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ブログ 走攻 (SoCo blog)

ラジオDJ・TV音楽番組司会・イベントMC・ゲレンデDJ etc...をしている SoCo(ソーコー)と申します!

主に、音楽に纏わる事を綴るつもりです。
何を食べただ、景色が・・・とかなblogではありません。
(とかいって”お花がキレイ~!”とかUPしてたらゴメンナサイ)

2017.8.13 @TV CM

 

”サイダーなんてもう飲まない サイダーなんてもう・・・”

 

最近この調べが頭から離れず、CMを見た暁にはその後しばらく気づけば鼻歌で口ずさんでしまっています。

 

さすがサザンオールスターズ、桑田佳祐さんならではの耳に残るキャッチーなメロディーに、そしてなんといってもインパクト大な歌詞!

 

CMにもかかわらずサイダー”飲まない”ときたか、という逆にとても印象に残り宣伝効果があるんじゃないかと思うユーモア。


歌詞にもあるように言葉の裏返しで、だからサビの部分は裏声、ファルセットなのかなぁ~なんて、あくまで個人的推察ですが。


そして、パッシュワ系と言うんですかね、代表的な曲で言えばThe BeatlesのBoys

とかの感じ(正確にはシュレルズのカバーですが)のコーラスと炭酸のシュワーをかけてはるんだろうなぁとか、とにかく桑田さん超一流のウィットに富んだ曲なわけです。


オリジナルCMソングで『弥蜜塌菜のしらべ』(読み:やみつだーさいのしらべ)という曲だということで、詳しくはこちらのページにありまして、歌詞も載ってます!

http://www.asahiinryo.co.jp/mitsuya-cider/sp/cm/

 

そちらにも書いてありました通り、来年サザンオールスターズはデビュー40周年だということで、この曲、CMはそのアニバーサリーイヤーに向けての布石的な1曲だというのは、75秒Ver.でだけ見れる、ラストのテロップ"See you in  2018"が物語っております!

 

 

さて、このブラックジョーク的な茶目っ気ソングをOKとしたのが、もちろん三ツ矢サイダー(アサヒ飲料)なわけですが、三ツ矢サイダーのCMといえば・・・という方がいらっしゃいます。

 

それは、大滝詠一さんです!

(今回大滝さんの表記で書かせてもらいます。大瀧さん表記も使用されますが、どちらがどうなのかはちょっと僕は分かりません。)

 

僕はリアルタイムの世代ではないので、ちょっと記憶にはなくて、後追いなのですが、70年代の大滝さんには有名なサイダーシリーズのCMソングというのがあり、三ツ矢サイダーのCM放送が開始された1973年の「Cider '73」を皮切りに、'74、'75、そして1年空いて「Cider '77」、80年代に入り再び「Cider '83」と手掛けられています。

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ちなみにクレイジーケンバンドの横山剣さんは中学生の時にこの大滝さんの三ツ矢サイダーのCMソングを聞いてCM作曲家になりたいと思ったそうです。

 

76年はといえば、山下達郎さんが「三ツ矢サイダー'76」として担当されています。

(大滝さんとシュガー・ベイブ時代の達郎さん、ナイアガラ・レーベルの話、その間柄については今回割愛させてもらいます。)

 

そして、1977年、サザンオールスターズのデビューシングル「勝手にシンドバッド」が起用され、さらにサザンにとっても初TVCM出演となり、その後'78、'79と3年連続で担当されています。

 

大滝詠一さんから、山下達郎さん、そしてサザンオールスターズという流れ、そんなジャパニーズ・ポップス・シーンの輝かしいヒストリーが三ツ矢サイダーのCMにはあったわけなんですね。

 

 

そしてこのたび38年ぶりに再びサザンオールスターズがCMソングを手掛けるということには、そんな歴史からの浪漫、感慨深さがあるわけです。



ここでまた僕のあくまで私見なのですが、桑田さんがNHKのドラマ主題歌を初めて手掛けられ話題の朝ドラ主題歌「若い広場」ですが、Mステ出演時に60年代が舞台のドラマなのでどこか懐かしさも意識してユニゾンのコーラスで歌うような所も取り入れたとおっしゃってました。


