書けるこがとてもありがたいです。
そして書いた内容に反応があることがとても嬉しくて、また書く励みになります。
場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)で不安と緊張が強くて学校生活の中で話せなかった時に救ってくれたことの1つは、手紙を書くことでした。
勉強もできなくて漢字も分からなかったので、平仮名ばかりの手紙だったけど、当時保育園の時の友達との文通が心の支えでした。
その子とは引っ越しで小学校が別になってしまったんですが、とても仲良くしていました。
お互いの家に遊びに行ったりもしていました。
話せなかった私は、友達もいなかったので図書室にいりびたり本を読み、読書感想文を書いたりすることが好きでした。
感想文は、いつも選ばれていました。
それがゆいつ何のとりえもない自分が認められる瞬間だと感じていました。
みんなが当たり前のようにしている『話せる』ということができない。
勉強もできない。
コミュニケーションもとれない。
友達もいない。
ないところだけの自分で
欠陥だらけの自分で
自信なんて湧き上がるわけもなく
こんなおかしい人間は、世界で私1人だけだと本気で思い、1人で悩んでいました。
そんな中で毎回読書感想文で賞をもらっていて、ゆいつ文書を書くことだけが評価されている気がしました。
書くことはずっと好きで、途中漫画家になりたいと思っていた時期もあったけど、高校生くらいの時から小説を書くようになりました。
日記を書いていると悩んでいた事も書くことで自然と答えが出てきて解消されたりすることもありました。
ブログというものができて
私が一番好きな文書で表現するということができて本当に幸せです。
場面緘黙症だった人、今も場面緘黙症の人
敏感な人、自信がない人も
1つだけでいいから自分がやっていて楽しいことをやり続けてみてください。
自分にはそんな所ないよって思ってる方は、まだ自分の得意な事に気づいてないだけです。
こんな私も文章を書くことが好きでしたが、
大人になり、自分が生きていくことに大変だった時期は文章を書くどころではなくて、自分の居場所を探すことで精一杯な時期がありました。
自分のいい所を見つけるなんてそんなこと考えてる暇なんてありませんでした。
状況が変わり、守ってもらえる環境ができた時、
必死にやってきたことをしなくてもよくなった時に
自分の中が空っぽになって何もなくなったんです。
空虚感、虚しいという感情しかなくて
何年もかけて、自分が歌う事が得意なことを発見して
文章を書くことが好きだったことを思い出し、今その二つが自分の生活の中心になっています。
特に歌に関しては、上手くても生きていくうえで何の役にもたたないし
歌を聞いて救われるなんてそんな事ないと思っていました。
でもそうじゃなかったんです。
歌は自分の心を豊かにするものでした。
歌うことで自分の気持ちのバランスがとれて調和されていくのが分かります。
そして歌で心が楽になり救われる人がいることも知りました。
他にも沢山自分が得意な事を見つけました。
まったく自分には何もない
無能な人間だと思っていた私が
今では、才能の塊だと思えるまでになりました。
普通の人にはできないことができるんだ。
だから敏感なんだって自分の敏感さも誇れるようになりました。
誰にでも絶対にその人しかできないことがあります。
自分にしかできない事をすることで人が喜んでくれる。
これが人にとって人生で一番の喜びだと思うのです。
みんなが自分の得意なことに気づき、それを生かして生きることができたらきっとこの世界は幸せで満たされると思います。
それは、目立つことじゃなくてもいい。
笑顔が素敵といういい所をもっている人がいたら、いろんな人に笑顔をむけていくだけで相手が幸せになり、その波動が自分に返ってきます。
目立つ特技がいいというわけじゃありません。
こつこつと自分が得意なことをしていく。
それがいつか開花する日がきます。
自分が得意な事で自分を満たし、周りも満たしながら生きていきましょうね(^^)
こういう思いでいると幸せです。
書いていて幸せな気持ちになります。