今日は日頃から親しくお付き合いし、「明日のアジアにかける橋」の活動に最大の支援を頂いている建設会社の社長にお会いしました。彼の率いる会社は長年マンション建設に携わり、顧客から大きな信頼を得ています。そこで、今回の耐震強度偽装の問題に就いて、話をお聞きました。

 まず、彼は「安全な建物作りに誇りを持ち、日々尽力している者として、今回の異常な問題に非常なる怒りを感じ、徹底究明を願ってる。」とおっしゃっていました。また「耐震強度計算に問題があることは、設計図を見れば一目瞭然で、建築会社がそれを見逃すはずはない。」「例えば耐震強度が40%と言うのはコンクリートの柱の鉄筋の数が30本から7~8本に減るような異常な設計になる。」と説明してくれました。

 私は、本来物作りに自信を取り戻すべき、日本の産業界がほんの一部の人々の異常な行為により、また信頼と自信を失うことを危惧し、慨嘆せざるを得ません。

 この問題の徹底究明を図ることが、基準に合ったマンションを建設している多くの人々を救うことなると考えます。また、国民の危機感を煽るだけで、問題の本質を見逃してしまうことは断じてあってはなりませんし、私達国民はこの問題の進展を充分注視して行かなければなりません。

山口実

P.S.福岡は今年3月・4月に5強から6弱の地震を経験しており、今回のような耐震強度の偽装がなかったことは証明されていると言って良いでしょう。私達は冷静にこの問題の究明を注視する事が肝要であると考えます。

 

 本日の西日本新聞朝刊に「食卓の向こう側 第7部 生ごみは問う。--ピンポン球--工業製品化した食べ物」と言う特集記事が掲載されています。

 中国で生産している丸いピンポン球のようなサトイモ。整形の為、サトイモの3分の2が生ごみになっていると言う。大いなる無駄!筆者は「見た目の美しさや細部に拘る日本人の気質は、精密で品質の高い工業製品を生み出し、経済発展につなげた。 ただ、いつの間にか食べ物まで工業製品のように扱い、資源、労力を浪費していないか。」と問いかけています。

 私はイラクで「人間の盾」http://homepage3.nifty.com/flora-aoi/human_shield/ として、3ヶ月半飢えに苦しみましたし、女房もおばあちゃんの薫陶の良きを得て、一粒のご飯も無駄にしないので、沢山の食べ残しを見ると「これで良いのか?」と大いに慨嘆します。(もちろん、パーティーなどで許される時は、残り物を必ず「Doggy Bag」でもって帰ります。)

 世界には今も飢えに苦しんでいる子供達が沢山います。このサトイモのケースに象徴されるような、利便性だけの為に貴重な資源を無駄にする今の日本の世の中の傾向を、私達は大いに反省しなければなりません。もちろん、安全についても同じことが言えます。

 昨日愛知県稲沢市で行われた角松ちゃんのコンサートでは千秋さんも来られて、スマイルが歌われたそうです。とても評判が良くて、自分のことのように嬉しいです。

 ところで、Hを発音しないフランス語では愛知とハイチは同じ発音なんですね。予告編でアドゴニーちゃんが喋っているのを聞いて気がついた。(錦織監督って、やはり茶目っ気のある人ですね。大好き!)


山口実

P.S. 正確に言う(私は英語の先生なのですいません)とHaitiとAichiでは語尾の発音は違います。


 昨夜は、女房達ジャズミュージシャンをサポートしてくれているプライベートなジャズクラブの役員の忘年会に出席しました。席上で、クラブ会員に数人の大学生を受け入れることを再度提案しましたが、反応はネガティブでした。役員の多くが70代前後の人々なので、仕方がないと言う感じするのですが、驚いたことに一番若い30代の女性も強く反対をしました。

 私は、ジャズ・ヴォーカリストの連れ合いになったこともあり、スタンダード・ジャズを何とか世の人々に再認識して貰いたいと強く思っていますし、同時にスタンダード・ジャズの音楽性の高さと詩の美しさを認識していますので、できるだけ若い人に聴いてもらえる機会を増やそうと努力しています。

 この年代のギャップは、どこに原因があるのでしょうか?それは人間の寛容さの不足によるものと考えられます。この世の中、皆で助け合うことを考えれば、世代で断絶せず、積極的にコミュニケーションを図る事がとても大切だと考えます。

 年を取った人々も、若い人達を非難する前に、彼らの言動が「自分の鏡だ」と認識し、自分の経験や知識を伝えて行くことが大切だ思います。その意味でも、スタンダード・ジャズを若い世代に伝えて行きたいのです。

 このことは、角松ちゃんのファン層に就いてもいえることだと思います。世代を超えた彼のファンが増えているのはとても喜ばしいことですし、若い人たちにも、もっともっと角松ミュージックに触れて貰いたいと思います。先日の大学での講義は、その出発点だと考えています。 山口実


 

