色んな自分が同時に存在している | 夢はなくとも 希望はなくとも 

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「低いところにいるから卑屈になる」

 

 

昨日、

こんな記事を書きまして。

→知ってるだろうと思っても意外と知らない

 

自分にとって

当たり前になっていることを

世間一般でも

当たり前だと

思ってしまわないようにという趣旨の

内容だったのですが。

 

 

この記事では

心屋理論の

「大前提」について

書いたのですが、

その他にも

色々ありますんで、

今回は

続きで

 

「38階」

 

について

軽く

解説を試みてみようと思います。

 

 

ウエダミツトシです

こんにちは

 

 

こちらも

心屋理論で

よく出てくるたとえ話なんですが、

意外と知らない人がいるみたいで

ご説明しますと、

「38階」というのは

「視点の高さ」をたとえたもので、

多くの人は

大体、

「10階」くらいの視点だよ

という話なんですね。

 

 

はじめに断っておきますが、

これは

「38階」が良くて

「10階」が悪いという話ではなくて、

単純に

見える景色が違うよね

ってことなんです。

 

 

「10階」にいると

「視点が低い」ので、

目の前の現実に埋没して

巻き込まれてしまうんですが、

つまり、

「視野が狭い」状態ですね。

 

 

ここから

「38階」に上がったとしたら

「視点が高い」ので、

「俯瞰」できるんです。

「鳥の目」ってやつですね。

 

 

言ってみれば、

「視野が広い」状態なんで、

問題が問題でなくなるというか、

そもそも

問題ではなかったということに

気付きやすくなるという話なんです。

 

 

他人の悩みって、

たしかに

深刻な状態のものもありますが、

多くの場合、

 

(そんなことで悩むんだ)

とか

(こうすればいいだけなのに)

 

っていう風に

感じることがあると思うんです。

 

 

それは、

「その人」が問題だと

感じている事象に対して

「私」からは

距離があるからですよね。

 

 

自分ごとじゃないんで、

感情を揺さぶられることなく、

冷静に判断できる状態です。

 

 

これが、

自分のこととなると

途端に

目の前の現実に巻き込まれてしまって

あたふたしてしまう。

 

 

それが

「10階」にいる状態で、

そこから

「38階」に上がると

何が起きているのかが

俯瞰できるので、

「こうすればいいだけ」

ということが瞬時にわかるわけです。

 

 

そういう

「視点の高さ」の違いを

たとえたものなんですが、

これは同時に

「自己評価」「セルフイメージ」の高さの差とも

言えるんですね。

 

 

セルフイメージというのは、

実は

固定されたものではなくて、

とてもあやふやなものだと

僕は思っているのですが、

自分の中には

色んな自分がいるわけです。

 

 

「10階の自分」もいれば

「20階の自分」もいる。

逆に

「地下2階の自分」もいると思います。

そして、

「38階の自分」もいて、

それは

同時に存在している。

「分人主義」みたいなもんですね。

 

 

 

パラレルワールドを

イメージしてもらうと

わかりやすいと思うのですが、

このワードを出すと、

急に

スピ色が強くなっちゃうんですけど、

色んなセルフイメージを

持っていると

ご理解いただければと思います。

 

 

そして面白いのが、

同時に存在しているのは、

「自分」だけじゃなくて、

そのフロアに住む人たちも

同じように

色んな「その人たち」がいるんですね。

 

 

「10階」にいる時のAさんもいれば、

「38階」にいる時のAさんもいて、

同じAさんなんだけど、

同じではないという、

非常に

ややこしい話になってくるんですが、

まったく違う人になってるんです。

 

 

たとえば

「10階」にいる時のAさんは

いじわるな人だったとしても

「38階」にいる時のAさんは、

とても優しく

感じの良い人になっていたりする。

全然違う人なんです。

別人ってくらいに差がある。

 

 

これは

何が起きているかというと、

 

「自分のものの見方の違い」

 

ってだけなんですね。

 

