ユニクロがもたらした功罪
おっとタイトルに気合い入れすぎてしまった(笑)
ユニクロってみんなにどう映ってるんだろう。
おしゃれな存在?便利な存在?なくてはならない存在?自分らしさを演出できる存在?
答えはすべてにおいてYESだろう。
CMを見ていると超一線級のタレントが出てくる。挙句、最近ではオーランド・ブルーム、シャーリーズ・セロン、、、なんと神々しいことか(驚)
90年代前半には「理由の如何に関わらず返品を受け付けます」というCMを大阪のおばちゃんを出してOAしてみたり(見てない方はYoutubeで)、ユニクロの悪口を言って100万円もらおう!といったキャンペーンをするなど、かなり奇天烈なこともやっていたユニクロだが、ここ5年以上くらいはすっかりファッションブランドとしての定位置を確保しつつある。
「しつつある」と表現したのは、世間はどうあれ、自分の中ではユニクロをファッションブランドとしてカテゴリー分けしていいかどうか判断がつかないからだ。
誤解を招かないようあらかじめお断りしておくが、私はユニクロが嫌いなわけではない。どちらかと言うと好き。柳井さん著書「一勝九敗」を読んだときも素直に感銘を受けた。でもどこか「大」好きになれないし、これからもならないような気がする。
なぜかはわからないが「好き」と「好きじゃない」が共存するブランドかもしれない。
ただ、ブランドとして私の心に深く刻み込まれていることは確かだろう。
今そういう気持ちで書いている。
実は先日、これからの季節の土日早朝ウォーキングのお供にと、あまりの軽さにウルトラライトダウン(フード付き)を購入してしまった。
正直、ユニクロでアウターを買ったのは久しぶり。おそらく5年ぶりくらいか。ふだんはビジネス用のソックスと家で穿くスウェットパンツ程度のものしか買わない。きっとそういう男性ってまだまだ多いんじゃないかな。
ユニクロで買うのは軽いものだけ。アウターだけは手を出してない(出したくない)。
ま、ユニクロに関してはいろんな見方があり、経営者の柳井さんの存在を中心にいつも礼賛と批判に晒されている。そんな中、柳井さんは自分の哲学を貫き通し、成長し続けている点では本当に素晴らしい企業だし、本当に尊敬できる経営者だなと感じるわけです。
そんなユニクロに関して、私が自分なりに思っている(みんな思っている)ことをあらためて書いているのはわけがある。
日本を代表するファッションSPA企業がメガ化していくにつれ、日本人の街角ファッションがとてもつまらないモノになってしまうのではないかという危惧(大げさか?)を、自分や皆さんにあらためて問うているというものなのだ。
ユニクロ(ファーストリテイリング)の活躍は今や説明しなくても消費者のみなさんご自身が十二分にわかっていると思う。1億総カジュアル化を目指し、ファッションが身近で楽しいものになるよう企業努力を続けて来られたことにはほんとに敬服する。
何より素晴らしいのは世のオジサンたちのファッションへの意識を高めたこと。これは正確に言うとオジサンたちの奥様たちにとって、懐にも優しく亭主を人並みに着飾ることができる方法が見つかったというべきなんだろう。
本人たちからすれば「あ、ボクのようなおじさんも買っていいんだな」とか「あ、これなら私にも派手じゃないし、清潔感があるだろうな」と感じることができたと言うべきなのかな。
ユニクロがヒットする以前から通販や量販にはファッションというカテゴリーがあり(当たり前か)、カジュアルなラインアップは存在したし、価格的にも十分対応できるものはあったのだ。ただ、先のチャネルから生まれてくるものは、なぜか胸にワンポイントあったりとか、襟だけに変なカラーを取り入れてたりとか、そもそもなんでそういう服しかないのっていうものまで、およそオシャレと呼べるものが少なかったし、ファッション製品の売り場のVMDがおしゃれじゃなかったのが現実だ。
それが、ユニクロの登場により、というか時代の後押しもあったのか、国民の中に一億総中流なる意識が芽生え、全員が「そこそこ」オシャレになったのだ。この「そこそこ」というのがミソでこれがユニクロ大ヒットにつながったと言っても過言ではないだろう。とにかく「そこそこ」感に支えられているのだ。絶妙。ユニクロのみならず他のブランドやSPAにも共通して言えることだ。
そこそこオシャレに見える
そこそこ印象が良い
ここまでは功績。
続いてその反対。ユニクロは国民のファッションレベルの平均点を総じて引き上げた反面、本来、個性的であるべきファッションの同質化を招いてしまったとは言えないだろうか?
