自己否定のなさが存在給の高さに比例する | 夢はなくとも 希望はなくとも 

夢はなくとも 希望はなくとも 

バカバカしくて
どうでもよくて
笑えるかもしれないけど
全く役に立たない意識低い系ブログです

 

【上田光俊公式メルマガ】
現在までに350名の方にご登録いただいてます!!
その名も『本から学んだ笑える人生論』 ご登録はこちらから

 

「行動を引き算する」

 

 

先日から

勝手に始めて

続けちょります。

心屋理論の再確認。

→知ってるだろうと思っても意外と知らない(大前提の話)

→色んな自分が同時に存在している(38階の話)

→やりたくないから「やった方がいい」という言葉を使うんだ(やりたいことをやる)

 

あくまで

個人的な見解ですんで、

 

(ああ、この人はそう思ってるのね)

 

程度に

読んでいただければと思います。

 

 

ウエダミツトシです

こんにちは

 

 

今回は

みんな大好き

「お金」の話です。

 

 

この言葉も

心屋界隈を

大きく越えて

広がっていきましたよね

 

「存在給」

 

って言い方が。

 

 

まず

「存在給」って

一体何かっていうと、

自分が働いてなくても

役に立てていなくても

何の成果もあげてなくても

ただ貰ってもいい

お金のことです。

 

 

初めて聞く人にとっては

 

「はぁ!?」

 

って話だと思うんですけど、

実際に

世の中を見渡してみると

そういう人って

実はたくさんいることに

気がつくと思います。

 

 

たとえば、

宝くじに当たった人とか、

そういうレアケースじゃなくても

親の遺産を引き継いだ人とか

元々家が裕福な人とか

旦那さんが鬼稼いでくる人(奥様)とか

なんか知らんけど

パトロンがいる人とか

違う意味のパパがいる人とか

そんな感じです。

 

 

あるいは、

元々は

バリバリのビジネスパーソンから、

不動産とか株式とか

その他諸々の

不労所得を得ることになった人とか

ほとんど働いてないんだけど、

役員報酬だけは貰っている人とか

そういう人たちって

実は

めっちゃいるわけですよ。

 

 

そういう人たちは、

心屋で言うところの

 

「存在給」が高い人

 

なわけです。

 

 

自分が受け取ってもいいと

許可している金額(お給料)が

とても高い。

 

 

だから、

実際にそうなっている。

 

 

これも

心屋でよく出てくる

言い回しなんですが

 

思考が先、現実はあと♡

 

というものの見方でいくと、

 

「たくさんのお金を受け取ってもいい」(思考)

「たくさんのお金を受け取っている」(現実)

 

ということになります。

 

 

ここを

大抵の人は

「逆」に捉えているので、

 

「お給料が少ない」(現実)

「私はその程度の価値しかない)(思考)

 

となってしまっているんです。

 

 

「思考が先、現実はあと♡」

というものの見方でいくと、

 

「私はその程度の価値しかない」=(たくさんのお給料を貰えない)

 

と思ってしまっているので、

見事に

そのままの現実が

目の前に現れているってことに

なるんです。

 

 

言ってる意味わかります?

 

 

だから、

この流れを変えたいのであれば、

今この瞬間から

 

「私には

 たくさんのお金を

 貰ってもいいだけの価値がある」

 

という風に

「思考」の方を

先に

変えないといけないんですよ。

 

 

そして、

その「思考」、

つまり、

 

「何もしてなくても貰ってもいいお金(収入)」

 

というのが

「存在給」という言い方で

表現されているわけです。

 

 

ここまで大丈夫スか。

 

 

この「存在給」が

高いか低いかで

現実生活における収入も

決まってくるよ

っていう話なんですね。

 

 

これは

先日も書いた

 

「大前提」×「行動」=「結果」

 

という方程式で見てみると

もっとよくわかるかなと思います。

 

 

「大前提」のところを

「存在給」に書き換えます。

 

「存在給」×「行動」=「現在の収入」

 

ですね。

 

 

「存在給」のところが

たとえば、

「10万円」だとすると、

「行動」のところを

「+2」として

貰えるお給料は

「20万円」

になりますよね。

 

「存在給10万円」×「行動(がんばり)+2」=「収入20万円」

 

「行動」のところは、

「+1」が普通にしている状態です。

頑張っているという意識がなく

自分にとっては

当たり前に

何の苦もなく

疲れを感じることもなくできる状態

と考えてみてください。

 

 

そうすると、

たとえ

「存在給」が「10万円」であっても

「20万円」の収入を得ようと思ったら

「+2」という

通常運転よりも

倍の頑張りがないと

もらえないわけです。

 

 

これが

たとえば

「50万円」の収入を得ようと思ったら

「+5」という

5倍の頑張りが必要になってくるんです。

 

 

これって

しんどくないですか?

