輝き
人の目から選んだものを自分がする必要はない。
本当に学びたいから、本当に好きだから。
決めるのは自分自身。
誰にも強制される必要はない。
そうして身に付けたことが最も輝き、
その光りを照らすことが奉仕となるのだと思う。
それは何でもいい。
人の目を気にする必要は全くない。
そう、人は皆、自由なのだから。
何ともいえない時間
昨夜の街は本当に静かだった、人はどこに行ってしまったの?という位。
何とも感慨深いものを感じた夜。
出来ればもうしばらく、この時間の中で過ごしたいと思うがそうもいかない。
何ともいえないこの時間が過去のものになってしまうのに寂しさを覚え、また残酷な気もした。
そして1人自由な時間が出来ると、意外と何も出来ない自分がいることに気が付いた。
そう、結局私は人に頼って生きているのだ。
心の休暇
お盆休み、夏休みも明日までという方が多いことと思います。
私は夏休みとは無縁ですが、このお盆期間は好きです。
電車に乗っても空いているし、
人が混雑したとしても、普段と違って何かに追われているという気が充満していないので、
自然と、よりリラックス出来ます。
普段もこのような良い気が満ち溢れていればいいのになんて思います。
同じように感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
でも実は、自分も何となく暑苦しい気をしっかり出しているもんなんですね。
地球の温度が年々上がってきているので、エネルギーの節約をと分かっていても、
いつの間にか冷房を付けているというのと似ているところがあるのかもしれません。
気が付かないところで、自分が嫌だと思っているものを出しているものです。
たまには、自分自身を見つめられる余裕をもちたいですね。
そして周りに流されることを減らしたいものです。
正しい原則
‘正しい原則とは自然の法則であり、神あるいは偉大な創造主がその源であり、
また私たちの良心の根源であると、私は信じている。
また、人々がこの神聖な良心に沿って生きる限りにおいては、
その本来の可能性を満たすことができ、
それに沿って行動しなければ動物レベルを超えることが出来ないと確信している。
教育や法律だけでは影響できない側面が人間にはあり、
それは神の力によってのみ変えることができると、私は信じている。
人間は自らを完成させることはできない。
正しい原則に自分の生活をどれだけ合わせるかにより、
私たちの中に神の力が宿り、
それに応じて、自分の本来与えられた可能性を発揮することができるのである。’
~(フランクリン・コヴィー副会長)スティーブン・R・コヴィー~
先日、我がヨーガの師が、
‘物事、最終的には自力ではなく、他力です’
とおっしゃった。
そう、最終的な結果は、自分で決められるものではない。
しかし、自力の努力がなければ、理想とする結果とは無縁になってしまう。
‘自力の努力の最後は神任せ’
これが正しい原則なのかもしれない。
当然、ここでいう神というのは、自然界に動いている目に見えない力であり、
個々の内にある魂のことである。
ある一行の言葉
ある禅僧は、どんなに大きなプレッシャーや困難に遭遇しても、全く動じることのない静穏と平安をしめしていたという。
ある人が、
「どうすればあなたのように平常心を保っていられるのでしょう」
と尋ねたところ、
禅僧は、
「私は瞑想の場を離れることはない」
と答えたという。
この一行の言葉の裏には、どれだけ深いものが隠されているのだろうか。