ビジネスに効くクスリ -5ページ目

モノ・コトづくりのデザイン(川島蓉子著)読了

ひさびさに伊藤忠ファッションシステム(IFS)の川島蓉子さんの本を読んでみた。
「モノ・コトづくりのデザイン」

で、レビューなんかはおこがましいのだが、ちょっとだけ感想を。
その前にこの本、ほんとにすぐ読めちゃう。僕は集中力がなくて読むのが遅いんだけどそれでも数時間でざーっと読めてしまった。

川島さんの著書は何冊も読んでるが、これまでの著書に比べ正直物足りなさが残ったかな。書かれている内容は「なるほど確かにおっしゃる通り」ということも多いわけだが、「コトづくり」というフレーズ自体は以前から言われていることなのでフレーズとしての新しさは感じられないわけだが、「モノ・コトづくりのデザイン」を実践している事例は多く取り上げられていて実践方法を知るには良い機会かもしれない。
LISMO、ディーン&デルーカ、アスクルあたりの事例には鮮度は感じられなかったが、パス・ザ・バトンやエステーのデザイン革命という話はおもしろかったかな。
こういう企業ネタを事例に挙げるのって、最近はブログやセミナー等を通じて知りえる情報だったりするので書籍で鮮度を保ちつつ表現していくのは難しいな。

さ、川島さんが伝えたかったであろうことは一言で言うと「ベネフィット伝えることに注力せよ」ということなんだと思う。

細かく書くつもりはないけど、こういうこと。

・機能だけを訴える時代はとうの昔に終わりを告げ、使い心地や使った後の幸せ感など商品を手に取ったとき、これでどんな気分を味わえるか、シンプルで強いメッセージで語りかけるべき。送り手がであるメーカーが思っている以上に平易な言葉で語りかけなければ使い手である消費者には伝わらないと思ったほうがいい。

・固定概念に凝り固まって古いメッセージを発信し続ける企業は生き残っていけない時代。ブランド作りとその維持だって、時代が移っても「変わらない部分」と時代に添って「変わる部分」がうまくバランス取れてるかどうかってことだと思う。そのために重要なのは企業とクリエイターがきちんと「コミュニケーションできる」かどうか。
クリエイター→企業という一方的なコミュニケーションでは長きにわたって愛される強いブランドにはならない。

・時代の大きな流れが「良い・悪い」から「信じられる・信じられない」に変わり、企業の存在に意義・共感が求められるようになってきた。

あと、異業種とのつながりについても言及している。
・業界内で閉じているとデフレになって行き詰まる。
・業界を超えて「つながる」こと。
・枠組みを超え、まったくの異業種と組んでみる。それも消費者にアピールするため表層的につながった「コラボ」ではなく、がっぷり組んでまったく新しい価値やビジネスを作り上げる。
まったく異なる視点が入ることで自社の「本質的な良さ」に気づくことも多々ある。

いずれにせよ古い価値観では勝てない。
主役はモノからコト、というより私はモノを使う「ヒト」とか「ココロ」にフォーカスをあてて挑んでいく時代になっていると感じている。

モノ・コトづくりのデザイン/川島 蓉子

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レコメンド業界は熱かった

先週木曜日、日本ダイレクトマーケティング学会・次世代Web研究会主催のオープンフォーラムに参加してきた。
テーマは「レコメンデーション最前線」
「レコメンドはウザい」という風潮も出てき始めているという中でいかにレコメンドという仕組みが上質な店員のようにそっと顧客の行動を補助できるか、そして社会の役に立つかといったことを中心に各レコメンドシステムサプライヤーから事例を交えた熱いプレゼンが行われた。

会場にはすでに導入しているEC企業、これから導入を検討する企業、そしてEC企業をクライアントに抱える広告代理店などが参加。しかもこの日は当夜のワールドビジネスサテライトでホットリンクさんのレコメンドツールが金融工学としても活用できるというネタでオンエアーされることが発表されるなどタイミングの良さも手伝い、みんな熱心に聴いていたと思う。

基調講演では電通イーマーケティングワンの北澤さんから「レコメンドとは」という概念的な内容とレコメンドがこの先、顧客起点の展開に向けてどう変わっていくべきか、どう活用されていくべきなのかというお話を聴いた。
そしてその後、サプライヤーさんからのお話を聴いいたのだが、意外と自社製品の売り込みをゴリゴリやるのではなく、自分たちが考えるレコメンドの世界という観点でのお話が多かったように思う。
プレゼンされた企業は以下の5社。
・コトハコ(山内社長)
・シルバーエッグ・テクノロジー(西村淳子COO)
・ブレインパッド(佐藤洋行氏)
・ホットリンク(内山社長)
・リッテル(坂大嘉彦氏)
みなさまそれぞれにお話が楽しく興味深いものでした。
コトハコの山内社長はダジャレ使いで、ホットリンクの内山社長は素人とは思えないしゃべりのうまさ(笑)

