ビジネスに効くクスリ

ほとんど更新しておらず恐縮ですが、ご縁があってご来訪いただき感謝です。


日常の中で感じた・思いついたコトやモノを備忘録として綴っていきますので、自分とみなさんにとってビジネスに効くクスリになればと思います。

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ブログを引っ越しました

全然、更新のないこのブログですが、装いも新たに別ブログとして立ち上げました。
ご案内が遅くなりすみません。
こちらでの更新はめったにないと思われます。。

新しいブログはこちら
考える練習
です。アメブロじゃないのですが(苦笑)、よろしくお願いします。

新年の幕開けとリハビリ

もう1月6日か。。。
ンヶ月ぶりのブログ。緊張。。
ま、いいか。
昨年11月に「ギラン・バレー症候群」という難病を患い、2週間入院。退院後もリハビリ通院と自主トレが続いている私です。
職場復帰はそこまで来ているものの、完全復活まではまだかかりそう。
今日、リハビリ通院の帰りに地元の神社でようやく初詣。
おみくじ引くと、「病気」のところには「あきらめなければ治る」とあった。
まさにそうだ。
10日ぶりの通院で握力測定してもらうも左右とも年末より数値は悪くなっていた。なかなかよくならないと言って腐っても仕方ない。
が、筋力が落ちたせいで細かいことができずイライラする。

おみくじにあった通り、あきらめずに治します。
そんな一年の幕開けですが、今年もよろしくお願いします。

壁って他人が作っているものではなく、自分が勝手に作ってるものなんだろうね。

むずかしい壁は自分自身で越えてこそ意味がある。

「ここまではがんばって考えました。でもこれ以上は私が決められるものではないので、後は上の方々で決めてください…。」

いやいや、壁を自分で作ってますよね?
そこまでやったのなら、その先は自分で決められないじゃなくて、自分で越えて行こうよ。

話し、調整し、嫌味をいくつも言われ、それでもガッツ見せて、ぶつかっていく。
その結果、ようやく人は信頼され、願いは成就する。

足りないのは「感謝」

こちらは誠意をもって接し、熱意をもって説得しようとしているのに、相手は納得してくれない。聞いてはもらえるが、行動に移してくれない。。。
さて、何が原因なんだろう?
たぶん、誠意や熱意の前に相手への「感謝」の気持ちが絶対的に不足しているはずだ。人は打算よりも「意気」に感じて動きたいと思うもんだから。

東京、2020年オリンピック・パラリンピック開催地に決定

9月8日(日)早朝、ロゲ会長の「トーキョー」に日本中が沸いた。
私も浅い眠りからなんとか起きて、このテレビの前で歴史的瞬間を固唾を呑んで見守った。
1人の国民として純粋にうれしく感じる。
昨夜のファイナル・プレゼンテーションを見ていた伊藤公氏の「偉大なる観光案内」というコメントにかなり共感したが、東京はやはり抜きん出ていた印象だったね。

2020年、つまり7年後の日本と東京。
7年ぐらいでは劇的に変化していないかもしれないが、ブログやtwitter、Facebookなんかのツールはどうなっているだろう、iPhoneに代表されるスマホの行方は?ネット環境は?何か別の新しい環境やムーヴメントは起きているだろうか。
そんなことを考えていると少し楽しくなってくる。

私は54歳になっている。
どこで何をしているのだろう。
でも何かのお役に立ちたい。
息子は16歳。出場しているかな、いや、それはないな。

いずれにせよ、楽しみは増えた。
そして、安倍晋三首相の責任はさらに大きくなったな。

電車の中で不満を感じること

愚痴みたいなメモ。

満員電車から降りようとするとき、乗降客が多い駅であるにも関わらず、出口付近で微動だにしない人、みなさんも1度や2度は遭遇したことがあるのではないだろうか。

ぎゅうぎゅうの車内で隣の人とミリ単位の攻防をしているのに、隣の人の肩から提げたバッグが異常に邪魔なときってありますよね。少しだけバッグの位置を前目にするとかできないもんだろうか。

座るポジションが微妙にずれていて、適正人数が座れなくなっているとか。

かかってきた電話に「いま電車の中なので後で書け直します」と言いながら、ダラダラ喋っている人とか。

ご年配の方が目の前にいるのに寝たふりしてる人とか。。

電車の中でこういう場面によく遭遇するが、上述の例は同じ人が繰り返しているだけなんだろうな、と思ったりする。これ、センスの問題で、「人の振り見て我が振り直す」という言葉があるように、他人の所作を見て、あれはアカンな、と感じたらまともなセンスの人は自分自身を戒めたり、自己注意をしたりするものだ。少なくとも私はそう。
鈍感な人は他人の不作法を見ても何も感じないんだろう。あるいは一瞬は嫌に感じていても自分はそういうことはやってないと思っているとか。まったくもってセンスがない人種。

あと、いまだにタバコをポイ捨てしている人がいる。
自分の家の前にタバコ捨てられたらどんな気持ちになるだろう、そんなこと知ったこっちゃないんだろうが、無神経すぎる。

こういうセンスって磨けないものかなあ。
啓蒙するポスターなんて何の効果もないんだろうか。
海外の方が自国に持って帰りたい日本の良いモノ(ところ)はその「精神」なんだそうだ。

