プレーオフは熱い
- 金子達仁
- 熱病フットボール
いやぁ、ブルガリアに負けてしまいましたね。
しかも「え?」というような、油断での2点。
ちょっと本気で本大会の活躍が気になり始めました。
日本みたいな弱小国は精神面では油断せずに戦わないと、試合にならないではないですか。
さて、気を取り直して。
サッカーライターの中でも人気の金子達仁が2002年のW杯予選の大陸間プレーオフを追った作品です。
イラン×アイルランド
ウルグアイ×オーストラリア
このチームが、各大陸の予選を勝ち抜けもせず、負け落ちもせず、大陸間のプレーオフになり、ホームアンドアウェイで戦い、W杯の最後の2枚の切符を争うことになります。
結果はアイルランドとウルグアイが勝ち抜けるのですが、さすがに修羅場をくぐってきただけあって精神的にも肉体的にも強く、本大会でもアイルランドは、強豪相手に点差が開いてもまったくあきらめず熱いアイルランド魂を感じさせてくれ前回大会で一番ハートに残る試合を、ウルグアイは見るものをうならせる恐ろしい怒涛の攻めで熱い試合をしてくれました。
そういった結果も踏まえて、さすがは百戦錬磨のライター、プレーオフに題材をしぼり、大陸ごとのチームとファンの様子を海千山千の筆致で書いてあり、面白い作品です。
乙武 氏の本と比べると正反対の作品ですが、どちらかだけだとやっぱり飽きてしまう部分があるので、それぞれがそれぞれの作品のよさを磨いて欲しいものです。
そういえばオーストラリアは3度目のプレーオフで今回の出場を勝ち取ったんでしたっけ。
おめでとうございます。
重松清、初読み、だけど・・・
- 重松 清
- 疾走
以前、重松清の「流星ワゴン」を途中断念の経験アリ。
再度チャレンジが「疾走」です。
完読できました。
あらすじは、ある地方都市に二人兄弟の弟として生まれた主人公。
兄弟が育つにつれ都市も開発が進められていく。
優秀だった兄が高校に入り、いつのまにか引きこもりに。
そして、近くではボヤ騒ぎが続く。
そうしていく内に兄が放火容疑で逮捕後、精神病院へ。
近所から放火魔を出した家として、いやがらせが続き、ある時父が失踪。
母は己の運命を呪いながら、生活費のためにギャンブルをはじめ、いつのまにか借金を重ねるようになっていく。
そんな中、主人公にはいじめが続く。
あるとき転校生の女の子がやってくる。
両親を心中でなくした彼女は「孤高」だった。
少年も、あるとき、なにものからも「ひとり」でいることを決意する。
そして、中学卒業を迎え、少年は街をでていく。
そして、あるやくざの情婦に会いにいき、物語は急展開をする。
丹念に少年を描写し、納得の行く物語で、最初の丹念すぎて退屈に感じる部分を除けば、最後まで一気に読めてしまいます。
が、私は駄目ですね、この手の物語は。
救いがなくて嫌いです。
なんの救いも提示されていないで、最初から結末が決まっているような書き方は、読む意味が感じられません。
同じ救いのなさでも、村上春樹訳の「心臓を貫かれて」は、事実であり、恐ろしくも悲しい殺人の連鎖が語られるのですが、そこには、状況をなんとかしようという意志が感じられます。
しかし、この物語には、そういったものはなにも感じられません。
強いて考えれば、奈落はすぐそばに日常的に存在しているということ、もしくは最悪のケースを示してその一歩手前で止めるきっかけとすること、そういう部分に意味があったのかもしれません。
しかし、やはり救われない映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「デッドマン・ウオーキング」に比べても、どうしても物足りないものを感じてしまいます。
- マイケル ギルモア, Mikal Gilmore, 村上 春樹
- 心臓を貫かれて〈上〉
- マイケル ギルモア, Mikal Gilmore, 村上 春樹
- 心臓を貫かれて〈下〉
