自分なりの道徳の型が今回の道徳で増えた。①ワークシートを共有させて生徒にボードを渡して発表させる型②穴埋め型(□□□は自分を守る。周囲も守る。 □に何が入る?とやる手法)③マイケルサンデル型(AとBどっちが悪い?ではBの条件をCに変えた場合は?と広げていく型)

 

協議会だったけど、年配の人達のコメントは、とにかく褒めてくる。若手のコメントは分析的でかっこいいだけ。でも若手よ、お前の考えなんてどうだっていいし誰も聞いてないのだ。そういうわけで、やっぱり最終的に、コメントというものは相手を褒めておけばいい、ってのが経験則で導き出されるんだろう

 
アンケート「水素水を飲んで」・・・①「1カ月以内に効果を感じた」②「効果を感じるのに1カ月以上かかった」 2択のアンケートを作成しておけばいい。結果は、「水素水を飲んだ人のうち100%が効果を感じたと回答」「そのうち1カ月以内と答えた人は80%超」なんて書いておけばいい。研修
 
保護者会ねえ。。
 
学校での子供の様子、クラスの様子を伝えるのが良いと思う。
 
担任の志とかはやりすぎ。
 
とすると、合唱祭か。
 
合唱祭の様子。
聞くだけでOKとかやっています。自分自身は聞くだけだと3年経っても覚えない。校歌。
歌うとすぐに覚える。
 
あえて口出しはしない。
 
バドミントン部。自分自身の経験。
数学の授業。
 
5分間考えさせてから解説をしたグループと、いきなり解説をしたグループ
同じ20分
洗脳がないと戦国時代では殺し合いがたえなかったりする。武士道とはそうした武士に対する戒めであり、極道というのもすべて集団を統率するための戒めだ。ルールだけでなくそれを神格化したり格好良く見せているのも、すべて集団を効率化するために編み出された

 
コンビニもない狩りと猟をしている地域では「動物を殺しちゃいけない」という宗教も道徳も生まれない。それが生まれるのはビルが建ち並ぶ現代社会である。

 
実行委員を決める前にクラスに根回ししておき、あるいは誰の言うことなら聞くのか生徒に聞いておき、その上で根回ししておき決めた方が良い。

 
今日も道徳。学年で議論になった。「法の遵守、ルールや決まりを守ろう」という道徳の授業で「授業中気分転換のために立ち歩いてもいいじゃん」という意見をつぶす(誘導して立ち歩いちゃダメと)のか、つぶさないのか、どっちか?ってこと。

 
結論、ケースバイケース。誘導した方がよい時と誘導しないほうがいいときとある。ただし、グレーゾーンがあって、そのグレーゾーンに対して「こうじゃなきゃいけない」というのはおかしい。

合唱祭実行委員は、担任の言うことを聞く奴を選んだ方がうまくいく。初任校でテニス部顧問の言うことを聞かないのを他の先生の意向で決めたが絶対に間違っていたと思う。


 
教員が参加しない生徒主体はあり得ないね。生徒が教員の力を利用するくらいが一番かも。
 
あと、実行委員の生徒と一緒にやる。
といっても、ここでやり方について意見の対立が起きるから、それほどかんたんではないが。
夏休みの宿題で「専修学校とは」「高等専門学校とは」「高校とは」みたいなのを宿題にしたいと提案したところ、「まだ早い」と否定された。じゃあ何ならいいのか?と聞いたら「職場体験を終えた後~進路に繋がるもの」とのことだった。だから、それ一式全部用意した。すると、量が多すぎる

 
量が多すぎる、となり、じゃあ減らそうということになり、その教員がそのうち4枚を選んだ。その4枚を宿題にしようと印刷したところ、今度は「この内容だと意味がない」みたいなことを言われた。じゃあ何をやるのか?と聞いたら「高校とは」みたいの、と言われた。で、はじめからそう言ってるだろと

 
いい返したら「まあ、あの子たちにはおっとりしている子が多いから早いほうがいい」と誤魔化された。口ばっかだ。

 

2人同時の質問は受け付けない。同時に対応できないから。順番を守らせる。同様に、周囲がしゃべっているときの質問を受け付けるのはありえない。と言っておく。パワポでも作ろっかな。


 
うるさいクラスでは、周囲がしゃべっている時の質問は受け付けない。聞こえないから。と宣言しておく。

 
うるさいクラスでは指名制にする。じゃないとどんどん答える奴もいて、ペースが乱される。他の奴はしゃべり始める。自由な発言の雰囲気を作ってはいけない。

 
 
