徒然草子

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8 存在論
(1)実体と偶有
ムアタズィラ派においてこの世界(アーラム)の事物、すなわち、神を除く全ての存在者、換言すれば、神の被造物を意味するが、それらは実体(ジャウハール)と偶有(アラド)から成るとされている。此処で実体とは延長を有し、かつ場所を占めるものを意味し、一方、偶有とは実体に宿る諸性質、例えば、色、生、死、意志、力等の類を指す。そして、二つ以上の実体が結合して構成された存在者を指して物体(ジスム)と称される。
さて、事物の存在に際して実体と偶有は必ず結合しなければならないのかという問題に関してはムアタズィラ派内部において諸説があり、例えば、フザイル派では偶有無き実体の存在を肯定したが、一方でアル・カービー(931年没)は偶有の無い実体の存在は有り得ないと主張した。以上の通り、実体と偶有の関係に関しては同派において一致を見ないのであるが、しかしながら、実体が、一度、偶有を受容した場合、偶有を脱する事はできないという点に関しては意見の一致を見ていた。
ところで、偶有の中には、その性質上、一つの実体の中において他の偶有と共存できるもの(例えば、色と生。)もあれば、互いに反対者の関係にあって共存できない偶有(例えば、動と静。)もある。もし、互いに反対者である様な偶有の場合、いずれかの反対者がその実体から消滅して初めて他方の偶有がその実体に存在することができるとムアタズィラ派では考える。
又、ムアタズィラ派では、これら実体と偶有が永遠的なものと考えない。と言うのは、ムアタズィラ派では永遠性こそが神の本質と考えるから、被造物である事物存在者を構成する実体と偶有に永遠性を認めてしまうと、それらも神と並んで無始の過去から未来永劫にかけて存在する事になり、その事は神の唯一性に反するから、実体と偶有は共に時間的存在でなければならないと見る。又、実体自体も偶有により限定され、実体を限定する偶有も、又、反対者の関係にある偶有と交代して消滅するものであるから、実体も偶有も非永遠的なものと言わざるを得ないと見られている。
さて、この世界の存在者は実体と偶有から成り、それらは永遠的なものではない事を見てきたが、そうした事物が存在する為には原因がなければならない。原因があって初めて存在し得る(可能)という意味では事物存在は可能的存在である。この事と対比する形で神の存在に触れると、神自身はその存在に関しては他の原因を要せず、自身の必然性そのものによる存在であるから必然的存在であるとムアタズィラ派では考える。

(2)原子論
ムアタズィラ派において実体とは具体的には原子(ジャウハード・ファルド)と解されている。ムアタズィラ派における原子論の起源に関しては、古代ギリシアのデモクリトスの原子論とする説、インド仏教の部派の一つである説一切有部の原子論とする説等があり、明確ではないが、同派における最初の原子論の主唱者はアブー・フザイルと言われている。因みにムアタズィラ派の原子論は後にアシュアリー派にも継承され、発展させられる事になる。
ところで、原子論に関してはムアタズィラ派において一致して承認されていた訳ではない。
例えば、ナッザームは数学的に無限小な点である原子が相互に結合する事は有り得ず、物体は無限に分割する事が可能であるとして原子論に反対した。かかるナッザームの説に関しては、アブー・フザイルは神が点を三次元化することにより相互に結合することができると反論した。
ナッザーム以外にもアブー・バクル・アル・アサンムが原子論に反対したが、彼は物体自体が可視的な質であるから、質自体を物体から独立させる事はできないと主張し、原子論を論じる事自体、無意味であるとした。これに対してアブー・フザイルは人間がイスラーム法(シャリーア)に反した場合に罰せられるのはその人の人格そのものを責めているのではなく、その人の行った行為を責めているのであるから、アサンムの説はイスラーム法(シャリーア)の考えに反すると主張した。
尚、ムアタズィラ派の原子論に関しては、次の様な主張が知られている。
①物体は原子から成っている。

②匂いは空気中に散在する原子と関係を有する。

③味は諸原子の効果である。

④光は空気中に散在する原子から構成されている。

⑤物体の貫通は不可能な事ではない。
※但し、全ムアタズィラ派一致の見解ではない。

⑥物体を構成する原子がその物体から跳躍する事は不可能なことではない。尚、物体から原子が個別に跳躍する場合、その物体そのものの同一性は保たれていると言う。
※但し、全ムアタズィラ派一致の見解ではない。

(3)『コーラン』創造説
伝統的信仰において『コーラン』は神の言葉として神とともに永遠にあったものであって創造されたものではないとされる。
これに対してムアタズィラ派では『コーラン』は永遠の存在では無く、飽く迄、神の創造にかかるものと看做される。かかる主張を『コーラン』創造説と呼ぶ。
ムアタズィラ派によれば、先ず、永遠性とは唯一なる神自身の本質のみを指すものであり、神の言葉を指すものではないと言う。更にムアタズィラ派によれば、言葉とは思考を表現する配列された子音と区切られた音とされ、又、ジュッバーイーの様な例外を除けば、言葉は話者が自身の相手に発語する事により初めて存在し得るものであり、発話される以前においてはそもそも言葉自体が存在していないとムアタズィラ派では考える。従って、『コーラン』の言葉は永遠に存在していた訳ではなく、神が預言者ムハンマドに発話する事で初めて存在したものであるから、ムアタズィラ派では『コーラン』は神により創造された被造物と考える訳である。
又、更に『コーラン』に関して次の様に言われる。すなわち、『コーラン』は神の啓示であるが、その言語はアラビア語である。又、その内容も明らかに預言者ムハンマドが生きた時代のアラビア半島の状況を前提とした時間的かつ空間的に限定されたものである。従って、『コーラン』はある特定の時代の特定の場所の人々を対象に下された神の啓示であるから、永遠的なものとは言い難いと言い、もし異なった時代の、異なった場所の人々に啓示が下された場合、『コーラン』は現在のものと異なった内容のものになったと考えるべきであると言う。