沢木耕太郎には旅をさせよ
- 沢木 耕太郎
- 杯(カップ)―緑の海へ
2002年W杯の沢木耕太郎の観戦記。
沢木耕太郎は、どうやらずっとサッカーに縁がなく、1998年のW杯でやっと仕事で見るように依頼され
(映像の仕事で、現地で見て、もし作品が作れるようなら作ってくれ、との依頼で、結局発注先の都合で仕事はしなかった、という羨ましい仕事)、
それから2002年のW杯も仕事として観戦記を書くように仕事を受けています。
しかし本人もいっているように、ほかのスポーツノンフィクションについては、幼いころからの思い入れや実際の経験があるものばかりで、まるで縁がないのはサッカーが初めて、ということでした。
沢木耕太郎はごたぶんにもれず「深夜特急」からファンになったのですが、やはり売りは無国籍感ではないでしょうか。
他の作品もそれなりのレベルにはあるのですが、沢木耕太郎に期待するのは、何か熱を内に宿しての放浪、みたいな状況です。
そういう意味では、「テロルの決算」、なんかは面白いのですが、この作品はやっぱりサッカーにのめり込んでいないことや通常のレベルの試合評では、サッカー観戦記としてはイマイチです。
ただ、ハードは観戦旅行繰り返していくうちに、長期旅行のような既視感を読めるのと、日韓論を読めるのが面白いところです。
1998年の取材で、ミックスゾーンで記者がなかなか選手をつかまえなれない中、沢木耕太郎には海外の選手から「何か質問はない?」と言われ、何でかよく考えたら、通訳がとても美人だった、という話は面白かったです。今大会、日本選手にそんな余裕はでてくるでしょうか。
そういえばW杯については、サッカーを知らない識者からは「若者の頭がおかしくなった」というコメントが一般的。それも違うと思うし、かといってフーリガンの真似をする輩も恥ずかしい話です。
要は世界最大のイベントは、まだ地域予選を1回しか勝ち登ったことのない経験不足の国民には、色々と勉強不足だった、ということだったのではないでしょうか。
次回、生きているうちにW杯があったとき、どう変わるかが楽しみです。
- 沢木 耕太郎
- テロルの決算
長寿をキャラに/風車祭(カジマヤー)
- 池上 永一
- 風車祭(カジマヤー)
新しい作家に挑戦、ということで沖縄出身の作家、池上永一です。
「シャングリラ」が作風を変え物議を醸しているようなので、無難に評価の高い沖縄ものを読むことにしました。
最近の作家のなかで、笑わそうとして笑わしながらも、そこになにかを加えることができるセンスのある作家は金城一紀かな、と思っていましたが、池上永一もなかなか面白いです。
まず、主人公のフジ。すべては長寿のために、というキャラで、できるだけ苦労は避け、家事は娘にまかせ、日々の刺激のためには他人を陥れ、事故があっても気にしない、とにかく精神的にも肉体的にも長寿を妨げるあらゆるものを避けます。
そこに純朴な島の少年が、200年以上も前からさまよっている盲目の美しいマブイ(魂?)恋をして、連れ添う洗濯好きの6本足の豚の妖怪がなぜか少年に恋してしまい、そしてさらに幼馴染みがやっぱり少年に恋をしていて、その妹も少年に関心を寄せ、フジが話をややこしくしているうちに島に天変地異がやってくる、などの話がメインとなったどたばた劇です。要所要所で沖縄の古くから伝わる儀礼を折り込みながら説明を加えており、沖縄の伝統への尊敬が感じられ、深みがましています。
沖縄の強烈なおばあのキャラに、精霊と天変地異が入り乱れるエンターテイメント小説なので、沖縄に興味があって物語を単純に楽しみたい人には、お薦めです。
それも才能
- 乙武 洋匡
- W杯戦士×乙武洋匡フィールド・インタビュー
2002年のW杯を目指す選手を2000年7月から2002年2月まで間にインタビューしたものです。
内容は、オーソドックスなインタビュー記事。