さて、振り返ってみると、レコメンドというのは簡単なものから複雑なものまで導入企業のニーズによってさまざまな対応ができる。大規模サイトでは細かい顧客分析をレコメンドと組み合わせて効果を上げることも可能だし、小さなサイトではさしあたってサイトの制作リソース上、どうしてもまかなえない部分をレコメンドツールで補い、売上貢献に持っていくことも可能だ。
しかしながらレコメンドを入れるだけでは解決にはならないということも知っておくべきだと思う(後述)。そのあたりを少しメモとして残しておく。

レコメンドはサイトの中の各ページに訪れたユーザーのそれまでの導線や考えによって求められる次の一手が異なる。つまり、サーチエンジンからトップページにランディングしてきたユーザーと、お気に入りに商品を追加した場合とカートに入れた直後の対応では次に行ってもらうアクションが異なるからだ。さらに細かく言えば、各ページへ訪れたユーザーの思いによってもレコメンドするモノが異なってくる。
例をあげると、サーチから商品名でランディングしてきたユーザーにも以下のタイプに分かれる。
・欲しい商品はわかっていて、価格と在庫を調べたいだけ。
・欲しい商品はわかっていてもどの型番にするかまでは決めていない。
・何となく欲しいものを探している。
それぞれに次に行ってもらいたいことをどうレコメンドしていくか。
しかも「自然体で」というのがこれからのレコメンドに求められることなのかもしれない。
全セッションが終了した後の懇親会で某社のアナリストから伺ったのだが、顧客から「サイトの中でいろいろと私に奨めてくるのは気持ち悪いのでやめてほしい」というレコメンドに対するクレームが実際に届き始めているらしい。
レコメンドされているという認識を一般ユーザーもふつうに感じているということだ。

レコメンドを導入する目的はどの企業も「単価アップ」のためが主目的、あとは言い方が悪いかもしれないが在庫が残っているからサイト内に多めに露出しちゃえという発想などもあるだろう。しかしこれだけではレコメンドはもはや成功しないステージにきているんだなと思っている。

サイトにはユーザビリティという考えがあり、それは「接客」であり「おもてなし」である。ならばレコメンドというのも大切な接客の一部に違いない。
お店の店員さんがそばでいちいちリアクションしてくるのは本当にウザいと思うのと同じようにサイトの中でも行き過ぎたレコメンドというのは邪魔になるだけだ。
ただ、顧客は不安なときや決められないときに店員さんを頼り、感じの良い店員さんにはいろいろと聞いてみたりするものである。この先、接客が上手な店員さんの要素をどうやってテクノロジーに乗せていくか各社とも必死で考えていくべきだろう。

導入する側の企業としては、レコメンドは導入するだけでは簡単には効果が出ないということを知っておかねばならない。私が前職で2006年頃に某社のエンジンを導入したときも、目に見えて効果があったというよりも被験となった購入者サンプルの数人の中でやっと1商品が増えたとかの程度だったと記憶している。
その後ルール設定を細かく修正したりというたゆまぬ努力によって効果を少しずつあげていくということになるのだが。
このあたりはSEOと同じで日々のチューニングがモノを言う世界なのだ。

あと、今回非常に勉強になったのが、ホットリンクさんの例のようにレコメンドとブログやバズデータと組み合わせて、通常のECのみならず金融商品の売り買いをレコメンドしたりできるというところまで進化しているということだ。
基調講演でも聴いたが、これからはさまざまな家電製品にもインターネットが接続し始めると、レコメンドの果たせる役割はもっと広がるとのこと。冷蔵庫の中身を冷蔵庫自身が把握し、今残っている食材にあと何をプラスすればこんなメニューができますよということをスマートフォンなんかにレコメンドしてくるとか、カラダログと呼ばれるものをつなぎあわせるとカラダに必要な食べ物をレコメンドしたりなども実現可能か。
また、思想やわいせつな情報を必要としない人には排除するレコメンドという機能も有効になってくるだろう。
レコメンドという概念だけでは追いつかないかもしれないが、いずれにせよこの領域はまだ当分熱そうだと実感した一日だった。

ご登壇された方々ならびに懇親会でご挨拶させていただいた方々、大変勉強になりました。ありがとうございました。

恋愛上のコミュニケーションもずいぶん変わった

会社の社内報に掲載していたものを再編集してブログにエントリーしてみる。

ノスタルジックな話なので真剣に受け止められると恐縮ですが、ま、世の中ってこういう変化があったのだということを伝えていく意味でも書き残しておきたいなあと。

モバイルやインターネットのおかげで私たちのコミュニケーションの形は大きく様変わりしている、とよくあるセミナーの冒頭トークみたいなことを言うのも恥ずかしいのだが、少し懐かしいエピソードを用いて、コミュニケーションの変化を考えてみたい。