9 政治思想について
以下、ムアタズィラ派の政治思想に関して、箇条書きにして簡単に見てゆこう。
〇正義の実現の為には武器を採って戦わなければならないことがあると主張した。
〇正統カリフや教友に関して絶対視乃至理想視する事は無く、評価や批判は許されるとした。
〇正統4カリフの評価に関して、初期のムアタズィラ派の多数説はアブー・バクルを以て最高としていたが、後期ムアタズィラ派においては第4代カリフのアリーを以て最高と評価する様になった。かかるカリフの評価の変化の背景には後期ムアタズィラ派が今日のスンニー派の正統派陣営に対して守勢に立たされる様になり、その結果、同派が次第にシーア派に接近していった事情があるものと考えられる。

7 神の正義
(1)神の正義
神が正義である事に関してはイスラーム内部において何ら異論は無い。しかしながら、神の正義とは何かを巡り、ムアタズィラ派とその反対派の間で意見の対立が存した。
ムアタズィラ派によれば、行為は本質的に正義であるものと本質的に不正であるものとに二分される。例えば、神に服従する者に賞を与え、罪人を罰する事は本質的に正義である。一方、神に服従する者を罰し、罪人に賞を与えることは本質的に不正であり、かかる不正は絶対的な正義である神のよくする所ではないと言い、又、神が自身の被造物である人間に自由意思と行為能力を与えずして罪悪に関与させ、その上でその者を罰する事は醜悪であり、不正に他ならず、やはり、絶対的正義である神のよくする所ではないと言う。要約すれば、ムアタズィラ派によれば、神は正義のみを創造し、決して不正を創造する事はないと言い、人間による不正な行為は専ら人間の意思と行為能力の創造によるものであって神が創造するものではないとされる。というのは、もし、人間の不正な行為も神の創造によるものとすれば、それは神の正義に反する事になり、その結果、神は不正の創造者と言う事になるからである。
更にムアタズィラ派によれば、神は自身の約束を破る事は無いと言い、何となれば、約束を破る事は不正に他ならないからであると言う。実際、『コーラン』にも次の一節がある。
「本当に神は決して約束を違えられない」(第13章第31節)
だから、罪人達は間違いなく神に罰せられるのであり、その死を迎える迄に悔いることの無い限り、決して許される事は無いとされる。
又、ムアタズィラ派によれば、神は人間に不当な苦役、換言すれば、人間の手に負えない苦役を課する事は有り得ないと主張する。というのは、『コーラン』にも以下の一節があるからである。
「神は誰にも、その能力以上のものを負わせられない。」(第2章第286節)
従って、ムアタズィラ派によれば、基本的に人間の行為によってもたらされる不正や悪の結果は人間自身の責任であり、神が何ら責任を負うべきものではないとされる。
だが、その一方で災難や不幸、更にはその苦しみが当該人の行為を原因としない、所謂、義人の苦しみといったものが存する事をムアタズィラ派は認める。これらに関して、ムアタズィラ派は、かかる苦しみにある者には神による(死後における場合も含む)救済の補償があるから、これらの事態自体は神の正義に反するものではないと主張するのである(※1)。
※1:今日の正統派神学の一派であるアシュアリー派神学の祖アシュアリーの師であり、かつムアタズィラ派神学の学匠であったジュッバーイーは、不信心者が普通に生きている事に関して、神は彼等が悔いる事を知っているからであると主張したと言われている。かかるジュッバーイの正義論に関して、以下のエピソードが伝わっている。
ある時、アシュアリーは師のジュッバーイーに対して、敬虔な信者である兄、不信心者である弟、そして幼くして亡くなった末弟の死後の運命に関して尋ねたと言う。この問いに関して、ジュッバーイーは兄は神により天国で恩賞を受け、弟は地獄で罰せられ、末弟は恩賞を受ける事は無いが、罰せられる事も無いと答えたと言う。
これに対して、アシュアリーは末弟は神により天国に迎えられたのではないかと改めて尋ねた所、ジュッバーイーは、神が末弟の命を幼時に奪ったのは、彼が長じて不信心者になる事を知っていたからであると答えた。
すると、アシュアリーは、それならば、何故、神は不信心故に地獄において苦しんでいる弟に関して、末弟の場合の様に幼時にその命を奪って来るべき地獄の罰から救わなかったのかと尋ねた所、ジュッバーイーは黙ってしまったと言う。


(2)普遍的理性と道徳律

ムアタズィラ派は人間の理性(アクル)を重視し、理性主義的神学を唱えたとして知られているイスラーム神学の一派である。
ムアタズィラ派によれば、人間は理性により真理の認識が可能であり、更に理性こそが真理の標準であると主張するが、かかる理性や真理は神に由来するものとされる。そして、神に由来する真理は事物においては事物の真理となり、そして、人間社会においては道徳律になると看做されている。
ムアタズィラ派によれば、かかる理性はおよそ人間である限り、ムスリム、非ムスリムの別を問わずに付与されているものであり、又、真理も場所を問わない普遍的なものである。従って、イスラーム世界外においては真理は理性により見出されてきたのであり、それ故、イスラーム以外のギリシア、ユダヤ、ペルシア、インド等の諸宗教諸思想においても、イスラームとは外形は異なるとは言え、真理の発露が見出されるのであり、理性の働きさえあれば、必ずしも聖典『コーラン』の様な神の啓示が無くても、人間は高遠な真理に到達する事ができる。だから、イスラーム世界外に由来する諸学問も否定されるものではないと言い、又、イスラーム世界外においても道徳律に適った優れた人間が存在する。これらを踏まえて、ムアタズィラ派は聖典『コーラン』に関しても理性の目を通して読み、解釈されなければならないと主張するのである。
理性は神に由来し、人間に付与されているものではあるが、但し、理性を付与されているという事は直ちに人間が真理に到達できる事を意味するものではないし、この事は経験的に知られる事である。
其処でムアタズィラ派は人間の成長とともに思考能力が向上する事により理性による真理認識が段階的に可能になると考えたが、フザイル派の祖アブー・フザイルの場合、以下の通りに整理している。