三ツ矢サイダーのCMソングといい、ちょっとそういう懐かしめなところ、アメリカのオールディーズやドゥ・ワップなどにインスパイアされての作曲モードなどに入られていたりするのかなぁ?なんて思ってみたりとか。

 

 

そしてここなんですが、どこか大滝さんの多くの楽曲が持つ特徴、曲調やコーラスの雰囲気であったりなどにも通じるところを感じるというか、なんです。


もちろんお二方ともアメリカン・ポップスからも多大な影響を受けてらっしゃるので当たり前といえば当たり前なんですが、あと、ちょっとひょうきん、おちゃらけ系の楽曲の時の歌詞に用いられる駄洒落であったり、ウィット感の部分、分かる人には分かるように計算され尽くして敢えて引用しているオマージュ的フレーズ、などなど、とても似た部分などがおありになるお2人なのではないかな、と。

 

大滝さんはかなりサザンオールスターズ、桑田さんのことが好きだったみたいですね。

https://www.cinra.net/interview/201608-saekikenzo

 

 

そんな2人の天才ミュージシャンの結びつき、桑田佳祐さんの大滝詠一さんへのリスペクトなども38年の月日、時空を超えて三ツ矢サイダーのCMを通じて表現されたのではないか、それも

 

”僕らの絆”

 

なのではないだろうか。

 


そんな風に思わず深読みもしたくなる、そんな素敵なCMだと思います。シュワ~!!

 

 

 

 

2017.8.8 PM 10:00 @Home

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(思えばこんな画面になったりとかも何かの予兆だったのだろうか?)



やはり別れというのは突然やって来るのが世の常ですね。

 

iPhone 6sにして約1年8ヵ月ぐらいですかね、バッテリーの減りが早くなってきていたけど別段何の問題もなく使っていたんですが、充電20%を切った状態でTwitterに音声動画をあげようとしたら、このままではパワー不足?的に無理といったような表示が出て、充電を促されたので、ケーブルを繋いだその瞬間突然のブラックアウト。

 

その後様々な蘇生法(3つの修理店で)を試みるも、結局帰らぬ携帯となり逝ってしまわれました。



今の時代、データのバックアップなど常識かとは思いますが、うちのPC知り合いの方にタダ同然で組んでもらった有り難い物でして、しかし、なぜかiPhoneだけを認識しなくて、アップルの電話サポートにも散々策を講じてもらうも結局無理で、ならばiCloudにバックアップすればいいわけなんですが、容量が不足しているのをお金払ってまでなぁ、と買い足すのをためらっていた僕がダメだったわけで、メッセージや写真、ボイスメモなどのデータを失ったのは自業自得です。

 

ただ今回少し思ったのが、この喪失感にも若干ではありますが、慣れてきてしまっている自分もいるな、というのが、果たしていいことなのか、それとも悪いことなのだろうか?などと思いまして。

 

思えばこのデジタルのデータ社会にどっぷり、ずぶずぶの関係、頼り切った生活となってしまいはや十数年、過去にも同じような経験、PCのハードディスクがぶっ壊れたり、携帯紛失したり、もっと小さいことで言えば書きかけの長文ブログが消えてしまったり・・・といったようなデータを失ってしまうということがそう珍しくなく起こりうるこの現代に、ちょっと順応してきている自分がいるようにも思ったりしたんです。


あきらめが肝心とか、過去にとらわれるなってことだろうとかって解釈したりして、自分を慰めるというか、奮い立たせる術を自然と身に着けてきていて、悪い言い方をするなら失うことに慣れてきてしまっているなとも思いました。

 

ふと、自分が住んでる近辺に公衆電話ってあったけなぁ?と思い、いくつか思い当たった場所を見てみるも、いつの間にか、いや、自分が気にもしていなかっただけで、随分前から無くなっていたのかもしれず、そして、見つけたところで、電話番号覚えてないしなぁ、なんて思ったり。