今、友達や彼女に連絡するのは携帯で通話するかメールが主流。もはやそこに固定電話の出る幕はない。私の幼少期から青春時代は固定電話時代で、彼女とデートの約束をするのもドキドキものだったと記憶している。

まず、彼女の家に電話を掛けると、大抵の場合、お父様かお母様が出る。
「こんばんは。onisatoと申します。○○様はいらっしゃいますか?」
するとお父上が「あいにく娘は留守だがどんなご用件かな?」なんて返してくるもんだから
「あ、大した用事じゃありません」とか「あ、はい。いえ、、、」などよくわからん返しをしたり。
そして、時には中尾彬のようなゆっくりと低いトーンで「何の用かな?」と言われ、心臓が飛び出しそうになったり。

よく学校帰りに「今夜○時ごろに電話するから出てくれよ」なんて約束しつつも、いざ掛けると出てくれない(笑)、当時はそんなコミュニケーションを経験しながら一歩ずつ大人の階段を登っていったもの。
今じゃ考えられないけど、「電話をするための約束」という儀式。
そんなものが当たり前だった。

書店流通じゃないけど「取次ぎ」ってことを体験するわけだ。
親が先に出てしまって、取り次がれる。自分宛だ!と猛スピードで受話器を取ると彼からじゃなく親の知り合いだったり。
※そういや受話器って単語、あんまり使わなくなったなあ。

どのくらいの世代から「取次ぎ」経験が薄くなってくるのかはわからないけど、携帯やネット環境のおかげで個人間コミュニケーションはずいぶんと楽になった、と本当に思う。

次に、彼や彼女と別れた後のコミュニケーションにも変化があるのではないかと考える。
私の青春時代、学校が同じで同学年とかクラスが同じといった環境であれば関係ないかもしれないが、住む街が違うとか、学校も違うということであれば、交際が途切れたあとに連絡することがむずかしかった。今の世のように携帯がないからだ。
手紙を書くか、(固定)電話をかけるかしかないわけ。
手紙はともかく、付き合ってたころには何度も親との「取次ぎ」を経験し、覚えられているので別れた後は掛けづらい。
なので自ずと疎遠になる。
未練たらたらになりがちな男のほうは女性に対し、「元気でやってるか」的な表現ができる場所が年賀状くらいしかないわけだ。
するとどうだろう、別れた後の彼女とのコミュニケーションは1年越しになるわけです。
つまり、「おめでとう…元気にしてるかな?」といったメッセージに対し、「元気でやってるよ」の返事が翌年の年賀状に現れる(ま、現れるのはいいほうだが)

私たち世代(完全なるミドルです)が多感だったころに比べ、別れてもまたくっ付いたり、というケースや何度もくっ付いたり離れたりするカップルがいると聞く背景にはケータイやSNSのような手軽なツールが身近に発生したためじゃないかと考える。
特に「メール人格」がすばらしい人などがいるから、別れてもまた好きになっちゃうケースがあるのだろう。

このように環境・デバイスの変化は時間・場所といった制限は取り払い、持続性をもたらせた。即時性を求めるのであれば通話が一番楽だし、相手の都合を考えるとメールが良い。
不特定多数の中での発信しあうSNSなどのネット環境もある。といった具合に。

残念ながら通信手段の主役から下ろされた感がある王道ツール「手紙」はどうだろう。
手紙は今や単なる通信手段から気持ちを伝える際の感情を演出するエンタメツールとして相手に気持ちよくなってもらうための機能が求められる時代になったとも考えられるよね。
もらったらもらったで大変うれしいものである。

こうしてコミュニケーションは変わってきたのだが、どんなツールを使おうともコミュニケーションに大切なのは「気持ち」。使うデバイスや方法が変化しても大切なことは今も昔も変わらない。

昔話には気を付けよう

私も完全なおじさんの部類。よくノスタルジックな話(つまり思い出話)をしてしまう。
「俺の若い頃はなあ…」とか「昔はこうだった」ってやつだ。実際はそんなにオヤっさんっぽい喋りじゃないが(と、本人が思っているだけかもしれない)。

これ、若い人から見るとかなりウザい(はずだw)
でも年長者からすると後輩などにそういう話からでも何か学んでほしいとは思って話してたりするもの(と、思いたい)。

また、同じように思い出話をしている大人にも差がある。
つまり、「それぐらい知っておけよ」と過去の経験話を事実として言い伝えるだけで終わったり、単なる時代自慢で終わる大人とその成功や失敗体験をその時代の環境や背景、トレンドなどに照らし合わせて、今の時代ならこの課題にどう対処しないといけないかを示唆してくれる大人の差である。
なんとなくだが、後者のケースは極めて少ないと思う(笑)。

せっかく若い人より多くの経験をしてきたのだから、それをきちんと社会のお役に立つよう残していかねばならない、と最近強く感じるようになってきた。
環境やトレンドの違いはいくら話してもそもそも異なるわけだから、その違いは説明するだけにとどめておいてもっと普遍的なことを教えていきたい。