①幼年期の段階
十分な思考能力は無いが、自身の存在を自覚し、肉体と霊魂に関して知り始め、道徳的責任を知る様になる。

②少年期の段階
神の唯一性といった神に関する諸問題について明確な認識は無いが、神の存在や道徳的責任について自覚を有する様になる。

③完成の段階
神や道徳律に関する諸問題に関して理解を有する様になる。

ところで、ムアタズィラ派において理性による真理把握の問題とは認識(イルム)の問題に他ならない。かかる認識の内実に関して初期のムアタズィラ派は認識対象をその存在態様に即して確実感を以て信じる事と定義されたが、当該定義によれば、他人からのある事柄の伝聞を無批判に受容し、確信する事も認識に含まれてしまう。例えば、ある人が第三者から神の存在について教えられ、そのまま確信する事も認識という事になるが、この場合、理性の働きを見出す事ができないから、理性的認識を主張するムアタズィラ派にとって背理に他ならなかった。
其処で後期ムアタズィラ派では認識の定義を修正し、認識対象をその存在態様に即して必然的かつ自明的、若しくは正しい推理を通じて確実感を以て信じる事とされる様になった(※1)。
此処で必然的かつ自明的な確実感を伴う認識対象の把握とは、認識対象の真理に関する真理の自明性及び必然性故の直観を指し、それは理性の指示によりその内容が直ちに確定される事であり、この場合における理性的認識において何ら論証を要しない。
一方、正しい推理による確実感を伴う認識対象の把握とは、正しい論拠とその論拠の指示に厳密に従って確実な正しい知識を得る事であり、ムアタズィラ派によれば、推理が正しければ、必然的に正しい結果を導出する事ができると言い、かかる正しい推理を成立させるものが理性であるとされる。
以上の理性と認識の議論から伺える様に、ムアタズィラ派において理性が非常に重視された事が伺え、同派の神学の性格が理性主義的神学と呼ばれる所以の一端も上述より知られる訳だが、しかしながら、ムアタズィラ派自体は、別段、近代ヨーロッパ的な意味での理性の自立を目指した訳では無い。彼等は、上述のアブー・フザイルの説から伺える様に、理性による真理の探求こそがこの世界の創造主である神へと至る道、換言すれば、神の認識へと至る道と信じていたのであり、又、同時に道徳律の修得と人間としての徳の向上に資すると考えていた。要約すれば、ムアタズィラ派における理性的認識の重視と探求とは、神への信仰を深める為であるとともに人間としての倫理性の向上を目指したものであった。
※1:後期ムアタズィラ派の巨匠カーディル・アブドゥル・ジャッバールはその著『ムグニー』において認識とは信に属すると主張し、認識を以下の通りに定式化する。
すなわち、認識とは認識主体と認識対象との関係において必然的に認識主体に心の平静をもたらす事であり、その時、信は認識対象の存在態様に即して結びついていると言う。そして、もし、信がその存在態様に即して結びついていないのであれば、それは無知(ジャハル)であると言う。
又、存在態様に即して結びつきつつも、心に平静をもたらしていない場合、その状態は無知とは言えないものの、認識と言う事はできないとされる。此処で心の平静をもたらすとは確信と言い換えても良い。