『目を閉じて想い出せるだけ 笑顔を映し出そう

 悲しみに立ち止まる時でも 僕らはいつも支えあえる


 まだどれほどの 叶えられない想いがあるのだろう

 手を伸ばせば

 僕らはいつでも、たとえ離れた場所でも

 お互いを 感じ合えるだろう

 それはまるで奇蹟でも 夢物語のようでも、

 信じあえばできること


 手のひらを合わせる想いは 誰だって綺麗なもの

 疑いやいさかいのある部屋 そこから出ておいで今すぐに
 もうどれだけの時が流れ去ってしまったとしても
 遅くはない

 どんなに遠くにいても、あなたが笑顔で

 いつまでもいてくれますように

 それは想いある限り この命のある限り

 毎日願い続けよう


 僕らはいつでも たとえ離れた場所でも

 お互いを 感じあえるだろう

 それは奇蹟でも 夢物語のようでも、

 信じあえばできること


 どんなに遠くにいても あなたが笑顔で

 いつまでもいてくれますように

 それは想いあるかぎり、この命のあるかぎり

 毎日歌い続けよう


 僕らはいつでも たとえ離れた場所でも

 お互いを感じ合えるだろう

 それは奇蹟でも 夢物語のようでも、

 信じあえばできること  』


山口実


 「この明日のアジアにかける橋(BOAD)のブログでなぜ映画ミラクルバナナのことを取り上げるのか」と疑問に思われている方がおられるかもしれませんので、一言説明させて頂きます。

 確かにこの映画の舞台はアジアではない中米のハイチですが、この映画が象徴的に捉えている、平和・貧困・環境・国際貢献などの問題は、このBOADの活動の本質と合致しています。また、何よりこのような良質な映画を観た人々が、更に優しい心を持つことは私達の強く望むところです。従って、BOAD九州としてはミラクルバナナが出来るだけ多くの人々の目に触れるよう、できる限りの努力をします。

ところで、先日の角松ちゃんの講義のビデオを昨日入手し、一人で見ながら悦に入っております。この幸せ誰かに分けてあげたいなあ。

山口実


 今週号のサンデー毎日の岩見隆夫さんのサンデー時評を読んでいたら、「悟性」に就いて書いていました。三省堂の大辞林によると「悟性」の意味するところは、

『〔(ドイツ) Verstand; 英 understanding〕〔哲〕
(1)広義には、論理的な思考を行う能力・知力を指していう語。知性。
(2)カント・ヘーゲルでは、さらに理性とも区別される。
(ア)カントでは、理念の能力である理性と異なって、感性に受容された感覚内容に基づいて対象を構成する概念の能力、判断の能力をいう。
(イ)ヘーゲルでは、具体的普遍の認識に至る理性に対して、物を個別的・固定的にのみ見て統合しえない思考の能力、非弁証法的な反省的・抽象的認識能力をいう。』

とのこと。

 私は先に感性やImaginationの大切さに就いてお話しましたが、「悟性」は豊かな感性やImaginationで捉えたことを理解(understand)し判断する、より進んだ能力のようです。考えるに、「悟性」を得るには「天から与えられた才能」も必要ですが、経験に裏打ちされた知識の蓄積が不可欠でしょう。

 岩見さんは、先に亡くなられた(我が敬愛する)後藤田正晴さんを「悟性」の人と認識されていました。

 角松ちゃんやうちの女房も「悟性」の人、おそらく錦織監督も「悟性」の人なのではないでしょうか。

 私も早く「感性」の人から「悟性」の人になりたいと考えています。

山口実

角松ちゃんの先日の講義の記事が本日の朝日新聞夕刊に掲載されました。

皆さんには報告が遅れましたが、九州にお住まいの方は、4面をご覧下さい。

結構纏まった良い記事です。


山口実

 日常的な平和や幸せをもっと大切にすることが肝要なのではないでしょうか。

私は、あの偉大なるトランペッターで歌手のサッチモ(ルイ・アームストロング)の"What a wonderful world!"と言う歌が好きで、大学の英語の勉強でも教材にしているのですが、何気ない日常のやり取りから平和や幸せを感じる感性やImaginationがとても大切だと考えます。

 最近天変地異やテロや異常な事件が続き、テレビではそのニュースやワイドショーでの報道が続きます。そんな中で私達の感性やImaginationが鈍化する傾向にあると危惧します。その意味でも、ミラクルバナナのような日常の幸せを感じさせる映画はとても貴重であると考えます。

 一方で、私達日本人が日常と感じることが、他の国の人にとって非日常的な幸せや喜びである場合も多々あります。例えば、私が3ヵ月半人質として拉致されていたイラクは1970年代までは、中東で一番裕福で平和な国でした。それが、今や貧困と争乱が日常茶飯事の国になっています。彼らにとっては、腹一杯のご飯を食べるだけでも非日常的な喜びとなるでしょう。ミラクルバナナの舞台であるハイチは失業率が75%と聞きます。バナナの葉から紙を作ると言う「奇想天外」ではない日常的なことも、ハイチの人々にとっては「新しい仕事を生み、平和を喜べる」非日常的なことだと考えます。

 私が言いたいのは、日本でも日常的なことがいつ非日常になるかも知れないし、非日常的なことがいつでも日常となリ得ると言う事です。つまり、私達は平和ボケが戦争ボケに進行せぬように、皆で考え行動していかなければなりません。


山口実