自分の人生の中で右にも左にも進まなくて
どの扉をたたいても開かない時期がありました。
長男出産後の産後うつの時期です。
体調は、ぼろぼろで
頭もおかしくなりそうで
立っているのもやっとの中、かろうじで赤ちゃんを育児しながら
身内、身内以外の人、社会的立場の人、自分が知る限りの全ての人にSOSを出しました。
元から助けてと言えなかった私でしたが、
助けてと言ってまわりました。
壊れそうになる精神状態を維持しながら
なんとか自分をこの状況から救い出す為に
言えなかった『助けて』という言葉を言ってまわりました。
それでも誰にもそのSOSは、通じませんでした。
『あなた、どこが悪いの?』
『保育園に預けるくらいならもう助けられない』
『子供を保育園に預けるなんて可哀想』
『何で自分で子供をみられないの?』
勇気を出し助けてを言った結果、私に向けられたのはこのような言葉たちでした。
今までどんなことがあっても乗り越えてきた私が心と身体がぼろぼろになった事と、そんな中でお世話をしないと生きていけない小さな命の重みで潰れそうになりました。
『死んでしまいたい』
生まれて初めて本気でそう思いました。
あの時の私は、生きることに精一杯で
自分の命をなんとか守ることに精一杯で
死にたいという気持ちと自死を選んではいけないという気持ちの葛藤でいっぱいでした。
状況が落ち着いてかなり年月がたった頃
ようやく理不尽な状況だった事に対して冷静に考えることができるようになりました。
最初の方は、怒りと不信感しか出てきませんでした。
でも何年かかけて沢山のいろんな出来事と向き合っていく中で、自分と向き合っていく中で、こんな感情が自然とわいてきたのです。
『神様がいるなら何であんな辛い思いをしていた私のことを助けてくれなかったんだ』
と言っている他人の言葉を耳にして
神様は、いつもいつでも私の傍にいてくれたんだ。
あの産後の辛い中、私の隣でずっと私のことを見てくれていた。
私が死にたいくらい絶望に打ちひしがれている時も
毎日毎日辛くて泣いている時も
誰も理解してくれないと孤独に震えている時も
一人ぼっちだと心が凍りついている時も
ずっと私の痛みを感じながら傍にいてただ、ただ見守っていてくれていたのだと。
この子は、この経験を乗り越えてバネにして
この先、きっと人の為に動く時期がくる。
その為にどうしても必要な痛みなんだ。
頑張れ、君ならできる。
そう信じて見守っていて下さったのだと。
私の傷みを一緒に感じながら
私の成長の為に見守るという深い愛の眼差しで見守って下さっていたのだと。
そして私は気づきました。
見守っているだけじゃなくて、まったく助けてくれなかったわけじゃないと。
私があの絶体絶命の絶望の中で生き続けることを選べたのは
自死は、どんなことがあってもしてはいけないことだということを幼い頃にうえつけられるような出来事があったからです。
この出来事がなければ
私はこの世にいないと思います。
どんなに精神が崩壊しようが、身体が動かなくなろうが、死んではいけないという強い強い思いのみが自分の命を救いました。
時はたち、沢山の経験をしていく中で
アドバイスや助言をするだけはなく
ただ信じて見守ることの大切さを学びました。
見守るということは、とても大きな愛なんだということが分かりました。
自分の大切な人が悩んでいて間違った方向にいっているように見えても、自分ができることをしたのなら、それ以上、何もせずにただ見守るということ。
自分の思いだけで動くのではなく
相手を信じてただ見守るということ。
それが理解できた時に
きっと神様もあの時にそうやって見守って下さったのだと感じました。
私は、あの経験を通じて沢山のことを学んだのです。
深い傷みを知って大きな学びを得たのです。
生きるか死ぬかの絶望的な孤独な戦いは、【死は怖いもの】という認識までも変えてくれました。
生死観を大きくゆさぶり、自分の心の根っこを強くしました。
そして産後うつから少したった頃に
身内が自死しました。
精神状態がおかしくなり
その場の勢いで薬を飲み
飲んだ後に我に帰り家族に助けを求めました。
でも間に合わずに救急車の中で心肺停止になりました。
そしてその亡骸と対面した時に心の中で思いました。
ここに寝ていたのは自分だったかもしれないと。
私も産後うつの時に精神状態が崩壊しそうになり、台所にあった包丁をとってお腹に刺したい衝動をおさえる為に部屋のすみに丸まって必死に『死んだらいけない』と耐えていました。
状況は違うけど同じだと感じました。
そして亡骸に向かって心の中で伝えました。
『辛かったね、苦しかったね、ごめんね気づいてあげられなくて。私、あなたの分まで生きるから。みていてね』