(3)人間の行為と道徳律

ムアタズィラ派によれば、人間の行為は無意識的行為と意識的行為に二分される。
前者の無意識的行為とは、ムアタズィラ派の神学者イスカーフィーによれば、認識や意志伴わず、事前の考慮も無く行われる行為と定義されるが、具体的には顔色の変化など人間の意志に関わらず起こる行為とされ、それらは神の創造にかかる行為とされる。
一方、意識的行為とは、イスカーフィーによれば、事前の配慮が存し、当該行為の実行が可能な人間による意志の決定に基づく行為と定義され、又、ナッザーム派の祖ナッザームは実行可能な選択肢の中からの意志による選択の決定の表示と捉えた。
更にアブー・フザイルは意識的行為においては意志による決定が当該行為の重要な要因であると述べ、更に意識的行為の決定に際してはそれに先行する意志と能力も存しなければならないと指摘した。と言うのは、意志に基づく行為においては当該行為を行おうとする意志の決定とその決定を実行に移すだけの能力がなければ成立しないからである。
上述より、アブー・フザイルらは人間の意識的行為は当該行為に関する人間の能力、意志、実行より構成されているとして分析を行ったが、ジュッバーイーはアブー・フザイルらの分析を定式化して、人間の能力はその行為に先行して存在し、行為は人間の意志に直結していると述べた上で、意識的行為とは人間に由来する人間固有の行為であり、それは人間自身による行為の創造であると主張した。
上述のジュッバーイーの説はムアタズィラ派諸派が一致して認める所ではあるが、此処でこれらの教説を改めて纏めると、人間には予め神から付与された能力の限度内において行為の実行可能性が存しているのであり、その上で、意識的行為とは、存在している実行可能な複数の行為から人間がその自由意志によって任意の特定の行為を選択し、実行したものを指すと言う事ができる。
さて、これまで見てきたムアタズィラ派の教説に従えば、人間は自身の自由意志によりその能力の限りにおいて自身の行為を創造する事ができる以上、人間はその行為について責任を負わなければならないし、その行為の善悪により神から賞罰を受ける事になる。例えば、『コーラン』には次の一節がある。
「本当に信仰して善行に励み、礼拝の務めを守り、定めの喜捨をなす者は、主の報奨を与えられ、恐れも無く、憂いも無い。」(第2章第227節)
「あなたに訪れるいかなる幸福も神からのものであり、あなたに起こるいかなる災厄はあなた自身からのものである。」(第4章第79節)
「人間と石を燃料とする地獄の業火を恐れなさい。それは不信心者の為に用意されている。信仰し、善行に勤しむ者達には、彼等の為に川が下に流れる楽園についての吉報を伝えなさい。彼等は其処で糧の果実を与えられる度に、「これは私達に、以前、与えられた物だ。」と言う。彼等には、それ程、似た物を授けられる。又、純粋は配偶者も授けられ、永遠にその中に住むのである。」(第2章第25節)
上掲の『コーラン』の章句はムアタズィラ派の教説の聖典上の根拠でもある。その上、『コーラン』には、
「神は誰にも、その能力以上のものを負わせられない。」(第2章第286節)
という章句もあるから、人間が負うべき責任とはその人間が有する能力の範囲における惹起可能な結果に対するものであるとし、絶対的な正義にして善なる神は人間に対して決して不当な事は行わないとムアタズィラ派は考える。
それでは、神の賞罰の対象となる行為の善悪の基準、すなわち、道徳律は何によって見出されるのであろうか。同派によれば、前節において見てきた様にそれは理性によって見出されるとされる。
ムアタズィラ派によれば、道徳律は理性的認識を通じて発見されるものであり、前節において概観した認識論と同様、道徳律も自明なものと正しい推理によって見出されるものとがあると言う。尤も正しい推理による道徳律の発見の場合、先ず自明的な善、或いは悪の事柄を基礎とし、それと与件としての事実とを比較する事で推理を進めてゆくことになる。
上述より推理による道徳律の発見において自明的な善悪の直証の存在が前提となる訳であるが、此処で自明的直証の基準となるものが正常な判断能力を有する人間であると言う。例えば、川に溺れた人間を助ける事は善行であり、又、忘恩の行為が悪である事は正常な判断能力を有する人間にとっては自明な事であり、それはムスリムであろうと、非ムスリムであろうと、およそ理性があり、正常な判断が可能な人間である以上、当然の事柄である(※1)。
従って、ムアタズィラ派によれば、理性を有し、正常な判断能力を有する人間が理性的に悪と判断される行為を敢えて行う時、それはその者が自身の意志により神に由来する自身の能力を用いて当該行為を好んで行っている事を意味するから、その結果、絶対的正義である神から罰せられたとしても、それは至極当然の結果であり、何ら同情すべき事ではないとされる。それ故、最後の審判において預言者ムハンマドがムスリムの為に神に執り成しを行うと言う伝統的信仰もムアタズィラ派においては否定される事になる。
当節の最後にウマイヤ朝時代において大きな問題となった行為と信仰の問題に触れる。イスラーム初期の分派であるハワーリジュ派によれば、行為がイスラームの戒律から逸脱した場合、当該行為者は、最早、信仰を失った背教者に他ならないと主張し、一方、政治的立場としてはウマイヤ朝に近かったムルジア派はその行為が戒律から逸脱しても、その程度に関わらず、信仰を失った事にはならないと主張した。
上述の行為と信仰の問題に関して、ムアタズィラ派の多数派は両者の中間の説を採り、その罪が重大な場合は、最早、ムスリムとは言えないとし、一方で軽微な場合、その行為により直ちに信仰が失われる訳では無いと主張した(※2)。当該説はムアタズィラ派の始祖と伝えられるワーシル・イブン・アターウに由来するものと言われ、この説を称えたが故に、信仰と戒律が合致しない者は似非信者(ムナーフィク)であると主張した師のハサン・アル・バスリーと対立する事になったと言われている。
※1:ムアタズィラ派によれば、神の啓示(『コーラン』やイスラーム法など)は理性により見出される善悪の判断を強化し、その細則を示したものとされる。

※2:ムアタズィラ派内部においてもアブー・バクル・アル・アサンム(816年頃没)らの様にムスリムが重大な罪を犯したとしても、彼自身の信仰告白と従前の善行により彼はムスリムであり続けるとする説があった。
6 神の唯一性(タウヒード)
(1)序説
神の唯一性(タウヒード)に関する議論をイスラーム神学においてタウヒード論と言う。ところで、タウヒードという概念は意外に多義的で、以下に挙げる様に更に4つに分類することができる。

①アル・タウヒード・アル・ドゥハティ
神は本質は一なるものであり、他に比すべきものが無いユニークなものとするタウヒード。『コーラン』には次の様な章句がある。
「彼に比べられるものは何もない。」第42章第11節
「彼に比べ得る、何ものもない。」第112章第4節

②アル・タウヒード・アル・シファティ
神の属性と伝えられる神の知識、力、生命、意志、知覚、聴覚、視覚等は神の一なる本質の現れの単なる比喩に過ぎず、それらは何らリアリティーの無いものとするタウヒード。