 

何が言いたいのかよくわからなくなってきたとこもありますが、便利になりすぎるというのも考えもので、その分失われていくこと、例えば五感のようなものだったり、今回のようにデータだったり、その喪失感さえも失っていったり。

 

バックアップを取っていたとしても、もしそのPCが壊れてしまったらバックアップのバックアップが必要となるわけだし、クラウドに残していたって、パスワードを忘れてしまったら戻すのは難儀になるし、そもそも今回サインインするための2ファクタ認証?とやらも画面真っ暗だから見えずでできなかったし・・・・ってなんのこっちゃ。

 

 

いや、なんかね、もう必要最低限、失う物を少なく、身軽に生きていきたいもんだなぁとか、はじめから持ってなければこんな気持ちも味わうこともなかったんだよなぁ、とか、なんか書いてて失恋した時の気持ちにもちょっと似てるかも?なんて思ったりもしながら、いやぁ、なんでしょうか、らくらくフォンが近づいてきてるのかもしれません。

 


そして、形で残しておきたい世代、というか世代関係なく個々の性格によるものかもしれませんが、写真も音楽も本もすべてデータ化となっていくこの社会に飲み込まれていく、といえば語弊があるかもしれませんが、迎合していけるか、それとも抗いながら生きてゆくのか、その狭間で今私はきっと翻弄されているのでしょう。


その証拠に、このブログが結局何をいいたいのか彷徨っておりますので、ここらで筆をおくことに・・・ってそもそももう筆、ペン、鉛筆を持つことすら格段に減ってきているし、ってもういいか。

 

擱筆ならぬ擱携帯。



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(ボールペン君迎合してよるなぁ。)


 

2017.8.6 @大阪池田市猪名川河川運動公園 野外特設ステージ

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THE SKIPPERS 主催で初めて野外で開催されたフェス PUNK THIS TOWN

 
バンド15周年の節目でもあり自分たちが思い描いてきたこの野外フェスという形、それもメンバーのジャガー君の地元である池田で開催したいというその熱い思いを文字通りPUNK魂で見事にやってのけてみせたその姿にこちらもぐっとくるものがありました。
 
出演を快諾したであろう他のバンドマンたち、先輩も後輩も仲間も、それぞれにTHE SKIPPERSが開催する初野外フェスというその思いを感じ、より滾るLIVEを見せてくれたように思います。
 
飛行機、電車、高速という三大交通網に取り囲まれた交通の要衝的デルタ地帯とも言えるようなロケーションもまたなんだかよくて、そこで鳴り響くROCKが大阪の池田発信で各地に届いていく、そんな風にも思えました!
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天気も次の日は台風5号が大接近だったので、本当によかったなぁと思います!

2017.8.5 @妹背の里とその周辺

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MCとして初めて参加させてもらった滋賀県竜王町の夏まつり!


地元の方たちの郷土愛や思いをとても感じる、そんな夏まつりで、MCしながら僕もその和やかな雰囲気を大いに楽しませてもらいました~!


屋台や催しも自分たちでできるところは手掛けるといった感じで、食べ物も遊びも安いし、凄くアットホームさがあって子供たちも、いや、子供のみならず大人もとても楽しそうでした~!{5FDB70D6-2A20-4E4A-9CB3-8DFCCAF0EE40}


しかしまぁ灼熱だったこの日、雪を降らせていた雪遊び場がとても羨ましかったり、{B0031E36-BAA5-4F12-9FB4-422C1F002764}


池にも入りたいなぁとか思ったりもしましたが、
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そんな暑さの中ステージイベントでは子供たちが汗だくになりながらダンスパフォーマンスを披露し、一緒にMCも担当していた小倉亜弓さんのアコースティックユニットAKT、そしてフライングスニーカーのボーカル2人によるユニットの伸びやかな歌声、LIVEパフォーマンスにも魅了されました〜。