本人もあとがきで「イヤになるほど書き直した。自分以外の人が書いた記事を何度も読み返した。それでもテーマも一貫性もない、ただプロフィールをを並べただけの記事になってしまった」と書いていて、その通りといえばその通りですが、いや、なかなか面白かったです。
なぜなら、こんなにも多くのサッカー選手のインタビューは他ではなかなか読めないからです。
稲本にはじまり川口、中澤、宮本、鈴木、楢崎、柳沢、小野、三都主、小笠原、中村、それに中田×2、と今回のW杯の有力メンバーから、森島、森岡、戸田、伊東、秋田、トルシエ、とちょっと興味を惹かれるメンバーもインタビューをしています。
中澤のブラジル留学時代「なんでお金払ってまでサッカーやっているんだ」とチームメイトにいわれたという体験や小笠原などの「伸二にはかなわない」という意識。鈴木の「自分の実力を信じろ、というのは無理」というひねくれた発言。趣味はサッカーという中村が2001年、戦力の足りないマリノスで攻撃を任されますが結果1STステージは15位となり「最後の方なんか練習行きたくなかったもんね。サッカーしたくなかったもん」という逆境。
有名超有名インタビュー好きインタビュー嫌い、色々な選手がいるなか、これだけの選手にインタビューできたのは、一つの才能だと思います。
オーソドックスでいいのです。どんどん頑張ってほしいものです。
と思ったらかなりのスポーツ系の本を書いていますね。
「残像」はW杯戦士×乙武洋匡フィールド・インタビュー とセットの、W杯観戦記。
「年中無休スタジアム」は、スポーツノンフィクションの選集。
今年のW杯は、どうするのでしょうか。
- 乙武 洋匡
- 残像
- 乙武 洋匡
- 年中無休スタジアム―スポーツノンフィクション選
村上春樹を映画化したっていいじゃないか
- ビデオメーカー
- 100%の女の子 / パン屋襲撃
ひょんなことから村上春樹の原作映画「100%の女の子」「パン屋襲撃」のDVDをみることができました。
なんとなく「風の歌を聴け」の映画化失敗で(人聞きです。すいません。でもこの作品は映画か難しそう)その後の映画化はなくなった、と勝手に思っていましたが、何かの間違えだったようです。
ブックレットを読む限り、限りなく自主制作映画に近く、当時フリーというより無職だった山川直人監督が、出資者がいたので作った作品です。
時代も「100%の女の子」「パン屋襲撃」が1983年と1982年に10万と170万の制作費で作られたもので、そこはやはり完成度を見る、というより監督の才能を見る作品です。
短編のあらすじは「100%の女の子」は、ある日自分にとっての100%の女の子に出会うというもの。
「パン屋襲撃」は、お腹がすきすぎてパン屋に強盗にはいるのですが、という話。
やはり監督による解釈がはいるので、特に「パン屋襲撃」は安保闘争へのあてつけ的要素が強く、映像化した分、原作の持つ想像力が働くあそび部分がなくなってしまっています。
しかしそれでも、なかなか面白かったです。
監督の才能も感じられたし、「自主映画の女王」と呼ばれていた室井滋がみれたのも良かった。
個人的な意見では室井滋が100%の女の子、というのはとてもよかった。
美人では困ってしまいます。
それにしても「ある晴れたカンガルー日和の朝・・・」というナレーションの違和感は相当のものでしたが。
ブックレットは、室井滋と山川直人の対談と撮影ノート。
まさに自主映画、という感じです。
あとはパン屋のポストカードとか。
短編なので、それぞれの原作をいれておけばいいのにと思いましたが、権利関係の問題でしょうか。
60-70年代に思い入れがあって、村上春樹好きの方にはお薦めです。
懐かしい、と思わず声が出ると思います。
それから、「トニー滝谷」も映画化しましたね。
こちらはちゃんとした商業映画。
まだ見てませんが、オフィシャルサイト もあります。
- ジェネオン エンタテインメント