大切にしたいなあ。日本人のよいところ。

住所印

住所印というとなんだか懐かしい気がするのは私だけか。
パソコン、スマホ、タブレットなど電子機器オンパレードの中、やはりたまには手紙を書いたり、ハガキを出したりしたい衝動にかられることがある。
自分はつくづく日本人なんだと感じる瞬間。

そのときのために住所印を作ってみようかなと思いつつ、まだ手が出せないでいるのだが、杓子定規というか、まじめなモノを作ってもおもしろくない。
やはり、デザインとか雰囲気は大切である。

こんなので一度作ってみようか。

47回目の誕生日

朝、目覚ましにジョギングしてきました。
明日、チャリティーマラソンの予定なのですが、大荒れの天気が予想されるため、今日少しでも走っておこうかと。

さて、この世に生を受けてもうすぐ半世紀。思えば遠くに来たもんだw
時間を大事に、素晴らしき人たちとの出会いを大切に、頭を常に回転させ、自分のアンテナを使い、他人のアンテナをうまく使わせていただきながら、何かを生み出し、社会に貢献する。
そして、何よりも人を育てる。そんな一年にしてみたいです。
みなさまへの感謝を忘れずに。

気が付けば2013年、今年は日記を始めました。

なんとまあ、5か月ぶりに書いてます(笑)
おろそかになったなあ、と実感しつつもまだブログを続ける意思がほんの少し残っている自分に驚いている有様。
新年早々というわけでもないけど、小難しいことは避け、今年始めたことをひとつ。

ブログも更新しない人が!と突っ込まれそうですが、今年から日記を書き始めることにしました。
ええ、日記です。アナログの日記です。ペンなどで書く、あの「日記」です。

しかも、5年連用日記。
ご存知ですか?連用日記。
1月10日のページであれば、スタートした今年が一番上にあり、下に2014年の1月10日、その下に2015年の1月10日…と綴っていく日記です。

最初の1年目は単なる日記。淡々と書き綴るのみ。
でも、2年目からは「去年の自分に会える」のです。

どんな気持ちでどんな環境で書いたのか、自分の文字に宿る「魂」を感じることができる(ちょっと大げさw)日記。
どこまで続けられるかわからないけど、肩の力を抜いて、緩く続けて行ってみたい。
「やらねば!」なんて思ってると絶対続かない。

気楽に。その日あったことを簡単に。
ま、ブログだね。でも、デジタルフォントではなく自分の字で綴る。
大切なことなんじゃないかなあ、それはそれで。

視聴者を軽く見た番組作りではテレビ離れも仕方ない

くだらないテレビ番組を見てしまったためにげんなりしてしまった。正確に言うと「最初は期待していたのだが、途中でスイッチを切ってしまった。」ということになる。
オリンピックを見て、アスリートたちの真剣で謙虚な姿勢に熱中した後だから余計にそう感じてしまうのかもしれない。。。

ちょっとおもしろそうだと思って録画していた「超マジシャンズリーグ」マジックは嫌いな方じゃないし、むしろおもしろがって見始めた。前回を見てないのでルールはよくわからないが、さまざまなタイプのマジシャンが3組ずつ4つのブロックに分かれ、ブロックごとの予選を勝ち抜いて決勝に進むという方式なんでしょう(途中で見るのを辞めたから詳しくはわからないのですがw)

3つ目のブロックは2人の日本人マジシャンと海外(台湾)からのゲストマジシャンの戦い。2人の日本人マジシャンは結構すばらしいマジック、一方の台湾からの某マジシャンはネタ的にもどこにでもあるようなもので私の家族も「これがゴッドハンドと言われる所以がわからない」と言っていた。確かによーく見ていると、手元の動きがわかりやすく、「あ、いま襟の裏をさわった!」とか「あ、いまジャケットの裏をさわった」と素人目に見てもバレてしまっているレベルなのである。

そして、決勝に進むマジシャンが得票結果(会場の一般人とゲストタレントたちの投票による)とともに発表された。結果は某台湾人マジシャンの圧勝。。。んんん?誰がどう見ても一番下手だったじゃないか?甘いマスクではあるが、なぜだ?
台湾から招いたゲストだからここはテレビ的に(視聴者ではなく興行的にということかギャラだとか日本までお呼びした手前という意味)彼を予選で落とす訳にはいかない。そんな裏側事情を想像してしまった。ここでもう一気に萎えてしまい、見るのをやめたわけである。

素人の推測に過ぎないわけだが、こういう番組作りしているとホントテレビ離れが加速するよなあ、と。バラエティなんだからそんなことで目くじら立てなさんな。なんて言われるかもしれないが、結局のところ、こういう信用できない事象の積み重ねで視聴者というのはテレビから離れていくのです。

年齢を重ねて民放のバラエティやドラマを嫌い、NHKのドキュメンタリーやEテレの教養番組、あとはニュースばかりしか見なくなるのは至極当然のことなんだろうとあらためて強く感じた。こうした考えは広告業界にも打撃を与える(もうすでに与えている)、例えば、ビールのCMを流してもビールを大量に消費する世代はもはや民放をみていない。そういうことになるのだ。
そんなことわかってるよという声も聞こえてきそうだが、人も物事も何かと因果関係があったりするもので、単なる怠慢な番組作りと済ませていてはいけない気がするのである。
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