 

「10階の住人である自分」と

「38階の住人である自分」は

同じ自分なんだけど、

「ものの見方」「視点」「セルフイメージ」が

全く違うので、

感じ方が

まるで違ってきてしまうんです。

 

 

こういうことを言うと、

「10階の自分」はダメで

「38階の自分」になると、

人生が何もかもうまくいくんだ

という風に

捉えてしまう人が出てくるんですが、

そういうことではありません。

 

 

「38階の住人」であったとしても

うまくいかない時は

普通にあります。

ハプニングは起きます。

 

 

ただ、

俯瞰できるので、

必要以上に

動じることなく、

冷静に対処できるってだけの話です。

 

 

「引き寄せの法則」についても

これまで

何度か

記事にしてきましたが、

大事なことは

「現実はコントロールできない」んで、

変えられるのは、

「現実」の方ではなく、

「自分の感じ方」の方なんですよ。

 

 

っていうか、

それしか変えられない。

 

 

「変える」っていうと、

ちょっと違うかもしれないんですが、

「選択する」だと

ニュアンス的には

より近いかなと思います。

 

 

自分の機嫌が良い時は

大抵のことは

笑って許せると思うんですけど、

自分の機嫌が悪い時は、

何をされても

イラッとくる感じと言えば

伝わるでしょうか。

 

 

これは

そのつもりがなくても

「笑って許す」ということと

「イラッとする」ということを

瞬時に

自分で選んでいるんです。

 

 

その違いが

その時の自分の状態であり、

「自己評価」「セルフイメージ」の違いだと

思います。

そういう仕組みなんです。

 

 

そしてここで

「38階」の住人たちの

特徴を説明しますと、

 

「罪悪感がない人」

 

ということになります。

 

 

罪悪感を持つと

「重く」なるので、

なかなか

その荷物を抱えたままだと

高層階に行けないんですよ。

 

 

高層階に上がる度に

抱えていた罪悪感を

ひとつひとつ

そこに置いてくるって感じでしょうか。

そうして

軽くなってくると

自然と

「38階」にまで行けるようになります。

 

 

罪悪感を抱えたままで

「38階」に行けないことはないのですが、

もし仮に

罪悪感を抱えたままで

「38階」に行ったとしたら

どうなるかというと、

 

めちゃくちゃ居心地が悪い

 

と思います。

 

 

おそらく

これまで

「10階」の住人だったあなたは、

ちゃんとしてきた人だと思います。

 

 

きちっとしてきて

真面目に

頑張って

他人の役に立てるように

迷惑をかけないように

正解を求めて

それ以外はダメなことだと

自分を律してきたのではないでしょうか。

 

 

つまり

常識的に

これまで生きてきた。

 

 

それが悪いというわけではないんですが、

その価値観を持ったままだと

「38階」に行った時に、

めちゃくそ居心地が悪くなると

思うんですね。

 

 

僕もまだ

「38階」に行ったことはないんですが、

せいぜい

「11階」くらいまでしか

知らないですし

たまに

「5階」くらいにまで

自ら降りていくこともあるんで、

想像の範囲内でしか

言えないんですけども。

 

 

「10階」にいる時の価値観を持ったまま

何かの間違いで

「38階」に行ってしまうと、

「38階」の住人たちが

 

人でなし

 

ろくでなし

 

に見えてくると思います。

 

 

だって

罪悪感がないんだもの。

 

 

好きに

自由に生きている人たちなんで、

「10階」の住人からは、

もしかしたら

 

「ひどい人」

 

に見えるかもしれないですね。

あるいは、

 

「ずるい人」

 

に映るかもしれません。

 

 

あんなに

好き勝手して

自由に

振る舞っているのに、

大切にされて

特別扱いされて

優先されている姿を見て、

「どうせ自分は」と

卑屈になって

拗ねて

ひねくれてしまうかもしれません。

 

 