- トニー滝谷 プレミアム・エディション
市川準監督の言葉を長いけれども引用しますと
「エドワード・ホッパーの絵画のような空白の多い画面になぜか惹かれ、小劇場のようなシンプルな舞台を高台の空き地に建てて、その舞台の微妙なアングル替えと、簡単な飾り替えだけで、ほとんど全てのシーンを撮影したことも、主人公の男女二人にそれぞれ二役を演じてもらって登場人物を極力少なくしたことも、プリント手法に脱色処理を施して色調を浅くしたことも、全て村上春樹氏の、硬質でありながらも、現実の地上から何センチか浮いているような小説世界が、いつのまにか私に要請したことだったと、今になって思います。」
とあり、繊細な感性が村上春樹の原作を映画化するとどうなるか、非常に気になるところです。
楽しみ。
「100%の女の子」の原作
「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
は「カンガルー日和」に掲載。
「眠い」「駄目になった王国」も面白いです(短編はかなり好みの分かれるかと思いますが)。
- 村上 春樹
- カンガルー日和
「パン屋襲撃」
は「夢で会いましょう」に掲載。
しかし、糸井重里もなんということをやっていたんでしょう。
村上 春樹, 糸井 重里
- そうするとやっぱり読みたくなる、「パン屋再襲撃」
- はじめは「パン屋再襲撃」から読んでいたので、「パン屋襲撃」は小説上の小説だと思っていました。
- その設定はその設定で面白いとは思うのですが。
- 評価の高い「象の消滅」、「ねじまき鳥クロニクル」の原型「ローマ帝国の崩壊・1881年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界」「ねじまき鳥と火曜日の女たち」を掲載。
- 村上 春樹
- パン屋再襲撃
なぜか画像がありませんでした。
沖縄の理由
機会があり沖縄に一泊してきました。
機中は2時間半ほどあり、その行き帰りで読んだ本が、
- よしもと ばなな
- なんくるなく、ない―沖縄(ちょっとだけ奄美)旅の日記ほか
- 沖縄ナンデモ調査隊
- 沖縄・離島のナ・ン・ダ!?
です。
行きの飛行機は
「なんくるなく、ない」。
ばななの沖縄・奄美のエッセイを集めたもの。
写真が珍しいのがあり、お馴染みの原マスミ画伯やばななの水着ショットもあります。
ばなな自身はかなり盛り上がっていますが、内容自体はイマイチ。
あとがきでも
「ぎりぎりの線だな、と正直に思いますけれどもこのときの私のベストをつくしたのは、確かです」
とのこと。
ただ、今の日本について、なんだかおかしいと感じているのは
(たとえば携帯電話を拾って、親切で電話帳から「母」を探して電話をしたら「オレオレ詐欺」と間違えられていた)
ばなならしいまっとうな神経だと思いますが、多少おばちゃんのにおいもしています。まあ、若者代表という年でもないですし、年相応で賛成ですが。
そこかしこにばなならしさや、「ここはあの小説につかったのね」という部分も散見されるのですが、いかんせん完成度が・・・。
「いいもわるいも今の自分」という最近のばなならしい本でした(ちなみに王国3は、すごい出来で感心しました。最近はアクティブなせいで好不調が激しいな、という個人的な実感です)。
帰りの飛行機では
「沖縄・離島のナ・ン・ダ!?」を読みました。
最近の沖縄雑学本です。
面白かったのは
・「ヤブレビーチャー」酔って路上で寝てしまう人が多い(特に宮古島)
・多良間島は日本で一番の出生率3.14(全島家族ぐるみで子供の世話をするらしい)
・ハブがいる島、いない島に法則はない(水没したことがあるかないか、と思っていましたが、ハブのいない島に毒のない蛇もいるので、そうともいえない)
・飛行機が着陸するのに日没に間に合わないと引き返す南・北大東島(夜間着陸の設備がない)