日が暮れると台風の影響もあってか、時折気持ち良い風が吹き抜け、そして夜になると江州音頭でまた白熱し、{81BE671B-668B-4581-9196-CB9F30F05952}


メインイベントともいえる花火も、趣向が凝らされていて大変見ごたえありました!!{DF047A17-D1D0-436B-990F-CB3A6C331A6D} 


そして、僕のことを覚えてくれていたリスナーさん達にも会えたり、嬉しい限りでした~。

 

竜王には次は、9/23(土・祝)「EAT THE ROCK 2017-竜王食音祭-」のMCで帰って来ますので、今度は音楽とグルメのまつりでまた大いに盛り上がりましょう!!{E60D0CBC-BDBA-4781-9FD8-539031071312}




 

 

 

 

2017.6.14~15 @

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少し前のことになりますが、姫路の奥あたりから大阪まで、バイクで深夜になんとか帰って来れた!というアクシデントがありました。

 
事の発端は、ここ何年か、年に数回友人と日帰りツーリングに出掛けていまして、それまで僕はどちらかといえば、テントで数泊するような遠出旅のツーリングに毎年出ていたんですが、その親友は関西近郊の名所や美味しいお店にも詳しく、日帰りで、気候の良い時分にふらっとバイクで出かけて美味いもの食べたりして楽しんでたりしまして、先日そんな友人に導かれ訪れたのが、高原でした。
 
友人曰く、関西には三大高原なるものがある、とのことで、そのうちの1つ、奈良の曽爾高原に行こうということになりました。
 
恥ずかしながら僕は、それまで曽爾高原などまったく聞いたこともなかったんですが、初めて見たその高原の風景にテンション上がりました! 
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ただ、完全なる自然だったらもっと良かったんですが、山焼きして、という人の手が入っての美しさということで、ちょっとまぁそこは個人的に物足りなさもあったりするんですが、逆に手付かずの自然なんて、ま、そうはお目にかかれない代物ですかね。
 
 
さて、少しばかり長くなりましたが、ここからが本題の高原からなんとか帰還の話なんですが、実はそれはまた別の高原の話でして。
 
何気なくテレビを見ていたとある夜、友人から教えてもらった関西三大高原のうちの1つ兵庫県の砥峰(峰山)高原から見る星空の美しさを紹介していまして、そして、その高原ではなにやらUFOも結構目撃談があるとかで、実は兼ねてから星空、宇宙に大変興味があるわたくしとしましては、大変興味深く、三大高原の2つめとして物凄く行ってみたくなりました。
 
翌日の天気予報は快晴、予定も空いている、よし、では早速テントを持って星空観察に出かけてみよう!と思い立ったが吉日スタイルで次の日の昼過ぎにバイクで出発し一路砥峰高原へ!
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夏至近くということもあり日が長く、まだまだお日さんの高いうちに到着でき、ロケ地としても有名な砥峰高原の景観を堪能し、
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TVでは隣り合わせになっている峰山高原の方を紹介していたのでそちらにも行ってみるも、
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この山道を夜、真っ暗な中走るのはちょっと不安だなというのと、砥峰高原の方が自然交流館という建物が建っていて、建物前にはテーブルとイスもあって観測待ちもしやすそうだなと思い、こちらで観測することを決め、夕方5時、暗くなるまではまだ2時間ぐらいはかかるだろうなということで、近くの温泉に行こうと思い、いったん山を下りました。
 
19時過ぎ再び高原に戻るもまだまわりは明るく、結果、小1時間ぐらい暗くなるのを待つことに。
 
次第にだだっ広い高原に夜のとばりがおりはじめ、1番星が輝き出し、そして徐々に暗闇が高原全体を覆っていき、1つまた1つと星が瞬きだす・・・と同時に不安さも頭をもたげだし始めました。
(このままこの高原で真っ暗な中、建物があるとはいえ、中までは入れず、ほぼ野ざらし状態で動物的(マムシに注意の看板あり)な恐怖も抱えながら1人で星空観察をできるだろうか。そして、もし万が一そこに未確認飛行物体が出現した場合、果たしてその驚き、いや、それはおそらく恐怖心となり・・・)
 