 

 

ずっと

5倍の頑張りを

し続けないといけないわけです。

そんなの続かないですよね。

いつか、

潰れますよね。

悟空だって界王拳を使いすぎたら戦えなくなりますし(意味が違う)

 

 

でも、

これをしている人の方が

とても多いんだと思うんです。

 

 

そしてさらに、

「行動(がんばり)」の部分を

強化しようとすればするほど、

「存在給」の方が、

少しずつ下がっていくんです。

 

 

「10万円」が「8万円」に

さらに

「8万円」が「5万円」に

という風に。

 

 

「行動」の部分が

大きくなればなるほど

「存在給」の部分が

下がっていく。

 

 

この仕組みを理解しないまま

ずっと

「行動」の部分だけを

 

(もっともっと)

 

という風にしていくと、

いつの日か

強制終了が入ると思います。

 

 

突然、

身体が動かなくなる、

みたいな感じですね。

 

 

僕みたいに突然リストラされるかもしれません。

 

 

僕にとってのリストラは、

これとは

全然意味合いが違うんで、

比較対象にはならないんですけど、

人によっては、

そういうこともあるかも。

 

 

もしかしたら、

ここまでいってしまうと

「存在給」の部分が

「-マイナス」に

なってしまうかもしれませんね。

 

 

「給料泥棒」

「穀潰し」

みたいな状態です。

 

 

こうなると

けっこうツラいです。

 

 

頑張っても頑張っても

収入が減っていくばかりか

「借金」がどんどん増えていく

みたいな。

そんな感じかもしれません。

 

 

したがって、

ここでも同じく

「行動」(Do)の方を

上げていくのではなくて、

「存在給」(Be)の方を

どんどん

上げていけるといいんですよね。

そうすると、

たとえば

「存在給」が

「+100万円」だとすると、

「行動」が「+1」でも

「収入」は「100万円」になるわけですから、

 

「存在給100万円」×「行動+1」=「収入100万円」

 

どう考えたって

そっちの方がいい。

コスパがいいんです。

 

 

ただ、

ここでも

よく誤解が生じていると思うのですが、

 

「存在給さえあげれば

 何もしなくても

 勝手にお金が入ってくる」

 

ではないってことです。

 

 

いや、

入ってきても

全然ウェルカムなんですけど、

 

「私は自分の存在給を100万円にしました!」

 

心の中で思ったところで

今月から

すぐに

収入が100万円になるわけではないんです。

 

 

って、

そんなこと

一から

説明しなくてもわかりますよね

って思うんですけど、

たまに

そう思ってしまわれる人も

いるみたいで

そこは

どうか間違わないでくだされ。

 

 

「存在給」を高く設定しました!

って言ったところで

すぐに

何もせずに

お金が入ってくることはありません。

(たまにある)

 

 

何故なら、

 

「お金を使ってないから(Do)」

 

です。

 

 

めちゃシンプル!!

 

 

そう!

お金って

使わないと入ってこないんですよ。

 

 

って言うとまた、

 

「使うと入ってくる」

 

っていう部分だけを

都合よく解釈して

散財する人とか、

あるいは、

逆に

ポジショントークとして

 

「お金は使うと入ってくるんですよ♡」

 

って壺を買わせようとする人も

出てくるんですけども。

そういうことじゃないんです。

 

 

ここの部分は

お金に対して

目に見える形としての「お金」なのか

それとも

目に見えない形としての「お金」なのか

という捉え方で

話が変わってくるんで、

これは

話が

鬼長くなりそうなんで、

次回に譲るとして。

 

 

今回は

「存在給」なんで、

そこだけに限定して

話を進めますと、

 

「行動」の部分が

 

言ってみれば

「歩合制」

みたいなものと

考えてみてください。

 

 

世の中には、

実力主義で、

頑張った報酬として

収入を得たいという人もいるんで、

どちらが良い悪いではないんです。

 

 

ただ、

どうせなら

「存在給」の方を

高くしておいた方が、

普通にしていても

収入があるし、

頑張ったら頑張った分だけ

さらに入ってくることにもなるんで、

 

「存在給を上げていこうぜ」

 

って話なんですよね。

 

 

じゃあ

どうやったら

「存在給」が高くなるんだろう

って言ったら、

色々と

段階があると思うんですけど、

まずは

 

「お金(収入)は労働の対価」

 

という認識を

ドブに捨てることからかなと思います。

 

 

だって

世の中を見渡してみれば

明らかに

収入って労働の対価ではないですよね。

働いてなくても

収入を得ている人もいるわけですから。

「労働の対価」ではないことは

誰の目にも明らかです。

 

 

じゃあ、

何なの?

っていうと、

 

自分が自分に感じている価値

 

のバロメーターかなと思います。

結局

「自己評価」であり

「セルフイメージ」

ですね。

 

 

この他にも

色々と

表現方法はあるでしょうけど、

詰まるところ、

そうなのかなと思います。

 

 

「存在給」が10万円だということが

大前提になっている人と、

「存在給」が50万円だということが

大前提になっている人とでは、

その後の言動が

全く違うと思うんです。

 

 

その差が

現実生活における「収入」という形で

現れているだけだと思うんで、

その「結果」を見て、

 

(ああ、私は自分で自分のことを

 この程度の価値だと思っているんだな)

 

という

ひとつの指標にすれば

いいのではないでしょうか。

 

 

それでいいなら

そのままでいいし、

それだと

ちと困るということであれば

「自己評価」を

上げていく。

 

「大前提」×「行動」=「結果」

 

この方程式でいくと、

「行動」の部分を

引き算していく。

 

 

そうすると

少しずつ

「存在給」の方が

上がっていくと思いますんで、

「行動」の部分は

「+1」にまでなるように

引き算してみてくだされ。

 

 

「存在給」だけ高くすれば

勝手に

お金が入ってくる

という話ではないことは

ご理解ください。

 

 

あ、あとは

できるだけ楽しんでやって。

違う言葉でいくと

ときめいて。

 

 

「自己否定」をやめてってことですな。

 

 

目に見える形としての「お金」と

目に見えない形としての「お金」

については

また次回。

 

 

《終わり》image

 

あんまり書いてないですけどnote始めました!

 

 

 

本現在提供中のサービス一覧
本ご予約可能日
本お問合せ
本ウエダミツトシ公式LINE
本ウエダミツトシ公式メルマガ
本うえ様LINEスタンプ
本書評・ブックレビューリンク集