コモディティではオシャレにはなれない。勝手な意見だが。
買い物という行動を後押しするのは買う直前のワクワク感を味わった経験。ユニクロでの買い物にはそれが感じられない(個人的に)。それはコモディティ製品を買っていると脳が判断しているから。
同様な感情で選ばれるものに無印良品が挙げられるケースもあるが、こちらはもっとコンセプチュアルでシンプル&ナチュラルがライフスタイルに浸透しているため、ワクワク感は継続している。
現に8月、9月は商品戦略がチグハグになったことと残暑のせいもあって、久々の絶不調となった。ユニクロはたまにらしからぬ商品を出す。夏場にストアに行った際にピンと来ないものがあったと記憶しているが、やはりらしくない商品の陳列をみたせいだろう。ストレートに売上に現れている。
勝手な推測だが、柳井さんが現場から目を離すとユニクロの売上は落ちるようにできてるのかな。
1億総カジュアルを目指してきたのであれば、上質で心地よいカジュアルラインを追求し続けてほしいというのが私のユニクロに対する愛情表現だ。
ファッションはカウンターカルチャーだ!なんてことを言う気はないけど、ユニクロやGAP、MUJIなどがファッションのメインストリームになりつつあるのは彼らの市場規模を見ていればわかる。
でも、コモディティでは個性は演出できないだろうし、いろんなものとの組み合わせを上手に使いながら、国民一人一人がファッションを楽しめるような環境になればいいと思っている。
そのために定番のカジュアルラインというのは存在するのだから。
私たちのライフスタイルを彩るアイテムというのは常にトレンドと向き合っていて、流行り廃りがあるのが当たり前。ここまで大きくなったユニクロに対し、私が抱く次なる期待は安価な国民服作りだけではなく、別のまったく新しいことなのかもしれない。
ユニクロってみんなにどう映ってるんだろう。
おしゃれな存在?便利な存在?なくてはならない存在?自分らしさを演出できる存在?
答えはすべてにおいてYESだろう。
CMを見ていると超一線級のタレントが出てくる。挙句、最近ではオーランド・ブルーム、シャーリーズ・セロン、、、なんと神々しいことか(驚)
90年代前半には「理由の如何に関わらず返品を受け付けます」というCMを大阪のおばちゃんを出してOAしてみたり(見てない方はYoutubeで)、ユニクロの悪口を言って100万円もらおう!といったキャンペーンをするなど、かなり奇天烈なこともやっていたユニクロだが、ここ5年以上くらいはすっかりファッションブランドとしての定位置を確保しつつある。
「しつつある」と表現したのは、世間はどうあれ、自分の中ではユニクロをファッションブランドとしてカテゴリー分けしていいかどうか判断がつかないからだ。
誤解を招かないようあらかじめお断りしておくが、私はユニクロが嫌いなわけではない。どちらかと言うと好き。柳井さん著書「一勝九敗」を読んだときも素直に感銘を受けた。でもどこか「大」好きになれないし、これからもならないような気がする。
なぜかはわからないが「好き」と「好きじゃない」が共存するブランドかもしれない。
ただ、ブランドとして私の心に深く刻み込まれていることは確かだろう。
今そういう気持ちで書いている。
実は先日、これからの季節の土日早朝ウォーキングのお供にと、あまりの軽さにウルトラライトダウン(フード付き)を購入してしまった。
正直、ユニクロでアウターを買ったのは久しぶり。おそらく5年ぶりくらいか。ふだんはビジネス用のソックスと家で穿くスウェットパンツ程度のものしか買わない。きっとそういう男性ってまだまだ多いんじゃないかな。
ユニクロで買うのは軽いものだけ。アウターだけは手を出してない(出したくない)。
ま、ユニクロに関してはいろんな見方があり、経営者の柳井さんの存在を中心にいつも礼賛と批判に晒されている。そんな中、柳井さんは自分の哲学を貫き通し、成長し続けている点では本当に素晴らしい企業だし、本当に尊敬できる経営者だなと感じるわけです。
そんなユニクロに関して、私が自分なりに思っている(みんな思っている)ことをあらためて書いているのはわけがある。