私がこの世で、出来ることをして精一杯生ききること。
それが一番の供養になる。
そう感じました。
本当に見せられたように思いました。
生きていて良かったと思いました。
そのことを身内は、身をていして教えてくれました。
そしてこの世界には、私と同じような経験をして自死を選ぶしかなかった産後うつのお母さんが沢山いることを感じました。
私が経験したこの苦しみのストーリーは、私だけの経験ではないことを感じたのです。
産後うつに限らず、いろんな事で死を選ぶしかなかった人達がいるということ。
死を隣に感じた私だからできることがあるということ。
生きることを選べた自分ができることは沢山あると感じています。
神様は、乗り越えた私に大きなギフトを用意してくれていました。
物心がついた時から誰にも理解されないというテーマを背負って生きてきた私は、産後うつになった時も見事に周りから理解されませんでした。
壮絶な産後うつから5年たった頃にある1人のカウンセラーの方と出会ったのです。
その方は、言いました。
『よく死ななかったね、よく生きてきたね』と。
『本当は、そんなことを言われて傷ついて嫌だったでしょう』と。
詳しく話していないのに私の心のうちを理解してくれる人が現れたのです。
そんな理解者は、少しずつ増えていきました。
『あなたが今のその状態になるまでの葛藤を思うと涙が出てくる、胸がしめつけられるような、そんな切ない思いになる、その年齢でそこまでの学びをしたのね』
そんなふうに言ってくださる方もいました。
神様が用意して下さったギフトとは
心からの理解でした。
無理解の中で生きてきた私だからこそ
生まれて初めて理解してもらえるということにふれた時
涙が止まらなくなり、ありがたくて感謝しかわきおこらなくなりました。
理解があるという状況が当たり前という前提ではないので、とてもありがたく受け取れる自分になっていました。
この一連の思いをする為にあの経験はあったのだと感じました。
あの時の孤独があってこその今の私なのだと。
そして、死を考えてしまうくらい苦しんでいる人の思いは、生半可なものじゃないと分かっているからこそ
このブログでこんな事を書いても伝わらないということも感じています。
分かるから。
死にたいと思う人の気持ちが。
生き地獄を過ごしてきた私だから
誰よりも分かるから。
このブログを読む側の人のいろんな思いが伝わってきます。
だから届くべき人に届いたらいいなと思いながら書いています。
あなたのしている経験は、無駄じゃなくいつかそれが生かされる為にあるもので
神様は、あなたの成長の為に隣であなたの傷みを感じながら見守ってくれています。
あなたを心から愛するがゆえに
人としての成長を願い
あえて手を出さずに見守っていることがあります。
それはあなたが生まれてくる前に決めてきた大きな課題の1つでもあるので、
あなたが乗り越えるまで目に見えないサポートも入ります。
でも自死を選ぶと来世でまた同じ課題と向き合わなくてはいけなくなります。
同じ苦しみとまた向き合うのです。
だから死なないでほしいのです。
生きぬいてほしいのです。
私があの過酷な状況から生きることを選べたのは、この事を父から聞かされたからでした。
信じるのも信じないのもその人の自由なのですが
それが本当でも、本当じゃなくてもその事がきっかけで生きることを選べたのならそれでいいと思っています。
生きることを選べたからこそ
大きなギフトをもらえました。
その物凄い困難を乗り越えて
人の為に動きたいと思い立ち上がる人達がこの世にはいます。
私が出会ったカウンセラーの方も
理解者の方も
沢山の困難を乗り越えて、私に理解ある言葉を伝えて下さいました。
その人がたちが乗り越えていなかったら
そんな言葉をかけてもらうことができないので
私は、理解してもらえる喜びを感じることが出来ませんでした。
だからそんな方達に出会ったら
話す言葉を聞くとすぐに分かるので
『生きて私と出会ってくれて本当にありがとうございます』と感謝の想いがあふれてきて
泣きそうになります。
その方の過程を感じ、ありがたくなります。
その言葉を出す為にどれくらいの年月がかかり、どんな苦しみを味わってきたのだろうと。
感謝しかないのです。
何年間もの間、心の傷と自分と向き合い、どう生きたらいいのか
どんなふうに考えたらいいのかも学び、今でも学びは日々進行してとぎれることがないのですが、
今度は、私がお返しをする番だと思っています。
自分の経験を生かし、人の為に動くということを。
今までカウンセラーの方やその他の方にも沢山お世話になりました。
伝えれることは、伝えて
私だからこそできることをしていきます。