
自動販売機増殖中
ここ最近、いろんな自動販売機が出ています。
餃子の自動販売機
もみじ饅頭の自動販売機
そんな中、「むすびのむさし」が自動販売機を導入しました。
むさし本通店は昔は店内飲食が出来たのですが、厨房機器の故障で持ち帰り専用の店になりました。
店頭で弁当を売っていますが、その横に自販機があります。
メニューはすべてうどんのみでむすびはありません。
自分がいたときはいろいろ人がいたので近づくことが出来ませんでした。
日を改めて行きたいと思っております。
次に紹介するのはハンバーガーの自動販売機です。
ハンバーガーの自動販売機は昔ありましたが、その時は温めてから出すスタイルでした。
その自販機は関東や京都に残っているとのことです。
今回自販機は持ち帰り専用で、家に帰って電子レンジで温めてくださいというスタイルです。
ということで、早速購入して家に持って帰りました。
今回購入したのはチーズバーガーです。
別添えの紙が合いますが、これは後程説明します。
箱の側面です。電子レンジの温める目安です。
今回は500Wで2分にしました。
温めて、箱を開けた後のハンバーガーです。
箱の割には、中のハンバーグが大きかったという印象で、美味しかったです。
ハンバーガーの自動販売機の場所ですが、
広島市中区十日市1丁目の「本覚寺」というお寺の境内にありまして、
完全にお寺がやっているハンバーガー屋なのです。
したがって、箱についている紙はおみくじで「吉」でした。
ということで、これからもいろんな自動販売機が登場すると思います。
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節分
今日は節分ですね。
ということで、マスクをした鬼を描いてみました。(^ ^;)
さて、鬼ですが、どうやら豆よりも桃のほうが効果があるそうです。
というのも、昔々のその昔、日本神話のお話ですが、
イザナギノミコトが亡くなったイザナミノミコトに会いたいという思いで黄泉の国に行ったのですが、会ったのは良いけど、イザナミがゾンビみたいに姿がなってしまったことで、恐ろしくて逃げたしたのです。
イザナミは怒って、鬼たちを追っ手として差し向けます。
逃げるイザナギは途中に桃の木を見つけ、その霊力を感じ取ったイザナギは、その実を鬼たちにむけて投げました。
鬼たちはその桃によって追うのをやめて退散したそうです。
ということで、桃のほうが効果があるということですが、
桃は6月下旬から10月ごろ(品種によっては12月ごろ)までなので、この時期は出回りません。
なので、桃に代わるものとして豆が使われたそうです。
神社でも桃の力を豆にお与えくださいという祈祷をされると聞きます。
いまでは、桃の缶詰や桃のゼリーやキャンディなどがあります。
とはいえ、桃の缶詰は窓ガラスとかを割ってしまったらダメなのでやめましょう。
ということで、今年は豆と一緒に桃の果汁入りのこんにゃくゼリーをまきました。
(その後の後始末のことを考えて、個装袋のままでまき、まいた後は回収して、袋を開けていただきました。)
まく方向ですが、恵方巻のように年によって変わることはなく、
鬼門である北東方向と裏鬼門である南西方向の2か所です。
まく前に窓は開けておくのがベスト、鬼が外へ逃げ出せるようにです。
まいた後はすぐに窓を閉めましょう。
鬼は外ということですが、それ以上に新型コロナウイルスの退散を願いました。
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石原慎太郎さん逝去
作家で、国会議員や東京都知事を務められた石原慎太郎さんがお亡くなりになりました。
じつは、20年くらい前にある縁で石原慎太郎さんの講演を聴くことが出来まして、その中で、中国のお偉いさんがオーストラリアのお偉いさんとの会談で、
中国のお偉いさんが、
「日本は10年で消えて無くなる」
ということで、それに対して危機感を持たれたそうです。
多分、そのころから中国の台頭に危機感を持たれていたと思います。
この講演の後、東京都知事に立候補して当選したわけですが、
いろんなことはあったにせよ、
あの頃の東京はしっかりしていたという印象でした。
政治家を引退されても、日本のことを常に思っていた方で、
今回の訃報に接し、謹んで哀悼の意を表します。
今頃、弟の裕次郎さんや、一緒に国会議員としてやってきた立川談志さんなどと話しているかもしれません。
謹んで合掌・・・
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パール博士と大亜細亜悲願の碑
東京裁判(極東国際軍事裁判)。
第二次世界大戦後に行われた軍事裁判。
そのなかで、唯一、被告人の「全員無罪」を主張した裁判官がいました。
ラダ・ビノード・パール
この方はインド人で東京裁判で裁判官を務めたことから、日本ではパール判事と呼ばれています。
パール博士は、日本びいきとかではなく、国際法と照らし合わせ、公平に裁こうという思いの結果、被告人全員無罪としたわけです。
その博士は1月27日が誕生日でした。
そんなわけで、広島市中区の平和大通りから少しわきに入った、本照寺というお寺にて、慰霊と感謝祭を行いました。
新型コロナウイルスのこともあり、入場の際は体温測定をし、マスク着用しました。
また、席の間隔をあけ、感染防止対策を行ったうえで行いました。
まずは、原爆で亡くなった方の法要を、この寺の住職さんの導師で執り行いました。
法要の後、開会の辞に続き、パール博士への感謝の手紙ということで、主催した会の方がその手紙の読み上げがありました。
下の画像がその全文です。
そのあと、来賓の挨拶・祝電披露・謝辞ということで終了しました。
さいごは、パール博士が揮毫した「大亜細亜悲願之碑」に参拝して、会場を後にしました。
●本照寺・・・広島市中区小町7−24
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