昨晩に降った雪が、朝日に照らされて とても美しかったので、今回は「雪」をテーマに。

 雪が何故美しいのか、思い付くままに書いてみる。

① 雪は、白い

 雪の結晶自体は無色透明だが、白く見えるのは、結晶が折り重なった状態では、光を吸収せず、乱反射するからだ。

 白は、黒同様、「色を持たない」の意で、侘び寂びの象徴。

 又、青い空との、建物の壁との、雪が着いていない、物の下側とのコントラストによって、より白が白として認識され易いので、素人カメラマンにとっても扱いやすいモチーフになる。

② 雪は、雪(そそ)ぐもの

 雨と同じく、雪は大気を洗い、清浄にする。 「雪辱」なる語もここから来ている。

 一見、雪は白く清らかに見えるが、その実、大気中の不純物をいっぱいくっつけて落ちてくるので、空は少しばかりきれいになるものの、雪そのものは結構汚れたものだ。

 (ボンディは小さい頃、雪を食べてお腹を壊したことがあるので、それ以来、あまり口にしないようにしているが、それが、雪が汚かったからか、冷たかったからかは知らない)

③ 雪は、覆い隠す

 雪は、空に面している全てのものに降り積もる。

 雪は、べたべたと手垢の付いた、人の作為を覆い隠す。

 汚れつちまつた悲しみに

 今日も小雪の降りかかる

 中也は「冷たさ」の象徴として雪を取り出したが、ボンディにはこの雪も、彼の悲しみを慰撫するもののように床しく感じられる。

 雪は音も吸着する。これも又、欠落の美学を尊ぶ、日本人の心に染み入ってくる要素の一つだろう。

④ 雪は、潤すもの

 最後は、百姓らしく。

 冬に積もった雪がその場に留まり、春から夏にかけて雪解け水となり大地を潤すことが、降雨の少ない時季を乗り越えるために、どれだけ生態系の恵みとなっていることか。

 雪の多い地域では雪害に苦しむ人も多かろうが、それでもやはり、雪は、文化の源であり、生態系サービスへと繋がる原資に他ならない。

 なべて、雨も風も雪も雷も、大気圏のホメオスタティックな働きの結果である。そこには何の情緒も存在しない。

 それらは全て、合理によって結ばれていて、本来、一切の情緒も介入出来ないのだ。

 雪は、降りたいから降るのではなく、降るべくして降っている。

 だから、「美しい」。

 
 実は、「美しい」の指し示すものは多岐に亘っていて、人智を超えた、自分達の手に負えないものをもって、人は「美しい」とも言うのだ。

 朝日に輝く雪山の稜線

 凍てつく夜の満天の星々

 そこに、畏怖と敬虔と、恐る恐るの愛着とをもって。

 「美しい」との心の動きは、実に複雑で混沌としている。

 逆に言えば、「美」ヘのアプローチは ひと通りでない、ということだ。(加筆修正の上、repost)