宝島社が開拓した日本のストリートファッションとマーケティング戦略

先日、日本通信販売協会(JADMA)が主催する「TSUHAN2010」というイベントで「宝島社のマーケティング戦略」というセッションがあり、同社広報の桜田さんのお話を聴くことができた。
雑誌不況の中、一番誌戦略なるものを打ち出し、雑誌不況の現況の中、トップレベルの販売部数を堅持している好調の同社の戦略話は非常に興味深かった。

通販協会関係者のお話では同イベントの2日間の全セッションでもっとも早く定員が埋まったセッションらしく、100名の会場はほぼ埋まっていたと思う。通販関連イベントの割に出版社の方が多かったそうだが、それだけ宝島社の露出が高く、みんな興味を持っている証拠だと思う。

お話の中では先だってカンブリア宮殿でも放送された内容もあったが、個人的に印象に残ったことをあっと書いてみる。
その前にせっかくいただいた資料に宝島社の雑誌の発行部数が記載されていたのでメモ代わりに残しておく。
何がどんな雑誌かは実際にはご自身でご確認あれ。

・Sweet 115万部(ブランドもの付録の先がけ)
・mini 36万部(裏原宿の女の子をテーマにしたsmartのガールフレンド版)
・SMART 30万部(CUTiEの男性版として95年に創刊)
・CUTiE 17万部(原宿の女の子を取り上げストリートファッション市場を開拓)
・SPRING 40万部(CUTiEのお姉さん版)
・InRed 70万部(spring卒業生向け、当時の30代誌は主婦orキャリアしかなかったため、新しい30代向け女性誌としてブレイク)
・steady 75万部(おしゃれ通勤着)
・GLOW 30万部(ツヤっと輝く40代女子力。創刊したばかり完売)
・リンネル 30万部(ふわっとやさしいおしゃれマガジン。GLOW同様創刊後すぐに完売)

ついでにメモ。
これまで雑誌は年代とスタイル感でポジショニングを設定することが多かった。20代コンサバとか30代前半カジュアルとか。
sweetは中学生から60代までと幅広い読者がいる。ライフスタイルや嗜好性は年をとっても変わらないことから雑誌はこれまでのデモグラフィックでは通用しなくなってるんだろう。

宝島社といえば私の世代としてはやはり「月刊宝島」。サブカルチャーというかパンク、ニューウェーブ系の雑誌だった印象が強い。いつからファッション誌として有名になってたかはオジサンにはわからない(笑)。
同社がCUTiEを創刊し、日本のストリートファッションを世に発信し始めた頃から宝島社は生まれ変わったのだろう。

そんな同社だが、最近、巷でご活躍中の広報課長・桜田さんが所属する広報部門は2007年創設と意外なほどその歴史は新しい。
桜田さん曰く、出版社はマーケティングを行ってこなかったという(言い方間違ってたらお許しを)。良い本を作っても売れない時代だからこそ、仕掛けが必要だと。
3部作の3作目が発刊される際は1作目、2作目の帯を変更し、3部全部読んだら読者に特典があるような販促を施す手法をとる。

また、電子書籍の波が来たからと言ってそちらに飛びつくのではなく、既存の書店流通を大切にし、読者も流通(書店)も巻き込めるようなことを重要視している。
そんな思いから書店さん向けに印刷工場見学や、各誌編集長と会って話ができるツアーなどを企画し、同じファッション誌を扱うなら宝島社のものをという気持ちにさせることを実践。
とにかく書店で一番良いところに置いてもらって、一番売れる雑誌を作る。それを目指したのが宝島社の言う「一番誌戦略」なんだろう。

そして、宝島社を変えた「マーケティング会議」
メンバーは社長をはじめ、商品開発、書店営業、広告営業、広報、編集など、編集会議とは異なり、商品(雑誌)を売るための会議。これまでの出版社は本を「商品」として捉えていなかったのではないか、と桜田さん。「作品」に近いのかな。出版社は企業であり、そこから生まれる雑誌は商品。だから良いモノを作るだけではダメで、良いモノを作って「売る」ことが大切なこと。
製販、広報、マーケ、編集が集まるこの会議体が成功しているのは、マーケティングが好きな経営者も参加し、課題を共有できていること。そしてヒトモノカネのジャッジが早いことだそうだ。
ときにはくだらないことも話しているそうだが、同社にとって有意義なのは確かだろう。

あと、宝島社と言えば「おまけ」「付録」
宝島社では付録をすべて「ブランドアイテム」と呼ぶ。編集部自らが読者ニーズを徹底的に追及し、素材選びからデザインまで行う。そして、メーカーの工場に検品のため出向くことも多々あるらしく、新人であっても何商品か手がけると、メーカーの製造担当者並みになっているとか。。。
このブランドアイテム、オリジナル性と期間限定が売れる理由だ。