③アル・タウヒード・アル・アファティ
この世界の存在者や現象、更には人間の行為も神の意志の現れであり、又、それらは神の聖なる本質の顕現と見るタウヒード。

④アル・タウヒード・アル・イーバディ
一なる神の他に何者も信仰してはならないとするタウヒード。

上記のタウヒードの内、①から③までは神と被造物の関係、或いは神的本質の問題に関するタウヒードであり、④は被造物側の行為に関するタウヒード、具体的には礼拝行為に関するタウヒードであり、一なる神のみが礼拝の対象に値するという主張のタウヒードである。
これらのタウヒードの内、①と④はイスラームの最も基本的な教義であり、イスラーム内部において原則的に異存は無い(※1)。ムアタズィラ派を取り上げる上で問題となるのは、上記のタウヒードの内、②と③との関わりである。
先ず③のアル・タウヒード・アル・アファティに関しては、別述する通り、ムアタズィラ派は人間の意識的行為は人間自身が創造するものであるという立場を採るから、当該タウヒードは否定されるが、一方、スンニー派の正統派神学であるアシュアリー派においては全面的に肯定される。
一方、②のアル・タウヒード・アル・シファティに関しては、ムアタズィラ派は全面的に肯定し、アシュアリー派では否定される。
此処でムアタズィラ派のタウヒード論を仔細に見てゆこう。
神の本質に関してはムアタズィラ派は全派一致して永遠性を挙げる。ムアタズィラ派では永遠性は神の存在の本質を意味するが、それは神が無限の過去から存在し、かつ現在も存在し、これからも未来永劫に亘って存在するという事である。そして、ムアタズィラ派はこの永遠性以外の如何なる本源的属性、乃至永遠的な性質というものを認めない。そして、神の知識、力、生命、意志、知覚、聴覚、視覚といった『コーラン』にも登場する神に関する叙述は神の本質から派生した性質であって、しかも、それらは、神が如何なる被造物と比べ得る存在では無い以上、我々人間が、通常、観念する様なそれではないし(「彼に比べ得る、何ものもない。」第112章第4節)、又、それらは神の内において永遠に内在していたものではないという。何故ならば、それらの諸属性諸性質が神自身の存在とともに永遠なるものであるとすると、それらも神自身の本質である永遠性を分有している事になり、永遠性を本質とする神自身と並ぶ存在を認める事になるから、神の唯一性と矛盾する事になると考えるからである(※2)。
以上からムアタズィラ派では永遠性のみを神の本質とし、神の知識、力、生命、意志、知覚、聴覚、視覚といった諸属性諸性質は神にとっては全く派生的なものであり、又、それらは我々人間が、通常、観念する様なそれではないと論じられるが、其処で今度は神の知識、力、生命、意志、知覚、聴覚、視覚といった諸属性諸性質は如何なるものかが問題となり、ムアタズィラ派内部において熱烈な議論が交わされたが、以下にそれらの主要なものを概観する事にする。
※1:ハンバル派の流れを汲むワッハーブ派はスーフィズムで見られる聖者信仰やシーア派のイマーム信仰は④のアル・タウヒード・アル・イーバディに反すると主張するが、スーフィズムやシーア派の方は聖者信仰やイマーム信仰は神への仲介を依頼するものであり、聖者やイマーム自体を礼拝するものではないと反論する。

※2:かかるムアタズィラ派の議論の背景にはキリスト教の三位一体論に対する論駁意識があることが推察される。

(2)神の知識と能力
神に知識があるという意味に関して、ナッザームをはじめバスラやバクダードのムアタズィラ派の多数説は神は知者であり、能力者であるという意味に過ぎないとした。更にナッザームは神に知識があるという事は、神の本質における無知の否定の意味であり、又、能力があるという事は、神の本質における無力の否定の意味であると論じた。
別の一派は神の知識とは神の認識対象の意味であり、又、神の能力とは神によって実行されたことを指すものと解した。
アブー・フザイルらフザイル派は神の知識や神の能力とは神自身を指すと解した。
アッバード・イブン・スライマーンらは神に知識や能力があるとは言えないし、無いとも言えないとした。
アブー・ハーシム(993年没)は状態(ハル)という概念を用いて、神に知識がある、能力があるという意味は神の内において知っている事の様態や能力があることの様態の様な永遠なる状態が存在する意味と解した。

(3)神の生命

神が生命を有するという事は神が人間と同じ意味で生きているという事を意味するものではない
とナッザームをはじめバスラやバクダードのムアタズィラ派の多数説は主張した。
アブー・フザイルらフザイル派は神の生命とは神自身を指すと解した。
アッバード・イブン・スライマーンらは神に生命があるとは言えないし、無いとも言えないとした。

(4)神の意志
神が意志を有するとは、アル・カービーらは神が何かを創造するという意味であり、人間に対して何かの行為を欲するという事は神が当該行為を命じる事を意味するとし、人間の様に意志を有するという意味ではないとした。
ナッジャールは神が意志を有するという意味に関して、その本質上、欲する者の意味であると解し、他者から絶対的に強制されないという意味であると解した。

バスラのムアタズィラ派は有始的なものを欲する事は有始的な意志を有するからであると解する。というのは、凡そ意志とは有始的なものであり、意志内容が有始的なものである以上、意志自体も有始的ならざるを得ないと解したからである。

(5)神の聴覚、視覚
神が聴覚、視覚を有するという事は神が人間と同じ意味において聴き、視るという事を意味するものではないとナッザームをはじめバスラやバクダードのムアタズィラ派の多数説が主張した。
一方、一部のムアタズィラ派は神は本来の意味で神は聴き、視ると解した。
アッバード・イブン・スライマーンらは神に聴覚や視覚があるとは言えないし、無いとも言えないとした。
アル・カービーやナッジャームは神が聴覚や視覚を有するという事は認識対象をあるがままに正確に認識することを意味すると解した。
ジュッバーイーは神が聴覚や視覚を有するという事は神が生きていて、欠点が無いという意味に解した。

