南岸低気圧が近づいてきて、明朝までに東北南部でも まとまった積雪になるだろうという。
今、雪雲の前の、暗く湿気った空を見上げながら、今夜の雪景色を思い浮かべてみる。
ボンディは幼少期、共稼ぎの両親と、歳の離れた兄と、孫の世話をするには高齢の祖父母と、6人で暮らしていたのだけれど、朝から晩まで保育士さんにかまってもらえる保育所の頃までは良かったものの、小学校に通いだすと、学校からの早い帰りの後は、家族揃っての遅い夕飯まで、部屋で一人遊ぶ他ない、長い長い午後の時間を、それこそ、外に出掛けて近所の友人たちと遊ぶようになる高学年くらいになるまでの間の、何年もを過ごしていた。
40、50のおっさんになってから、よくこの頃のことを思い出す。
たっぷりある時間を過ごすにしては、自分のための遊び道具をふんだんには用意してもらえなかったので、親の部屋にあるステレオでレコードを掛けたり、本棚から取り出した本をめくってみたりして過ごすことが多かったように思う。
どちらも無論 親のもので子供向けではなかったから、馴染めるものは少なかったけれど、ある時たまたま、こたつの上にイラストの美しい雑誌が置いてあって、言葉を覚え始めた幼いボンディでも親しめそうな、平易な文章が書かれているものだから、すっかりその本に魅了され、その後、かなり熱心にそのバックナンバーを慈しむように読んでいた。 それが「詩とメルヘン」。
山梨シルクセンター(後のサンリオ)から、やなせたかしを編集長に、1973年季刊誌として出発した「詩とメルヘン」は、同年5月には月刊化し、2003年休刊まで385号が刊行された。
読者投稿の詩や童話に、プロがイラストをつけるというスタイルだから、入りやすくて、親しみやすくて、ボンディは、小学校の1年か2年生の頃から、中学生の初め頃まで、友達の誰にも話したことはなかったけれど、自分のお小遣いで新刊を買うくらいの熱心な読者だった。
ボンディの世界観、自然観の幾ばくかにおいて、やなせたかしや葉祥明の影響を強く受けていることを、中高年の今頃になって、思い出させられる機会が増えた、ということなのだろうか。
雪が降ってきたり、雨が降り込んだり、雷が鳴ったり、風が舞ったりすると、ふいと、昔 口ずさんだ詩の一節が出てきたり、葉先生のイラストの一つが思い起こされたりすることがある。
当時の幼心の中では、一人遊びの寂しさばかりだと思っていたけれど、幼いボンディも、(会うことは叶わなかったが)優しい大人達の、その優しさに包まれていたのだなあと改めて気付かされ、たったそればかりのことだけれど、なんとはなしに、雪の気配を感じている今この時も、これから降るという雪の前にすでに、心はあたたかになっている。
今度の雪はどれくらい積もるのだろうか。
これくらいの湿気だと、ぼったりと重い雪のような気がするなぁ。