先日、こちらの記事で「親は無自覚的に子供をコントロール下に置いて歪ませる」というお話をしました。

 

 

「モラハラ(モラルハラスメント)」というと、会社の上司や男性(夫)が弱い立場の人に振りかざす暴力、というのが一般的な認識のされ方だと思います。

しかし、それは女性(妻)や近い間柄の人間同士でも起こりうるもので、性別や立場などは関係ないものだと言えます。

モラハラは、基本的には殴る蹴るなどの物理的な暴力は含まれず、言葉や態度で相手を傷つけ精神的に追い詰めるものとされていて、"精神的DV"とも呼ばれています。

 
自身の内面の歪みや、間違った感情を振り回して周りに負担をかけていることに無自覚であったり、それを正当化していたりする人は、「こころが幼い子どもの状態から成長できていない」と言われていて、自分の振る舞いが自分以外の存在にどう影響を与えるのかなどの客観視ができない、俯瞰ができない、それらの想像力が欠如していてこころが未熟である、ということらしいです。
相手から言われたことをよくよく噛み砕いて丁寧に自分の中に落とし込む部分の能力も弱く、歪んで捉えているのにも関わらず、それによって得た不快感(悪感情)を相手のせいにする、というものだそうで、そのわりにそう言った「被る」ことを嫌い、自身を顧みることもないまま相手に不満をぶつける、それがモラハラと呼ばれるもののようです。
 
ものごとを「良い」「悪い」の二極化した考え方(二択しかない)に陥りやすい人はすでにうつである、あるいはうつ状態になりやすいなどしていて、衝動的でもあり、ネガティブな思い込みだけで突き進んでしまいます。
それはもう「正常な判断ができない」状態でいて、理性的とはとても言えません。
“中途半端”に耐えられず、脅迫的な焦燥感の中でその二択思考を実行してしまうのだと思いますが、そうすることで周りに悪影響を与えたりすることなどはその時点では本人は意識できていないし、それによって行動に移した本人が後悔をする、ということも少なくないみたいですね。
強い視野狭窄と、感情優位の支配的行為。自分の中の恐怖や不安に負ける、それらを「自分は絶対に正しい」と思って他者のせいにする、攻撃してもいいものとする。"子どものイヤイヤ主張"とよく似ているんですね。

 

 

 

加害者側が行うのは「狭い視野と凝り固まった価値観による自分の正義に基づいた攻撃(主張)」なので、やられている側がどれだけ"本当の正しい内容"を提示しても、言いくるめられてしまうんです。

被害者のどんな気遣いであれ、加害者側にとっては「攻撃可能になる材料」にしかならない。

未熟な自分、不出来な自分、欠点のある自分を正当化するため、見ないようにするために自分を棚に上げて理由を探して相手を攻撃し、自分を守ろうとするのです。

自分のせいで発生した感情を、相手の責任としてなすりつけることで、己の間違いから目をそらすことができる。ものを知らない子どもであれば許されたであろうものですが、成人済みや社会に出ている大人がやるものでもないですね。

受け手が押しに弱かったり、優しすぎるといった場合には、「恰好のサンドバッグ」にされてしまいやすいです。

 

では「なぜモラハラと親からの愛情が関係するのか」という点ですが、虐待・ネグレクト、マルトリートメント、トラウマ体験、過保護や過干渉など、それらも「モラハラ」にカテゴライズされるからなのです。

親やその周囲の人間の思い通りに育てようとして子どもを枠組みにはめコントロールしようとする、そうすることで発生する"強い抑圧"は、子どもの心の発達を阻害します。

そうして抑圧されると、こころはその時点から成長しなくなってしまいます。子どもは自分の不機嫌を周囲に訴え、相手にその処理をさせようと働きかけます。

ですがその部分を、養育者である親たちがきちんと正しい愛情をもって指導することで、発達のための課題をクリアーすることができ、正常にこころを成長させていくことができるようになります。

当ブログの記事でも言及している「正しい愛情」というものを受けることができなかった子どもが、体だけ大きくなって「こころが未熟な大人」となるわけです。

虐待というかたちで「モラハラをコミュニケーションだと学んでしまった」結果がそれであり、大人になったぶん"使い分け"をするのでなお厄介なものになってしまうのですね。

また、家庭内でモラハラ(虐待)が日ごろから繰り返されていると、その環境に置かれている子どもは、それが悪いものだと思わない、当たり前のものだと覚えるようになります。

治すべきもの、努力して改善しなければいけないもの、という意識も持ちにくくなってしまうのです。悪いもの、という認識が無ければ、改善もできません。

そういった"自己中心的な振る舞い"に気づかないでいれば、子どもの頃からずっと、わけもわからず人間関係で苦しみづづける原因となるでしょう。

それらは「他責思考」的であり、「自己を省みない」特徴があります。そう言う振る舞いをする人は「生育環境」に問題があったと考えることができ、モラハラもまた"連鎖"する、とも考えることができるでしょう。

 

 

これは余談なのですが、自分は人助け癖がもう何年も治らなくて誰彼構わず手を差し伸べて回っているのですが、「この人は自分じゃないとその大きな穴を満たしてあげられないな」と感じ、相手からの様々な要望に応えようとしていた時期が半年~1年ほどあった過去があります。

普通に趣味の仲間と言った間柄の成人済み女性(就労はできている)で、彼女は人前では上手く"擬態"するタイプの人間でした。

所謂「腫物(繊細ヤクザ)」で何かとすぐ激情し、コミュニティ内の管理者だったこともあって参加者だった自分を管理者権限を使い、いいように脅迫やコントロールをしてきました。

彼女とはオフラインでの交流もありましたが、いろいろあって最終的に家のすぐ近くまでやってきてその写真をSNSにアップする、というストーカーにまで成り果てました(その際の彼女のSNS上での振る舞いは、あくまで被害者意識的なものだった)。

彼女と話をしていく中で分かったことは「幼少期からひどい扱いを親族から受けていた」「境界性人格障害だった」という点。

コミュニティ内の多くの人に散々な悪影響を与え、その人たちを困らせたのにもかかわらず多くの人から親切丁寧に指摘や改善案を提示もされましたが、当時全員で計画していたものも彼女が主催者だったのにそこから逃げられ蒸発されました。

自分は彼女から、散々な言葉と散々な行為を長い間休みなく受け続け、かなりのトラウマを植え付けられ、しばらく外出もできなくなりました。

自分のような「とにかく相手のためだと思って心身を削ぎ過ぎるお人好し」は、"そういうの"に捕まりやすいのもあります。

ひたすらに"ひどい"んです。なので「これはモラハラ(フキハラ、不機嫌ハラスメント)かもしれない」と少しでも感じたら、容赦する必要はありません。油断するとそのまま食い潰されてこちらが再起不能になりますから。そこで重視されるのは「正当性の証明」ですけどね。