そして最後に桜田さんがまとめた宝島社マーケティングのポイントはこれ。

1:雑誌のライバルは「雑誌」ではない。
雑誌のライバルは雑誌ではない。女性がお金と時間を消費するものすべてが競合となる。今、雑誌を読んでない「潜在読者」たちをどう取り込んでいくか。だからこそいろんなところでCMを打つ。ときにそれはアンパンマンだったり、プロ野球中継だったりと。

2:既成概念にとらわれない。雑誌は商品、業界の常識を疑う。
出版社は企業、そこから生まれる雑誌は商品。決してアート作品ではない。

3:社内でわかりやすい目標を持つ「一番誌」となる。
社員の多くは中途採用。いろんなビジネスセンスの人が集まっている。女性6割。情報化と効率化重視。コミュニケーション重視型経営。それが宝島社の強み。
グループごとに共通認識できない指標を掲げてもわかりづらいだけなので、わかりやすく共有できる目標を掲げる「一番誌戦略」

なるほど。
経営にわかりやすさは絶対必要だ。
ビジョンが明確なのもモチベーションアップにつながるし。
電子書籍の波が出版社に対して押し寄せてくる中、彼らは電子書籍に興味なしと言い切った。
自分たちは一番読んでもらえる雑誌を作り、書店流通を応援し、売り場と共に幸せになるのだという明確な考えがそこにある。

とは言え、電子書籍化の波に抗えないこともまた事実。
彼らの次に投入する企画から目が離せない気がした。

私が本件に関して11月12日につぶやいたのはコチラです。

儲けることは良いことだ

あの会社は儲けすぎてる。
そんなに儲けが薄いならやらないほうがいい。
こんなに儲けてしまってはお客さんに申し訳ない。
お客さんのことを考えたらうちだけがそんなに儲かるのはダメなんじゃないか。etc.

いったい儲かることは悪いことなのか?良いことなのか?
儲けっていったいなんだ?

誰かが儲かるということは一部の悪徳商法を除いて、需給のバランスが良くて、双方に納得しているのだ。

一般的な物販の場合で考えると、供給側(消費材だったり、レストランでの食事だったり)のことが好きで信頼しているからこそ、その商品価格を受け入れ、お代を払う。
消費した商品が自分にとって満足のいくものだとそれは更なる信頼となり、リピート消費につながっていく。やがて、その消費者は供給側にとって「ファン」となり、蜜月の日が続く(短い場合もあるが)。
一度は買うことがあっても納得できなければ二度と買わない。
信頼関係がなければいつもいつも儲けさせてはくれない。

そんな簡単なこと今更何で語ってんの?とお思いになるかもしれないけど、ある漢字をじっと見つめていたらそういうことを書きたくなってしまったのだ。

その漢字は「儲」という漢字。
よーくみるとよくわかる。
にんべんに言う者、それは「信者」

信者はwikiによると宗教的な使い方から転じて「特定の個人や団体や主義や製品などに熱中している者」という意味を持つ。
企業にとっての「ファン」のことに他ならないわけだ。
信者は儲けにつながっている。
信者が増えれば儲かる。
信者の期待を裏切ると信者は減るわけだから儲けは少なくなる。

近江商人の理念である「三方よし」という言葉をご存知だろうか。
今でも納得の理念。
・売り手(企業)よし
・買い手(お客様)よし
・世間(社会)よし

つまり、信者が増えて、社会全体に貢献できれば、その事業主は必ず儲かるということになっている。
そしてその儲けはまた信者(買い手)と社会に還元できる。

これは企業と消費者の間だけの話ではなく、企業の中(社内)においても通用する考え方だと思う。
自分の仕事っぷりに対して、信者になってくれる人が増えれば、会社全体にも波及し、貢献できる。したがって本人の評価もあがるというものだろう。

信者を増やす
三方よし

忘れずに生きていきたいものである。

ユニクロがもたらした功罪

おっとタイトルに気合い入れすぎてしまった(笑)

ユニクロってみんなにどう映ってるんだろう。
おしゃれな存在?便利な存在?なくてはならない存在?自分らしさを演出できる存在?
答えはすべてにおいてYESだろう。

CMを見ていると超一線級のタレントが出てくる。挙句、最近ではオーランド・ブルーム、シャーリーズ・セロン、、、なんと神々しいことか(驚)

90年代前半には「理由の如何に関わらず返品を受け付けます」というCMを大阪のおばちゃんを出してOAしてみたり(見てない方はYoutubeで)、ユニクロの悪口を言って100万円もらおう!といったキャンペーンをするなど、かなり奇天烈なこともやっていたユニクロだが、ここ5年以上くらいはすっかりファッションブランドとしての定位置を確保しつつある。

