生徒がノートを取る授業のメリットは数学のアルゴリズムの修得に【抜けがなくなる】点。デメリットは、能率ががた落ちする点。細かい理解が抜け落ちる危険度が高まる点。

 

言語活動を充実させたいなら、ノートを取らせなければいい。どうせ板書する内容なんて全部教科書にあるんだから、後で読めって話だ。しかし、ついてこれない子がいる気がする。でもノート式でも同じか。

 

でもやっぱり、ノートを取らせると、授業を聞かない生徒に対しても強制的に聞かせることができているような気がする。書けばわかる内容は。

悪口を見抜く法・・・職場のAさんと話をしていて、Aさんに「あなたはトゲがありますね」と言われ、別のBさんと話をしていて「あなたはトゲがある」と言われたら、AとBは陰で私の悪口を言っている可能性が高い。「きつい」という言い方ならそれはない。共通の言い方をしてきたら要注意。

学年主任が下位から数えてできない子を放課後の学習教室に参加させているが、学習以前だ。集中力がない。すぐ遊ぶ。すぐ話す。すぐうろつく。すぐ寝る。すぐ筆箱をあさるなど別のことをする。純粋に勉強している時間はゼロに等しかった。やるといっても写す程度。これじゃ意味ないね。わかってたけど。

今日は研究授業。失敗。発問しても生徒の反応がない。これは悲しい。どうすりゃいいんだろ。今後・・・。普段の授業も無反応がいつもなのだが、反応がなくても勝手に気にせず授業をやってるのが普段。しかし授業視察の時はそうはいかない。だから上手く行かない。

 
あと、手を挙げる方式の授業を続けていれば手を挙げるようになる。

 
すぐに指さないこと。手を挙げて当たり前の雰囲気がなくなるから。

手を挙げさせる授業もいいかも。競うし。

 

こうなると、基本的に、一方的に授業をやって手を挙げさせるのに適切な問題が来たら手を挙げさせる。

 

これだろう。

初任の頃、気を遣って飲み会に行っても、いじめられるだけだったな~。だったら行かない方がましだから、それ以降行かないようにした。文句言われたけど、どうせ行っても文句言われるんだから、堂々と行かないようにしてたら、逆に文句言われなくなったけど。飲み会か。行くのや~めよ。最近、こちらに対して遠慮なくやりたい放題。一言で言うと「無礼」が目立ってきた。ここで飲み行くとそれを許している意思表示になる。暗に。いってらんねぇから断ることにする。

10%--読んだとき

20%--聞いたとき

30%--見たとき

50%--見て、聞いたとき

70%--口に出して言ったとき
90%--口に出しながら、行動したとき
テスト返却の際は、1番と2番の生徒だけ返却してから「あ、出席番号順に並んで」って2回~3回言えばよい。  道徳は指名制にしよう。全体に発問しても返ってこないのだ。どうでもいい内容は指名制にする。 教師の容姿は生徒から授業評価に影響する。同じ授業をやってもイケメン先生だと「あの先生の授業はわかりやすい」と言われ、ブサメン先生だと「あの先生の授業わかんない(きもい)」となる。そんなもんだ。 病院で必要十分なら、他に整骨院なんて乱立しない。つまり病院じゃダメってことを物語っている。他にもこんな例があるんだろうな。学校がダメだから塾ってのもそうだろう。それだけ学校はオールマイティだと言い換えてもいいけどね。
深い学びの定義は、関連づけること。

相談しなくてもイチイチごちゃごちゃ言ってくるからなあ・・・。情報は一切流さない。今後。そして、何か言ってきたときは、相手はしゃべりたいだけだからスルーするか、テキトーに。あまり正面からやりあわないようにしよう。相談するのも辞めとこう。イチイチひとのやること、あーだコーダうるさい。自分で勝手にやる。すると報告しないとかゴチャゴチャ言われたのが前の職場。バカに相談して何になるの?道徳教材を読んでから、あらすじを確認するのではなく、はじめにあらすじを言ってしまう。国語の授業じゃないんだから。そのほうが本文を読んだときに理解しやすいし、発問したときも答えやすいだろう。あらすじを言っておけば生徒に読ませても大丈夫だし。アホが2人以上で交通事故は起きる道徳の教材を作成中に思いついたが、数学の授業をクイズ形式でやったらどうだろうか?「決まり決まり」ってバカ真面目のアスペルガーみたいに学級運営したって、上手く行かない。なぜなら生徒は「本当にそのくらいいいじゃん」と思ってるから。説明不十分のうちは、筋が通ってなくてもある程度はルール外を許すべき。許さないならば、きちんと前もって十分説明しておかないといかん。これを学んだのは教師生活2年目だったなあ。1年目は杓子定規にやってて、2年目になんとなく生徒の様子を見ていると、目がつり上がって、反抗的になる。許すと収まる。この様子を見て、こういうもんなんだと思った。体罰もだめだし時代的にももう教師は権力者ではないことを悟った時期でもあった。言っておいた後に、「言ったよな」って指導は、すごく生徒に入りますよ。体育祭のリーダーは、特に体育のできる子がやるのではなくて、体が小さくて運動できなくてもリーダーシップを発揮できる子にさせたほうがよい、と言う。私は、違うと思う。なぜなら、体が小さくて運動できない子は気持ちの上で前向きになれるはずがないから。劣等感もちながら。深い学びとは何か?考えたことがある。自転車に例えると、たまたま10m補助輪なしで乗れた程度が浅い学び。補助輪なしでスイスイ乗れてウルトラCだってできるのが深い学び。つまりふかい学びは深い学び。俺は皆よりも身体能力が優れているぞ、という無意識の自信が、前向きなリーダーとして周囲に指示を出せるわけで、運動会でチビがリーダーをやるということは、偏差値25の奴が偏差値75の集団に入っていって「お前ら!東大いくぞ。俺についてこい」ってやってるようなもんだ。人間の法則2