自分の来し方を想う
なんとなく「そうするもんだ」と思い、適当なタイミングで結婚し、なんとなく「そうするもんだ」と思い、子を作り、家庭を守り守られ、二十数年が経った。
自分の子の「行く末」を想う
家というもの、夫婦というもの、子育てというもの、そもそも性というものの、「社会的ロールモデルそのもの」の多様性が叫ばれる時代に育つ、ボンディの二人の娘たちにとっては、結婚も出産も「なんとなく」ではきっと済まされず、一つ一つ自分達の人生設計に当てはめて検討されるべきイベントと見做されるに違いない。
個人の「当たり前」が世間の「当たり前」と見做されにくいのは、ボンディ達の時代と比べて、生き易さも生き苦しさも伴うことだろう。
このように、「健康なる男女とも、適当な時期に婚姻し、適当なタイミングで2~3人程度の子をもうけ、それを養うこと」という、我々の時代までのロールモデルが失われつつあるのは、決して、日本の経済力の低下や、政治の貧困や、共同体が個人を守護する力の減退、といった、日本の社会、政治、経済的問題ではなく、2021年には78億人に達した世界的人口増に歯止めをかけようとする、ヒトという種「一匹」「一匹」の、素朴な「いきもの」としての反応だと、ボンディは感じているところ。
(生物学的「多様性」と違って、社会学的「多様性」には、ヒューマニズムの視点が絡んでいるので、ナチュラリストとしては、なおさら全面的に賛同するわけにはいかないのだけれど、それでも社会学的「多様性」を学ぶことは、自分の内のアンコンシャス・バイアスの気付きヘの貴重な機会になり得る、とは思っている)
又、少子化に関連する、現在の国会内でのドタバタは、「子」に対する国の認識が、「国を養うための将来的資源」であったり、「そのためでこその投資対象」でしかなくて、国民の個人的認識とは全く異なるものであることが、そもそもの論争の発端であるから、そのこと自体はほぼ修正不能、せめて議員やその周辺の者は、無配慮な減らず口を叩かず、無策と言われない程度に少子化に対応する社会サービスの拡充に努める程度のことしか、今の自○党のすることはないだろう。
むしろそれよりも、少子化はここ数百年スパンで国際的に不可避の事態と察し、少子化の中での国家的、自治体的生き残りの戦略を練るのが、この時代に相応しい政治家の態度だと思う。
子は「家庭で」育てるか、「社会で」育てるかで、与党と野党とで揉めてる今の日本政治なんて、本当にうんざり。
子は、家庭と社会の両方で育てるに決まってるんじゃ〜ないんかい!
ということで皆さん、いきものとしてのマインドが高まらない限り、国のために子供を産み育てる必要なんてありませんよ。
これからも日本では、子育てに対する負担感や経済的な不安定感は増大するでしょうし、年金制度、医療、介護保険制度は現行よりかなり窮屈なものになって、税は上がり、サービスは低下することでしょう。
数十年後、何分の1かに人口が減った日本が、それでも、国際的な立ち位置を失わない為に、どんな国作り、人作りをすべきかが、今試されているのです。
国に、ではなく、個人に、ですよ。
政治家に、ではなく、あなたに、です。
ボンディは、日本人の日本人らしい良さとは、「道徳」と「クラフトマンシップ」の尊重だと思っているので、IoTとAIで社会基盤を補完した上で、農耕、工芸、建築、食、機械などの広範な分野で有能な職人を育てる国として、国際的に認知されるようになったらいいな、とぼんやりと夢想しているところです。
そのためにこそ、この国の政治が変わるというのなら、大歓迎なのですけれど、も、ね♡