・宮古島近くの大神島は、聖域も多く宮古島周辺の人も用がなければ近付かない
・沖縄人をウチナーンチュ、でまとめるのは本島の人だけ。
など、時間つぶしにはもってこいの本でした。
ライターは全部で17人、沖縄出身の人もそれ以外の人もいますが、ほとんどが沖縄在住。
住んでいる人によるニュートラルな本で、肩を張らずに読むことができました。
【追記】
「なんくるない」と「なんくるなく、ない」を間違えていました。
「なんくるない」は沖縄を舞台にした小説。
「なんくるなく、ない」沖縄周辺のエッセイです。
今回私が読んだのは、「なんくるなく、ない」でした。
間違えていましたね。失礼いたしました。
- よしもと ばなな
- なんくるない
論語とマンガ評論
マンガ評論が面白くないのはなぜだろう、と常々思っていたのですが、ある評論家が
「評論も芸である」
というのを聞いて、なるほどと思いました。
つまり人材がいないのですね。
そんな中で奮闘しているのが、呉智英です。
今回読んだ「マンガ狂につける薬21」は、雑誌『ダ・ヴィンチ』に1998年2月号から2002年3月号までの4年間に掲載された連載を一冊に纏めたものです。
- 呉 智英
- マンガ狂につける薬21
マンガと本を同時に紹介する、という方式をとっていますが、これがなかなか苦しいですね。
もともと紙面が限られているため、マンガ部分が薄くなってしまいます。
マンガの権威付けのために本を紹介もあわせてやっていると思うのですが、そろそろマンガ評だけで独立ができそうだと思うのですが、いかがでしょうか。
ただ、選ぶ本もマニア向きから大御所まで比較的多方面に渡っており、評論も堅いきらいはあるものの、なかなか読ませます。なんかもう一歩、という感じはありますが。
で、この人はなんだろう、と思って読んだ本が
「現代人の論語」です。
- 呉 智英
- 現代人の論語
論語読みの論語知らず、ということわざがあるように、論語を断片的に知っている人は大勢いると思うのですが、通読した人は知識人でもそうはいないようです。
で、呉智英は論語の面白さにはまってしまい通読すること数十回、この本では、教条主義に利用される以前の原典としての論語の面白さを紹介しています。
500編ある孔子の言行録(以外に少ない)から50編を選び、解説をしています。
間接的には200編以上に触れていて、なんとなく全体を俯瞰して読んだような気になれます。
論語の面白さは、個人的にはその論語自体が教える内容とは別に、孔子の儒に対する確信とその大きな人物像、でも報われない現実と、現実は現実で対応していく器用さ、そして個性的な弟子、たとえば直情型だけど憎めない子路(中島敦にいい短編がありましたね)、頭の切れる現実派の子貢、1を聞いて10を知る、天に愛された才能を持つ控えめな顔回(酒見賢一の「陋巷に在り」で人間味がでました)など、他にも人類最初の思想家としての理解されない悲哀など、盛りだくさんです。
この本も意識して面白さを中心に書いているせいか、宗教的なことや教条的なことは少なく、伝記のように楽しんで読むことができました。
ただ、論語の誤用について何度も述べたり、教条主義の害について述べたりと、ちょっとうるさくはありますが。
さて、いつか論語を通読することがあるのでしょか。
- 中島 敦
- 李陵・山月記―弟子・名人伝
- 酒見 賢一
- 陋巷に在り〈1〉儒の巻
ジョン・ミューア・トレイルを行く
アメリカの自然保護のさきがけとなったシェラクラブの創設者、ジョン・ミューアの名前をとったトレイル(山道?)が、アメリカのヨセミテ公園あります。
この全長340kmの道をほぼ1カ月かけて全行程徒歩の旅です。
自分の食料も寝床もバックに背負い、たった一人で自分のペースで、世界中のバックパッカーの憧れであるこのトレイルを歩く。風光明媚ですが2000-4000Mの高地で、熊も日常的に出る。
なんだかこれだけでぞくぞくしてきませんか。