4 ムアタズィラ派の基本信条(ムアタズィラ派の五原理)
既述の通り、一言でムアタズィラ派と言ってもその主張は学派や学者によって多種多様であるが、以下に挙げる五つの信条は同派の基本原理として一致して認められていたと言われている。

①神の唯一性(タウヒード)
神の絶対的唯一性を受け入れるとともに、神における多性や属性に関しては唯一性に反するとして否定する。

②神の正義(アドル)
神は正義であり、自らの被造物を苦しめる事はしない。

③神の応報(アト・ワード・ワ・アル・ワーイド)
神は信仰者に恩賞を与え、不信者に罰を与える。この事は確実である。それ故、神の赦しは罪人が悔い改めた場合のみに在り得るのであり、さもなければ、許す事は無い。

④二つの立場の中間(マンズィラー・バイナ・アル・マンズィラタイン)
この信条の意味は、飲酒、姦通、嘘等の罪を犯したムスリムである罪人(ファシク)は信仰者とは言えないし、又、背信者でも無いから、それはそれらの中間に位置する者であるという事である。

⑤正義と合法的な事柄への従事義務と誤りと非合法的な事柄の禁止(アル・アムル・ビル・マールワ・ワ・アル・ナハイ・アン・アル・ムンカル)
この信条に関しては、ムアタズィラ派は以下の通りに説明する。
何が正義で、何が誤りかはイスラーム法(シャリーア)だけが排他的に決定するものではない。少なくとも、仮令、部分的にせよ、人間はその理性(アクル)により様々な種類の正義や誤りを見分ける事が可能である。
又、正義の実行は原則的に全ムスリムが個人的レベルにおいて負うべき普遍的義務であり、統治者(カリフ)の存否に関わらない。尤も幾つかの義務、例えば、イスラーム国家の防衛、イスラーム法(シャリーア)の施行等は統治者のみに課せられた義務である。

以上がムアタズィラ派の基本的な五つの信条であるが、ムアタズィラ派を知る上で最も重要な信条は上記①の神の唯一性(タウヒード)と②神の正義(アドル)であり、ムアタズィラ派において他の三つはそれらに比べて派生的な立場にある。と言うのは、③、④、⑤は②の神の正義に収斂可能とされ、又、彼等は自らを「神の唯一性と正義の民」を自称していた事からも伺われる様に、①と②こそがムアタズィラ派の最も根本的な信条とされていた事が知られるのである。

5 神の絶対性、無限性、超越性-神の具象的把握の拒否
神が絶対的、超越的存在である事はイスラームのみならず、ユダヤ教、キリスト教といったセム的一神教が等しく認めている所である。その一方で、『コーラン』において神は恰も人間の様に生き生きとした様で登場し、神は人間に話しかけ、慈しみ、怒り、見たり、聞いたり等をしている。神が超越的絶対者であるとともにその生き生きとした生きた姿は伝統的イスラームの信仰に合致するものであるが、ムアタズィラ派では神を一切の概念を拒否する超越者、無限者である事を強調するとともに、『コーラン』に登場する生きた神の姿の描写は単なる比喩に過ぎず、そのままで受け取る事はできないと主張する。
というのは、ムアタズィラ派によれば、神は、飽く迄、永遠なる存在であり、如何なる概念を超越した無限者であって、人間の思念を超えているから、かかる神を人間化して捉える事は神を矮小化する事に他ならないと考えたからである。
例えば、『コーラン』によれば、神は天空に広がる玉座に腰掛けている事になっているが(※1)、ムアタズィラ派によれば、これも単なる神の荘厳に過ぎないとし、字義通りに採る事は許されない。神は無限者であるから、特定の場所にいる訳ではないし、神はこの世界に遍在するとともにこの世界を超越しているから、かかる神の在り方に関して、ムアタズィラ派は様々な形で表現したが、アシュアリーの報告によれば、神は至る所に在るという者、神は何処にもいないという者、神は永遠の過去からいる所にいるだけだという者、神はあらゆる場所を包含するとともに至る所に神は見出されるという者が
いたと言う。
いずれにせよ、ムアタズィラ派は神を具象的に捉える事を拒否したのであり、例えば、伝統的信仰において信じられてきたムスリムは死後に神を見るという伝承(※2)を否定した。其処で死後において神を見るという事の意味に関して如何に解するかという問題が生じてくるが、この点に関して、アシュアリーによれば、ムアタズィラ派内でも諸見解が存在していたと言い、例えば、アブー・フザイルら多数説は心で神を見るという意味で解していたと言う。その一方でヒシャーム・アル・フワイティーやアッバード・イブン・スライマーンらは心で神を見る事すら否定していたと言う。
ところで、ムアタズィラ派の最大の関心事は具象的把握を一切拒否する神を理性的論証により把握し、それにより神に至る事にあった。その結果、ムアタズィラ派の議論は煩雑を極め、却って神の姿を多種多様な議論の中に埋没させていった観は否めないかも知れない。しかしながら、彼等の煩瑣な議論は衒学的動機によるものではなく、彼等なりの真摯な信仰に動機づけられたものであったという事を附言しておいて良いと思われる。
※1:『コーラン』の関連箇所を列挙すると、以下の通り。
〇「天使たちはその(天の端々)におり、その日、8人(の天使たち)が彼等の上に、あなたの玉座を担うであろう。」第69章第17節
〇「あなたは見るであろう、天使たちが八方から玉座を囲んで、主を讃えて唱念するのを。人々の間は公正に裁かれ、「万有の主、神にこそ全ての称讃あれ。」と(言う言葉が)唱えられる。」第39章第75節
〇「(主の)玉座を担う者たち、またそれを取り囲む者たちは、主の後光を讃え、彼を信仰し、信じる者達の為に御赦しを請い、祈って(言う)」第20章第7節
〇「慈悲深き御方は玉座に鎮座なされる。」第20章第5節