このように

拗ねて

卑屈になって

自分をごまかしながら

罪悪感を抱え続けていると

ずっと

「10階の住人」として

生きていくことになりますし、

なかなか

「38階」という

自由度が高くて

罪悪感がない人たちのようには

振る舞えない。

 

 

それは

結局は

「選択」の話になってくるとは

思うのですが、

自分が今

「10階の住人」なんだということを

知らない人が

とても多いと思うんですね。

 

 

「そこ」しか知らない。

だから

選択の余地がない。

 

 

「38階」は

行ってはいけない場所だとすら

思い込んでいる。

 

 

でも、

そこに行くと、

いろんなことが

「軽い」んです。

 

 

思い通りの人生が

手に入るということではなく、

何が起きても

「大丈夫」だと思える場所なんです。

 

 

「不安」や「怖れ」「焦り」が

極端に少ないフロアで

心の底から安心できるし、

そこの住人たちも信頼できるし、

何より

自分に対する信頼度が高い。

 

 

それが

「自己評価」の高さの差であり、

「セルフイメージ」の違いとも

言えると思うのです。

 

 

それを

高層ビルにたとえて

「これまでの自分」=「10階の自分」

「理想とする自分」=「38階に自分」

という風に

言っているわけなんですね。

 

 

だから、

問題が起きた時に

目の前の現実を

変えようとするのではなくて、

自分の感じ方、

「自己評価」「セルフイメージ」の方を

変える、

「選び直す」ということが大事というか、

それしかできないって話なんですね。

 

 

目の前の現実は

「結果」です。

もうそうなってしまっている。

それはもう変えられない。

変えられるのは、

自分の感じ方

ものの見方

セルフイメージの方なんです。

 

 

それがつまり、

 

「現実はコントロールできない」

 

という意味であり、

自分が望んでいる現実を体験したいのなら、

「10階」にい続けるのではなくて

「38階」に行きなはれと。

 

 

そうすると、

「38階の自分」として

同じ

「38階にいる住人たち」と

「38階からの眺め」を

見ることができるので、

何事も

 

「軽く」

 

なって、

問題が問題でなくなって

目の前の現実が

180度変わったように感じるんです。

 

 

繰り返しになりますが、

これは

「10階」がダメで

「38階」が良いと

言っているわけではありません。

 

 

ただの

「選択」の話で、

それは

自分で

好きに選んでください。

 

 

ただし!

 

 

罪悪感を抱えて

「どうせ私なんて」と

拗ねて

卑屈になって

不満を抱えて生きていくより、

「38階の住人」として

好きに

自由に

時に

誰かに批判されながら

僻まれながらも

「自分らしく」生きていくことの方が

僕はいいと思います。

 

 

僕もまだ

「11階」くらいまでしか

行ったことないけどね。

 

 

「10階の自分」も

「38階の自分」も

同時に存在していて、

それは

自分で選べます。

ただ

「10階の自分」しか

知らなかったり、

それしか選べないと

思い込んでいるだけです。

 

 

そして、

「38階の自分」になるためには、

罪悪感という荷物を

下ろすこと。

 

 

それは

そもそも

あなたの持ち物ではありません。

あなたの荷物だと

「思わされてきた」だけです。

 

 

どこに行ってもいいんですけど、

「38階」にいたことを忘れて

こんな自分には

「10階」がお似合いだと

勝手に決めつけてないっスか?

 

 

それって、

思い込みじゃないっスか?

 

 

これまで

「10階」で暮らしてきたのなら

そろそろ

「38階」で暮らす時期が

来ているのかもしれませんよ。

 

 

「38階」はね、

めっちゃ部屋空いてるんで、

いつでも

入居可能です。

 

 

好きな時に

来てもらって大丈夫っスって感じですね。

 

 

というのが、

心屋理論で言う(理論でもないけど)

 

「38階」

 

というお話でした。

 

 

「ずるい人」になろう。

 

 

《終わり》image

 

あんまり書いてないですけどnote始めました!

 

 

 

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