「しつつある」と表現したのは、世間はどうあれ、自分の中ではユニクロをファッションブランドとしてカテゴリー分けしていいかどうか判断がつかないからだ。
誤解を招かないようあらかじめお断りしておくが、私はユニクロが嫌いなわけではない。どちらかと言うと好き。柳井さん著書「一勝九敗」を読んだときも素直に感銘を受けた。でもどこか「大」好きになれないし、これからもならないような気がする。

なぜかはわからないが「好き」と「好きじゃない」が共存するブランドかもしれない。
ただ、ブランドとして私の心に深く刻み込まれていることは確かだろう。
今そういう気持ちで書いている。

実は先日、これからの季節の土日早朝ウォーキングのお供にと、あまりの軽さにウルトラライトダウン(フード付き)を購入してしまった。
正直、ユニクロでアウターを買ったのは久しぶり。おそらく5年ぶりくらいか。ふだんはビジネス用のソックスと家で穿くスウェットパンツ程度のものしか買わない。きっとそういう男性ってまだまだ多いんじゃないかな。

ユニクロで買うのは軽いものだけ。アウターだけは手を出してない(出したくない)。

ま、ユニクロに関してはいろんな見方があり、経営者の柳井さんの存在を中心にいつも礼賛と批判に晒されている。そんな中、柳井さんは自分の哲学を貫き通し、成長し続けている点では本当に素晴らしい企業だし、本当に尊敬できる経営者だなと感じるわけです。

そんなユニクロに関して、私が自分なりに思っている(みんな思っている)ことをあらためて書いているのはわけがある。
日本を代表するファッションSPA企業がメガ化していくにつれ、日本人の街角ファッションがとてもつまらないモノになってしまうのではないかという危惧(大げさか?)を、自分や皆さんにあらためて問うているというものなのだ。

ユニクロ(ファーストリテイリング)の活躍は今や説明しなくても消費者のみなさんご自身が十二分にわかっていると思う。1億総カジュアル化を目指し、ファッションが身近で楽しいものになるよう企業努力を続けて来られたことにはほんとに敬服する。

何より素晴らしいのは世のオジサンたちのファッションへの意識を高めたこと。これは正確に言うとオジサンたちの奥様たちにとって、懐にも優しく亭主を人並みに着飾ることができる方法が見つかったというべきなんだろう。

本人たちからすれば「あ、ボクのようなおじさんも買っていいんだな」とか「あ、これなら私にも派手じゃないし、清潔感があるだろうな」と感じることができたと言うべきなのかな。

ユニクロがヒットする以前から通販や量販にはファッションというカテゴリーがあり(当たり前か)、カジュアルなラインアップは存在したし、価格的にも十分対応できるものはあったのだ。ただ、先のチャネルから生まれてくるものは、なぜか胸にワンポイントあったりとか、襟だけに変なカラーを取り入れてたりとか、そもそもなんでそういう服しかないのっていうものまで、およそオシャレと呼べるものが少なかったし、ファッション製品の売り場のVMDがおしゃれじゃなかったのが現実だ。

それが、ユニクロの登場により、というか時代の後押しもあったのか、国民の中に一億総中流なる意識が芽生え、全員が「そこそこ」オシャレになったのだ。この「そこそこ」というのがミソでこれがユニクロ大ヒットにつながったと言っても過言ではないだろう。とにかく「そこそこ」感に支えられているのだ。絶妙。ユニクロのみならず他のブランドやSPAにも共通して言えることだ。

そこそこオシャレに見える
そこそこ印象が良い

ここまでは功績。

続いてその反対。ユニクロは国民のファッションレベルの平均点を総じて引き上げた反面、本来、個性的であるべきファッションの同質化を招いてしまったとは言えないだろうか?
コモディティではオシャレにはなれない。勝手な意見だが。

買い物という行動を後押しするのは買う直前のワクワク感を味わった経験。ユニクロでの買い物にはそれが感じられない(個人的に)。それはコモディティ製品を買っていると脳が判断しているから。

同様な感情で選ばれるものに無印良品が挙げられるケースもあるが、こちらはもっとコンセプチュアルでシンプル&ナチュラルがライフスタイルに浸透しているため、ワクワク感は継続している。

現に8月、9月は商品戦略がチグハグになったことと残暑のせいもあって、久々の絶不調となった。ユニクロはたまにらしからぬ商品を出す。夏場にストアに行った際にピンと来ないものがあったと記憶しているが、やはりらしくない商品の陳列をみたせいだろう。ストレートに売上に現れている。
勝手な推測だが、柳井さんが現場から目を離すとユニクロの売上は落ちるようにできてるのかな。
1億総カジュアルを目指してきたのであれば、上質で心地よいカジュアルラインを追求し続けてほしいというのが私のユニクロに対する愛情表現だ。

ファッションはカウンターカルチャーだ!なんてことを言う気はないけど、ユニクロやGAP、MUJIなどがファッションのメインストリームになりつつあるのは彼らの市場規模を見ていればわかる。
でも、コモディティでは個性は演出できないだろうし、いろんなものとの組み合わせを上手に使いながら、国民一人一人がファッションを楽しめるような環境になればいいと思っている。
そのために定番のカジュアルラインというのは存在するのだから。