頂上に登るのだけが登山ではなく、このように長い時間をかけ山の中を歩くことだけを楽しむ、というのはいいですね。
ただ当たり前ですが、やはりこれだけの距離を歩くことは生半可では行かないようです。
もともと登山や重い荷物にも自信があり、かつ八ヶ岳ですんでいるので高度順化も比較的恵まれている筆者ですが、最終的に荷物が40kg以上になり、歩き始めからすぐに足にマメができるアクシデントに遭遇してしまします。そうして、マメの痛みが足首の捻挫につながり、途中でリタイアすることになってしまいます。
リタイアの場面で、長年の夢があきらめきれず途中のキャンプ場で長逗留することになりますが、そこですれ違う人々の優しさはアメリカのバックパッカーの見識の高さが伺われます。
そしてある人の言葉により諦めをつけ、この時はリタイア。
次回はちょっと不本意ながらテレビ撮影班と同行となり、しかし結局は楽しんで完走をはたします。
ジョン・ミューア・トレイルの雄大で起伏に富んだ大自然も魅力的なのですが、そこですれ違う様々な人々、例えばボーイスカウトから女子大生、元気な老人から本職の自然監察官や隠者風の人まで、みなバラエティに富みながらも魅力的で、この人たちとすれ違うためにも行って見たくなります。
また、自然保護に対するアメリカの厳格だが応用の利く保護策は、是非是非日本でも参考にしてもらいたいですね。
筆者の、様々なアクシデントも柔軟に受け止め、力強くやりたいことを推し進め楽しんでいる姿は、なかなか勉強になります。
スポーツ的な登山もいいですが、他の登山に興味のあるかは、その一例(にしてはしんどいですが)としてどうでしょうか。
確かに日本人が住んでいてもおかしくはない。
個人的にノンフィクション作家の中堅どころとして位置付けている野村進ですが、最近何しているのかな、と思っていたらこんな大作を書いていました。
何度か書いているのですが、最近のノンフィクション作家は、昔の争点をうまいこと処理して、マンネリ化した争点の文脈に乗らずに他の面白いところを純粋に書いてくれるので、難のある話題でも肩を張らずに読むことができます。
この本も、サイパンの、日本が第二次世界大戦に突入前後から米軍に占領されるまでを描いていて、問題になりそうな争点はいくらでもあるのですが(右左の戦争問題やバンザイアタック・現地人の話など)、メインを「サイパンにおける日本人の生活」に焦点を当て、サイパンに行くようになった理由から、そこでの商売、そして米軍の占領までを、現地の日本人の目で書いています。
サイパンの主要産業はさとうきびで、初めは無計画な開墾から始まり、頓挫しかけたところにプランテーションの専門家により再計画が行われ、投資が行われ拡大していきます。
それとは別に東北から鍋だけを持ってサイパンまで流れ着き、自分のあばら家に人を泊めたのをきっかけに、宿を経営するようになり一財産築き、成功者として地元に戻りさらに再入植者を募り再びサイパンに向かう者。
そして開戦直前には、日本人町までができ、活況を呈するようになります。
そして最後に開戦・占領についてですが、いつの時代も戦争とはやはりむごいものです。これだけ重ねて書いてきたサイパンの島の生活が、米軍がやってきて家を焼き街を破壊し人々を追い立て、人々が食料や水に飢えていく様子は、読んでいても胸が痛みます。
また、最初と最後で推理モノ仕立てになっている、収容所での日本人同士の殺人も、事情が分かれば分かるほどいたたまれません。
きっと野村進は普段の普通の生活を書きたい人で、それを少し違う角度からみることができる素材で、書いているのではないかな、と想像してしまいます。
ぽっかりと空いてこのまま誰も知らずに歴史に埋もれていくかもしれなかった「戦前戦中のサイパンの日本人の生活」。今までまるで知らなかった生活を知ることができ、何が、というわけではありませんが、興味深い本でした。