※2:『コーラン』第6章第103節において「視覚では彼(神)を捉えることはできない。」とある一方、第75章第22節から第23節にかけて、「その日、或る者達の顔は輝き、彼等の主を仰ぎ見る。」とある。

1 はじめに
以下に記す標題の内容は、今から10年程前、個人的興味から調べて私的に纏めておいたものである。改めて見てみると、補足等の必要性が色々と感じられるが、嘗ての自分自身の記録と割り切って誤字脱字等の訂正を施して掲載してみる。

2 名称、起源
ムアタズィラ派の出現とともにイスラーム神学は本格的に始まった。
とは言え、ムアタズィラ派とは、実の所、単一の学派の呼称ではなく、共通の基盤と傾向を有する複数の神学の学派の総称の様なものであり、その主張は学派や学者によって多様多岐に渡っている。
さて、ムアタズィラ派という名称は「身を引く」を意味するアラビア語の動詞イタズァラに由来するものであるが、彼らが何から身を引いたのかについては幾つかの説があり、此処でそれらを下記に列挙してみる。

①ムアタズィラ派の祖と伝えられているワーシル・イブン・アターウ(748年没)が師であるハサン・アル・バスリー(728年没)の説から身を引いた事に由来するという説

②動詞イタズァラを「離れ去る」という意味に解し、理性的思弁を拒否する伝統主義から離れ去った事に由来するという説

③正統カリフ時代末期における第4代カリフであるアリーの戦い(アル・ジャマルの戦い、シッフィーンの戦い等)に際し、第2代カリフであるウマルの子であり、教友であるアブドゥラー・イブン・ウマル(692年没)に倣い、どちらの陣営に与せず(身を引く)、中立の立場を守ったグループに由来すると言う説

④ウマイヤ朝時代においてハワーリジュ派が突きつけた信仰と行為の関係に関する神学的問題についてハワーリジュ派や当該派に反対するムルジア派のいずれにも与しなかった(身を引く)グループに由来するという説

他にも幾つかの説があるが、伝統的通説としては後代のアシュアリー派の神学者であるシャフラスターニーが伝える①の説が行われてきた。
又、ムアタズィラ派の起源に関しては、伝統的には上記の①説と同様、シャフラスターニーが報告するワーシル・イブン・アターウに由来するとされてきたが、今日では疑問視する学者も多い。又、欧米の学者の中にはウマイヤ朝末期の政治的混乱の最中におけるアッバース家の運動と関連付ける説を唱える者もいる(※1)。実際の所、ムアタズィラ派の起源は判然とはしないものの、ただ、ウマイヤ朝時代から登場してきた様々な神学的思潮を理性的思惟により統一しようという意図があったのは確かな様である。
※1:H.S.ナイベルグはワーシル・イブン・アターウを反ウマイヤ朝パルチザンと見做し、ワーシル・イブン・アターウや初期ムアタズィラ派の思想をアッバース朝の政治的イデオロギーであるとした(1953年)。

3 略史
先述の通り、ムアタズィラ派とはほぼ共通の基盤と傾向を有する複数の学派の総称の様なものであるが、9世紀の学者フワーリズミーは以下の6つの学派に分類した(※1)。

