまり、モチーフが同じなら(飽きてしまえば)場合によっては、「羊をめぐる冒険」「世界のおわりとハードボイルドワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」が生まれずに、この本で終わる可能性もあったということですよね。

そう考えると、感慨深いものがありますね。


村上春樹の初期短編は、私には思わせぶりでなかなか楽しむことができなかったのですが、今ならモチーフの広がりを考えながら楽しむことができるかもしれません。


まぁ、なぜいま出版、という疑問は残ります。

村上春樹のもっている美意識の崩壊の初めだとしたら悲しいですね。