日本を代表するファッションSPA企業がメガ化していくにつれ、日本人の街角ファッションがとてもつまらないモノになってしまうのではないかという危惧(大げさか?)を、自分や皆さんにあらためて問うているというものなのだ。
ユニクロ(ファーストリテイリング)の活躍は今や説明しなくても消費者のみなさんご自身が十二分にわかっていると思う。1億総カジュアル化を目指し、ファッションが身近で楽しいものになるよう企業努力を続けて来られたことにはほんとに敬服する。
何より素晴らしいのは世のオジサンたちのファッションへの意識を高めたこと。これは正確に言うとオジサンたちの奥様たちにとって、懐にも優しく亭主を人並みに着飾ることができる方法が見つかったというべきなんだろう。
本人たちからすれば「あ、ボクのようなおじさんも買っていいんだな」とか「あ、これなら私にも派手じゃないし、清潔感があるだろうな」と感じることができたと言うべきなのかな。
ユニクロがヒットする以前から通販や量販にはファッションというカテゴリーがあり(当たり前か)、カジュアルなラインアップは存在したし、価格的にも十分対応できるものはあったのだ。ただ、先のチャネルから生まれてくるものは、なぜか胸にワンポイントあったりとか、襟だけに変なカラーを取り入れてたりとか、そもそもなんでそういう服しかないのっていうものまで、およそオシャレと呼べるものが少なかったし、ファッション製品の売り場のVMDがおしゃれじゃなかったのが現実だ。
それが、ユニクロの登場により、というか時代の後押しもあったのか、国民の中に一億総中流なる意識が芽生え、全員が「そこそこ」オシャレになったのだ。この「そこそこ」というのがミソでこれがユニクロ大ヒットにつながったと言っても過言ではないだろう。とにかく「そこそこ」感に支えられているのだ。絶妙。ユニクロのみならず他のブランドやSPAにも共通して言えることだ。
そこそこオシャレに見える
そこそこ印象が良い
ここまでは功績。
続いてその反対。ユニクロは国民のファッションレベルの平均点を総じて引き上げた反面、本来、個性的であるべきファッションの同質化を招いてしまったとは言えないだろうか?
コモディティではオシャレにはなれない。勝手な意見だが。
買い物という行動を後押しするのは買う直前のワクワク感を味わった経験。ユニクロでの買い物にはそれが感じられない(個人的に)。それはコモディティ製品を買っていると脳が判断しているから。
同様な感情で選ばれるものに無印良品が挙げられるケースもあるが、こちらはもっとコンセプチュアルでシンプル&ナチュラルがライフスタイルに浸透しているため、ワクワク感は継続している。
現に8月、9月は商品戦略がチグハグになったことと残暑のせいもあって、久々の絶不調となった。ユニクロはたまにらしからぬ商品を出す。夏場にストアに行った際にピンと来ないものがあったと記憶しているが、やはりらしくない商品の陳列をみたせいだろう。ストレートに売上に現れている。
勝手な推測だが、柳井さんが現場から目を離すとユニクロの売上は落ちるようにできてるのかな。
1億総カジュアルを目指してきたのであれば、上質で心地よいカジュアルラインを追求し続けてほしいというのが私のユニクロに対する愛情表現だ。
ファッションはカウンターカルチャーだ!なんてことを言う気はないけど、ユニクロやGAP、MUJIなどがファッションのメインストリームになりつつあるのは彼らの市場規模を見ていればわかる。
でも、コモディティでは個性は演出できないだろうし、いろんなものとの組み合わせを上手に使いながら、国民一人一人がファッションを楽しめるような環境になればいいと思っている。
そのために定番のカジュアルラインというのは存在するのだから。
私たちのライフスタイルを彩るアイテムというのは常にトレンドと向き合っていて、流行り廃りがあるのが当たり前。ここまで大きくなったユニクロに対し、私が抱く次なる期待は安価な国民服作りだけではなく、別のまったく新しいことなのかもしれない。