①ワーシル派
 ワーシル・イブン・アターウを祖とする学派。ワーシル・イブン・アターウの師であるハサン・アル・バスリーに因んでハサン派と称することもある。

②フザイル派
 アブー・フザイル(849年没)を祖とする。バスラが拠点。

③ナッザーム派
 イブラーヒーム・イブン・サイッヤール・アル・ナッザーム(845~846年頃没)を祖とする。

④ジャーヒズ派
 アムル・イブン・バフル・アル・ジャーヒズ(868年没)を祖とする。

⑤マーマル派
 マーマル・イブン・アッバード・アル・スラミーを祖とする。

⑥ビシュル派
 ビシュル・イブン・アル・ムータミルを祖とする。バクダードを拠点とする。

ムアタズィラ派はアッバース朝の勃興(749年)とともに盛んになり、アッバース朝の学芸振興策、それに伴うヘレニズム諸学問の流入の影響を受けてムアタズィラ派は思索に磨きをかけ(※2)、諸学派は互いに威勢を競い合った。
ヘレニズム的教養を我が物とし、自らもムアタズィラ派神学を修めていた第7代カリフのマームーン(在位813年-833年)がムアタズィラ派をイスラームの公式神学とする事で同派は絶頂期を迎えた。ムアタズィラ派が公式神学になる事でアッバース朝の要職はムアタズィラ派系の人々によって占められる事となり、ムアタズィラ派のウラマー達はイスラームを同派の教義で統一すべく異端審問所(ミフナ)(※3)を設置し、同派の教義に反する思想や言論を弾圧していった。
ところで、ムアタズィラ派の理性主義神学が隆盛を極めていた最中においても神の人格神としての側面を強調し、又、『コーラン』やハディースの伝統を守ろうとする考えは、特に一般大衆のレベルで根強く残っていた。スンニー派イスラーム法学の一派ハンバル派(ハンバリー派)の祖であるアフマド・イブン・ハンバル(855年没)はそうしたこの時代の伝統的イスラームを代表するウラマーであった。彼はその学識、清貧、敬虔、剛毅さで大衆の人気を集めていたウラマーで、イスラームの伝統的信仰を代表してムアタズィラ派神学を拒否し、『コーラン』やハディースを神意の現れとして、極力、そのままで受け入れるべきであり、それらに理性的論証を差し挟むべきではないと主張した。それ故、アフマド・イブン・ハンバルは捕らえられ、投獄されたが、それでも自説を曲げる事は無かった。
アフマド・イブン・ハンバルの登場以後、伝統的イスラームが徐々に息を吹き返し始め、第10代カリフのムタワッキル(在位848年-861年)はマームーン以来のムアタズィラ派尊重の方針を転換し、伝統的イスラーム尊重に切り替えた。その結果、ムアタズィラ派は政治的に敗退し、伝統的イスラームに対して今度は守勢の位置に立たされたが、伝統的イスラームの側のウラマー達は、ムアタズィラ派とは異なり、自分達の立場を理論的に擁護する術を殆ど備えていなかった上、論駁の術を身に付ける事自体を非イスラーム的として警戒していたから、理論レベルではムアタズィラ派に対抗する事ができなかった。
しかしながら、やがて、伝統的イスラーム陣営においても理性的思惟を駆使しながら『コーラン』やハディースを擁護しようとする立場が登場し、アシュアリー派神学の祖アブー・アル・ハサン・アル・アシュアリー(873年-935年)やマートゥリーディー派神学の祖アブー・マンスール・アル・マートゥリーディー(944年没)らはかかる立場から伝統的イスラームを擁護する神学を創始した。
かくしてイスラーム思想界は、ムアタズィラ派神学と伝統的イスラームを代表するハンバル派(ハンバリー派)法学、アシュアリー派及びマートゥリーディー派神学(※4)による激しい三つ巴の戦いが行われ、ムアタズィラ派からも巨匠カーディル・アブドゥル・ジャッバール(1025年没)、アブー・フサイン・バスリー(1044年没)、アル・ザマフシャリー(1144年没)といった錚々たる学者を輩出したが、ムアタズィラ派自体は政治的に次第に追いつめられてゆき、最終的には伝統的イスラーム陣営が政治的に勝利を収めて正統派としての地位を獲得し(※5)、今度はムアタズィラ派が徹底的な弾圧の対象となった。その結果、ムアタズィラ派の論書は、今日、その殆どが失われてしまったものの(※6)、一方でその財産は完全に消滅した訳では無く、シーア派神学に引き継がれていった(※7)。
※1:この他に学派の主要拠点に基づいてバスラ派とバクダード派に分類する説もある。

※2:ムアタズィラ派とギリシア哲学との最も初期の接近例はフザイル派の祖アブー・フザイルのケースである。
彼はイラク地方のバスラの生まれで、馬の飼料関係の職を生業とする家に生まれた。40代になると、メッカに巡礼し、其処でシーア派の学匠ヒシャーム・イブン・アル・ハカムと出会い、論争を行った。この時、彼はヒシャーム・イブン・アル・ハカムを論破すべくギリシア哲学を学ぶ必要性を痛感し、その学習に打ち込んだ。この時の経験がムアタズィラ派の理性主義的方向を決定づけたと考えられている。
上述のアブー・フザイルの例に見られる様に、ムアタズィラ派の学者達はイスラーム世界の拡大とともに流入してきたギリシア哲学と接触し、その成果を批判的に摂取するとともに、イスラームの信仰を守るべく、ギリシア哲学自身に対して、更にはキリスト教神学、ゾロアスター教やマニ教の二元論に対して論理的手法を駆使してこれらを反駁しようとした。その結果、彼等は自ずとイスラームの合理的解釈を徹底的に推し進める事になり、その過程でムアタズィラ派の神学は期せずして哲学に接近する事になった。だが、同時に伝統的なイスラームの信仰(例えば、ムスリムは来世において神を見る事ができるという信仰。)と対立する事になり、ムアタズィラ派は伝統的信仰を支持するムスリム達の憎悪と反発を買う事になった。

※3:キリスト教とは異なり、イスラーム史において異端審問所の類は殆ど登場しないが、これはその数少ない例の一つである。この時の異端審問所(ミフナ)では『コーラン』創造説の肯否が踏み絵として用いられたと言われ、アフマド・イブン・ハンバルは『コーラン』創造説を否認したが故に投獄された。

※4:アシュアリー派神学は法学においてはシャーフィー派やマーリク派(マーリキー派)と結びつき、マートゥリーディー派神学は法学においてはハナフィー派と結びついた。一方、ハンバル派(ハンバリー派)の方はそもそも神学に対して消極的である。

※5:11世紀に勃興したセルジューク朝トルコはアシュアリー派神学を公式神学として保護奨励した。

※6:ムアタズィラ派の論書は正統派の執拗な抹殺により、その殆どが失われてしまったが、20世紀に入り、イエメンにおいてカーディル・アブドゥル・ジャッバールの『ムグニー』や『ムアタズィラ派五原理解説』等の写本が発見された。これらの写本はアシュアリーの『イスラーム諸学派の所説』における報告、その他シャフラスターニー、イージー等の後代の正統派の神学者の報告とともにムアタズィラ派の思想を知る重要な手がかりとなっている。

※7:ムアタズィラ派の財産は12イマーム派をはじめとして、イスマーイール派、ザイド派等のシーア派に引き継がれ、シーア派神学の理論武装に貢献した。嘗てザイド派イマームの国家であったイエメンにおいてカーディル・アブドゥル・ジャッバールの著作などムアタズィラ派関連の写本が発見された事実は後期ムアタズィラ派とシーア派との関連を物語っている。