私たちのライフスタイルを彩るアイテムというのは常にトレンドと向き合っていて、流行り廃りがあるのが当たり前。ここまで大きくなったユニクロに対し、私が抱く次なる期待は安価な国民服作りだけではなく、別のまったく新しいことなのかもしれない。

四十の手習いでMac&Androidデビュー

最近2つのモノを手に入れた。
1つはMac Book Air、もう1つはdocomoのスマートフォン GalaxyS。

前者については、人生初となるMacユーザーとしてのデビューをMac Book Airで飾ったことになるv(^^)v
後者は、ふだんiPhoneを使っているが兼ねてからAndroidを使ってみたかったので、もう1台のケータイをGalaxySに機種変したわけだ。

スマホ2台持ちという一見阿呆なことをしているが、iPhoneの良さを知るにはこれまでのガラケーとの比較ではいけない。Androidを使ってみないと比較はできないだろうし、逆また然りでAndroidのほうが優れている点なんかも知りたい。
使ってみないとわからないことは多いからね。座学では得られない何かが実体験にはあるのだ。
クルマは何台も持てないけど、ガジェットなら多少の投資は可能だろう(と勝手に正当化してみるw)
友人からはどう使い分けるの?なんて聞かれるが、使い分けも何も、まだ感覚だけで使っているだけ。
GalaxySを人に薦められるだけの要素は得られてない。

さて、続いてMac Book Airだ。
iPhone、iPadを持ってるが、パソコンはずーっとWindowsユーザーの私。
Macに関して興味がなかったわけではないものの「あれはクリエイティブなことをする人間の持ち物」という印象をずっと抱いていた。そしてそれはAirを買った今でもあんまり変わってはいない。もちろん、自分がクリエイティブになったわけでもないが、iPod Touchを発表し始めたころからMac使ってみたいなあという気持ちはどこかにあった。
それが顕在化したのは最近のApple社の圧倒的なプロダクトアウト発想のモノ作り。「こんなにステキなモノを作ったよ。きっと君は気に入るはずさ、だから使ってみないか?」という感じで投げかけてくる。iPhoneを使えば、Macを使えば、こんなにステキな世界が体験できる。
「消費者の意見を聞いた結果、こういうものができました」とは反対の発想だ。

このアプローチがモノ好きの私には滅法効くわけだ。
そして、ずーっとだまされてみたいと思っていたところにこの薄さとカッコ良さを兼ね備えたAirが登場したのです。
折しも家にあるパソコン2台(デスクトップとノート)がまったく同じタイミングでお釈迦になり、1台はどうしても必要だったので買ってしまった。

そして到着後まだ数日しか経ってないが、すべてが目新しく楽しい。
会社ではMacユーザーのデザイナーたちに手ほどきを受けながら、Windowsでこう操作するのはMacではどうなる?を聞きまくり、なんとか慣れようとしている。
この体験自体が自分にとっても新鮮で心地よい。

体験に勝る価値はない。

下世話な話だが、いつもカフェなんかでMacを触って何やら仕事している感じの方がステキに見えた。私もそう見えるだろうか?そう見えるように使いこなせる日が来ることを願って使ってみよう。

いくつになっても面白いことや楽しいことには飛びつきたいものです。

デフレの正体-経済は「人口の波」で動く-読了。

ああ、ずいぶん時間がかかってしまった。もっともっと読まなきゃいけない本があるのにすっかりペースが落ちてる。反省。

さて、デフレの正体-経済は「人口の波」で動く-(藻谷浩介氏著)を読んだ。
著者が日本政策投資銀行参事役ということもあり、タイトルだけ見るとなんだか堅そうな金融本かと思ってしまうが、読み始めるとまったく印象が変わる。
変わると言うのは、堅そうなのに中身がないというギャップを感じるものではなく、文句なしにわかりやすいという点においてである。

この本の主たるメッセージは、こういうことだ(と思う)。

今の日本が直面している本当の問題は100年に1度の不況ではなく、2千年に1度の生産年齢人口の減少だということ。
貿易黒字国家なのに、その黒字はほとんど国内消費にまわることなく、内需不振を生み出している。モノを欲しいと思わない高齢者の塩漬け財産が消費にまわることはなく、若い世代は稼ぎが上がらずモノを買う気が起こらない。しかも人口は少ない。

「これからスーツを買います」「これからクルマを買います」
という人たちが減っていて、
「もうクルマには乗りません」「もうスーツは必要ないのです」
という人が増えている。
そりゃあ、クルマもスーツも売れないよね。
それに高齢者はモノは要らないが、この先どんな病気になるかわからない。そういうリスクに備えて金融資産を保全しておかねばというウォンツだけは大いにある。

