獅子舞の閑話休題 -4ページ目

怖きもの地震カミナリ火事親父廃れて驕りやがて報いと

新聞の一面はこの一ヶ月、四川地震→岩手宮城地震と地震ネタの尽きる事無く、その前にもインドネシアや台湾その他各国で大地震が頻発しています。
台風やハリケーンとそれに伴う津波や洪水、農作物の被害等も近年大型化し、世界経済に深刻な陰を投げかけています。

煙草を買いに行きがてら駅前まで足を延ばすと、午前零時を回って酔っ払いと無軌道な若者達が駅前に溢れていて、「この人達は秋葉原事件も自分には関係ない」と思って要るんだろうなと妙な感心をしてしまいました。

一部の識者が論文や本、講演を通じて「来たるべき脅威」を訴え、又、それらが漫画や週刊誌等を通じて静かに広まりつつある中、人心の不安をむやみに煽らない為の配慮もあるのでしょうが、テレビ番組や政治家の発言は驚く程普通で、見ていて気味が悪くなってきます。

ふと、「何も食糧問題も深刻化してるなか米所を襲わなくても、どうせなら東京に地震が来れば良いのに」と、半ば本気で考えてしまいました。

亡き人を忍んでかざす盃は酔えど頭の片隅は醒め

母方の祖母が先日亡くなりまして。昭和天皇と同い年に祖父が亡くなってからはすっかりボケてしまい、此処数年は老人施設と病院の往復だったのですが、それでもいなくなると寂しいですね。冥福を祈りたいと思います。

昭和63年は個人的に忘れ難い年でした。親友が長年の闘病の末病気で亡くなり、叔父が多大な借金を親父に押し付けて自殺し、当時駆け落ちしていた彼女は前の男の子供を降ろした上にその男の元に戻り、そして昭和天皇の崩御で獅子舞の青春時代は幕を閉じました。

あれから二十年、気が付けば二人の子持ちとなり、当時一番家庭と縁がなさそうだった獅子舞が「パパ!」と呼ばれているとは。

兄弟が上に姉と兄がいまして、姉は結婚が遅く子宮外筋腫の為子供が産めず、兄は独身。獅子舞が結婚したのが長男の出生と同じ1999年でしたから、両親とも初孫に大変喜んでくれました。

自分の子供達が大きくなるのはまだまだずっと先ですが、家内が病気持ちという事もあり、獅子舞達は孫の顔を見ることができるでしょうか、心配です。

紫陽花の色付くように我が心染まればいいと誰に言えよう

紫陽花の色って土壌の酸性度によって色が赤系統と青系統に分かれるんですよね。そのうち酸性雨の影響で一色だけになったりして。

ブログを初めた頃は数件だったアクセスも一月の内に十倍(それでもまだ百までは行かないですが)に増え、軽い気持ちで何日かおきに書いてたのも、最近はサボらず更新しています。ヤッパ、読んでいる人がいると思うと励みになりますね。

励みといえば、もうそろそろ夏場の予定とかは考えているのでしょうか?
獅子舞はこの夏場は実家に戻り子供達と海で過ごそうかと考えてます。千葉に移って十年。父は死に母もいい加減歳ですし、同居を考えてもいい頃かなと。生きてる内の親孝行!

仕事は結局体調不良で辞めました。今度は何をしようか思案中です。これも後厄なんですかねえ、やっぱり。