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(星空撮るもまったく写らず)

など不安にさいなまれてゆき、都会の街灯がある夜なんぞに慣れ切ってしまっていることもあり、結果、漆黒の闇まで待ちきれず(恐怖心に打ち勝てず)、降ってきそうなほどの満天の星空を見るまではいかなかったのですが、流れ星を1つ見れたこともあり、まぁよしとして引き上げることにしました。
(1つ思ったことは、星空観察にはバイクは適さない、車の車内で待機できるのがいいなと思いました。あとさらに言うならば誰かと一緒ならなお良しかな、とも。)
 
さて、この後どうするか、当初の予定通り近くの道の駅でテント泊しようか、それとも早めに切り上げたのでいっそこのまま帰ろうか・・・。
 
思えばこの判断が結果的に誤ることになるのですが、道の駅近くでも十分綺麗に星空が見えるかもしれない、などという淡い期待と走り疲れていたこともあり泊まることを選択し、高原からしばらく未舗装部分もある真っ暗な林道をゆっくり走り下ってきたところあたりで何やらバイクの挙動に異変を感じ、おいおいちょっとこんなところでまさか勘弁してくれよぉと祈るようにして確かめてみると、どうやら前のタイヤが若干柔らかくなってるように感じるも、ただ、今までの経験上パンクまではいってないという気がして、ちょっと山道の振動などで空気が抜けてしまったのかなと思い、とにかく道の駅まで5kmぐらいだったし走ることにしました。(家に帰る選択をしていれば、夜走りだが舗装された道だった。)
 
道の駅まで少しぐらつきながらも走って来れて、さてどうしたものか、疲れてもいたので、少し寝てから帰るか、ただ、起きた時に全て空気が抜けきっていたら、それはそれでまいったことになるな、と。
 
時刻はまだ22時台。よし、ここはなんとか踏ん張って帰れたら帰ろう、まずは空気が抜けただけなのかどうか、ガソリンスタンドを目指し、空気を入れてみよう、そう思い、再び走り出しました。
 
そして、空気を入れてみたところパンパンに入り、カチコチになってくれたので、お!これはやはり空気が抜けていただけかと安堵し、よし、もう頑張って夜走りで帰ろうと走っていると、また2~30分したところでぐらつきだし触ってみるとまたもや空気が抜けていて、再びスタンドを目指し空気を補充して走る、というのを30分間隔ぐらいで繰り返し、幸いなことに国道2号線だったこともあって、深夜も営業しているガソリンスタンドが多かったので、空気を補充しながら、そして、気休め?かもですが、なるだけ前輪への負担を減らすべく後ろに体重をかける、後ろ荷重なライディングスタイルを心掛け、およそ100kmちょっと3時間近くをどうにかこうにかして帰ってこれたのでありました。
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(真っ白に浮かび上がる姫路城)
 
後日バイク屋に持っていき見てもらうと、はじめ「これパンクしてないんじゃないか?」とバイク屋の店主も言っていたんですが、よく調べると、チューブに薄~い切れ目が入っていて、そこからゆっくりじわじわと空気が抜けていたということでした。
 
今まで10年ほどカブに乗っていますが、前輪のパンクの経験はなく、劣化によるものか、林道での衝撃からかは定かではありませんが、亀裂が入るも、とても浅めの傷だったということ、そして後輪であったらちょっと乗って帰って来るのは困難だったかもしれないな、と。
さらに非常に大きな国道1本でほぼ帰ってこれた、という不幸中の幸いなことが重なった結果、無事に帰ってこれたように思います。
 
あと、やはりなんといってもカブのタフさにつきますが!
また相棒の世話になりました。
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非常に長い文章、自分の記録用にもと思い書き記したのですが、最後まで読んで頂けた方、本当に感謝であります!ありがとうございます。