その処方箋は、
・若者への富の分配
・女性がもっと働きやすく活躍できる社会にすること
・外国人観光客、短期定住客の受け入れ

あともうひとつ大事なメッセージは著者が最初に発した言葉にもある。
「思い込みの殻にヒビを入れよう」ということ。公表されている数字からいかに客観性の高い事実だけを捉えることができるか。
ややもすれば、マスコミから発せられるニュースを見て読んで感じている。「ああ、日本はまだ不景気なんだ」それが本当に目の前で事実として起きているのかどうかわからずに。

フレーズをそのまま転載すると、

個別の数字や現象をきちんとチェックして、複雑に矛盾する事実をありのままに飲み込んで、例外も含めて世の中の全体像を把握する。その中から帰納することで、あるいは矛盾を止揚することで、より蓋然性の高いセオリーを再構成する。

いわゆる学者や評論家の煽り解説ではなく、政策に直面した経験から読み解く本質は何なのかということを言うなれば簡単な理屈でわかりやすく解説しているということだ。人に経済のカラクリをやさしく教えることってソーシャルだマーケティングだなんだよりはるかにむずかしいことだ。
何もむずかしいことはしておらず、政府筋が後悔しているデータとご自身の足で見た地方自治体の現状をつき合わせて本質に迫っているという点がものすごい。

また、データに基づいた丁寧な解説の合間に面白い表現がちりばめられており読みやすい。こんな例もある。

本書で紹介されている数字の類は確固たる公表されている全数調査の数字で、現場で見える真実と必ず一致し、お互いの傾向に矛盾が出ない。一致しないのは「得体の知れない世の空気だけ」
こういう空気と言うのは、
・SY=数字を読まない
・KY=空気しか読まない
・GM=現場を見ない
こういう人たちが確認もしてないウソをお互いに言い合って、拡大再生産しているもの。

なるほどと感心。
ふだん、数字が苦手と言う方にもおすすめの本だね。
ワタシはあんまり経済話が得意な方じゃないから何度も読み返してみたいと思っている。

デフレの正体 経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)/藻谷 浩介

¥760
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かけがえのない時間。記録からはじめよう。

時間がない。
よく聞く言葉だ。自分もよく吐く。ダメな一言と分かっていても吐いてしまう。

アップル社では「すばらしいアイデアが浮かんだが、実行するには時間が足りない」というのは許されないことだそうだ。

私は元来、TO DO管理が苦手、手帳を活用するのも苦手(続かない)。
使いやすそうなガジェットがあればホイホイと試してみる。
要するに好奇心旺盛な割に飽きっぽいという最悪の性格。

本ブログでも何度か書いてきたが「時間」だけは誰に対してもフェアなモノサシだ。24時間しかなく、どんなにお金を出しても買える代物ではない。
過去の歴史上、「時間」を節約できるモノはことごとくヒットしている。その最たる例は「携帯電話」ではないだろうか。

このように、生きていく中でもっとも大切にしないといけないものは「時間」であり、みんな「時間」とどうすればうまく付き合えるかをスケジュール管理や手帳活用術のような発想で考えるのだと思う。
現に毎年のようにあの手の雑誌やビジネス書はいくらでも手を変え品を変え発刊される。

私の知っている方たちは本当によく働いている。中身については触れられないが、毎日遅くまで働き、土日も会社に出て仕事をしている人が多い。やれ今週中に企画書をあと何本作らなきゃとか、締切り間に合わないなど、twitterのタイムラインでどれだけこういうつぶやきを目にすることだろうか。

ただ、これって健全なことか?と思うんだなあ。
みんな本当は薄々気づいていると思うけど、毎日毎日深夜まで働くことって決して美徳でもないし、むしろおかしいことだと思ってほしい。
「時間」って本当に大切で、うまく使えば楽しいライフスタイルが待っているのだ。ホントに優秀な人は時間をうまく使う。絶対そうだ。

だから、私自身ももう一度「時間」と向きあってみようと自戒の念を込めて今日のエントリーを描いているわけである。

そう思ったからと言って明日から劇的に何かが変わるわけではないが、自分がどんな時間の使い方をしているかとにかく知ろう。時間の棚卸だね。
そうすれば自分の一日の中で無駄な時間が見えてくるはず。無駄と言ってもすべてが無駄なことはないと思う。直接仕事に関係なくても知識欲のための時間やリラックスの時間は必要だ。
要は内容を記録し、どんな時間の使い方をしているか把握することからまずは始めなきゃいけないな。
ドラッカーは著書の中でこの時間の記録を「記憶に頼ってはいけない」と言っている。
確かに。。。先週までの私はかなり記憶に頼ってのみ記録していた。

せっかくイントラに時間管理ウェブシートがあるんだからリアルタイムに記録していこう。とココロを入れ替える決心を「今」した。

みなさんもいかがですか。もし時間管理ができてなかったとしたら、いっしょに記録から始めましょう。私もがんばってみます。