小テストは授業の事だから、授業内で消化すべきだと思います。係に配布させると点数を本人以外に公開する事になるので、素点入力期限だけど授業がないとか、1週間授業ないとかでないと担任には頼みません。逆に公開していいなら、予め座席順にして、授業最初に「自分のを取って後ろに回して」です。
 
授業内で配れないなら、それこそ授業を工夫してその時間を作る。それが出来ないなら、うちの若い英語科みたいに、休み時間の早いうちから乗り込む。(彼は2分後辺りには次の教室にいます)私も時間ないときは、休み時間に乗り込んで返却(机におく)してます。
 
「自分を押し殺してでも、敵を作らない生き方をしていれば、仲間が増え、そういった環境は自分に勇気を与えてくれる」って言葉が重い。いい言葉だなあ。
 
 
よい風が吹いてくる。
 
川の流れのようにぃ~・・・
 
 
分析:よく見てないがおそらく、その先生の手法は、、、①できる生徒を動かし、できない生徒もついていかざるを得ない状況にする ②ダメな点はやり直しを何度かさせる ③声だしをさせることで意識を変えさせる。 ④人望が厚い

今日は専門委員会。合唱祭8年連続優勝クラスの先生の動きを見ていた。とにかく「評価」する。生徒が動き、良かった点を具体的にどうよかったか評価し、褒める。生徒は自分の行動に自信を持ち始める。そして周囲も影響される。うまい動かし方をしている。
 
教育分野でのオセロの四隅は一体何だ??
 
自動的にダムに水が貯まっていくように、お金も、そして仕事でもそういうシステムを構築することが必要だ。でも、仕事でそれが何に当たるのか??
 
子供が自発的に学級を動かすには??リーダーを育てるためには??それに適した人材がそこに楽しみを見いださないとできないし、周囲の理解も必要だ。さて、どう動かすか??
 
教師側が理想的な学級像、具体的に動く学級の像をイメージできていないと、学級経営など無理だなあ・・・。そして自分はそれがまだできていない。考えたことすら一度もない。
 
うちの学年って、発言しても、全然ちがう答えが返ってくるんだよね。。。それに騙される。ここに備忘録としてメモしておこっと。
 
学級運営していて自分のやり方を生徒の前でそれは違う、ああしろこうしろ、などと他教員に言われると一気にやる気をなくす。それと同じで生徒も実行委員の仕事をああしろこうしろと言われるとやる気をなくす。ダメ出しは最悪。言うタイミングと言い方がある。生徒主体で動かすことの意味。
 
「各教科の小テストなどの配布物が多すぎる。教科で返却しろ」と言ったら「先生がやらないで生徒にやらせりゃいい」と言われ「そうじゃない。何でもボックスに突っ込んどくのやめろ」と言うと「教科も大変なんだ」と言われ「だったらクラスはもっと大変だ」と言うと「スピードばかり重視するな」と
 
言われ、「休み時間に生徒に返却させろ」と言われた。「それでも無理なときがある。」と言うと「工夫次第でなんとかなるもの。できない理由を考えてないで、どうすればできるか考えよう」と言われた。屁理屈ばっかだ。もう途中で嫌になった。
 
 

大きな怒鳴り声は生徒の意識を特殊な精神状態に変容させる。教師が怒鳴れば相手もそういう雰囲気につられてなり、やさしい雰囲気を出していれば相手もやさしい雰囲気になる。
 
 
教師が一度でも怒鳴ることで生徒からの信頼は一気になくなる。怒鳴るというのは相手を信頼していないというメッセージなのだから。相手はそれを当然感じ取る。
 
行事関係で優勝するクラスというのは楽しくやっているクラス、話し合いを沢山するクラスであることが多い。話し合いが多いということは意識がそちらに向いている時間が長いということだし、作戦やイメージを練っている時間が長いと言うことだから。楽しいというのはエネルギーを最も出しやすい状態だ。
 
基礎クラスを持っていると勉強できない奴らがなぜ勉強できないのかよくわかる。スキがあればすぐにさぼる。スキがあればすぐにしゃべるしすぐにさぼる。そして勉強しない。いかに手抜きするかに命を賭けている。もともと勉強する気がこれっぽっちもないのだ。これじゃあできるようになるわけないよ。
 
できないクラスをできるクラスに変えるには、勉強して当たり前の雰囲気をいかに教室内に作り出せるかどうかがカギ。もっとも影響力が強くさぼってる馬鹿を徹底的に潰してよい。こいつが悪の元凶なんだから、容赦なく潰してよいのです。