この社会には、「他人事」「自分には関係ない」として物事を距離を置いて見る傾向が少なからずあります。

それは決して怠惰や無関心だけが理由ではありません。むしろ、この「自分事と思えない」感覚には、私たちの深層心理や、現代の社会構造が密接に関わっているのです。

 

 

 

たとえば、現代は情報が溢れる時代です。毎日大量のニュースや出来事が私たちの目に飛び込んできますが、あまりに情報が多すぎて、どれが本当に自分に関わるものか分からなくなることがあります。

このような「情報過多」の状況は、感覚を鈍らせ、「自分には関係のないことだ」と無意識に切り捨ててしまう原因にもなります。目の前の情報が多すぎるあまり、意識の一部が麻痺してしまい、必要以上に自分を守ろうとする防衛反応が働くのです。

また、私たちは日々、他者の視点や価値観に触れています。

SNSやメディアを通じて流れる他人の成功や失敗、価値観や意見に触れることで、自分の考えが脅かされることも少なくありません。

すると、「これは本当に自分の意見なのか?」「自分が関わるべきことなのか?」と迷い、気づかないうちに自分の意識が薄れていくのです。他人の価値観に寄り添いすぎるあまり、自分自身の意見や感情を見失ってしまい、結局「これは他人事だ」と距離を置いてしまうのです。

 

このように、「自分事と思えない」背景には、情報の氾濫や、他者の影響が強い現代の特徴が大きく関係しているのです。これらは私たちにとっては無意識に働く防衛本能の一部であり、決して悪いものではありません。しかし、この傾向が強まることで、やがて心に何らかの影響が出てくることがあります。

 

「自分には関係ない」として物事を切り離してしまうと、一見して気楽に生きられるように感じられるかもしれません。

しかし、長い目で見ると、これには多くの問題が潜んでいます。

まず、日常の中で他人事と捉える癖がつくと、物事に対する責任感や自己の価値観が薄れていきます。

「自分は関係ない」「自分には関わりがない」という態度を続けると、いざというときに自分自身の意見や意思決定がしにくくなり、「自分がどうしたいか」を見失ってしまうことがあります。これは、他者の影響や情報に流されやすくなり、結果として自己肯定感や自尊心の低下に繋がるリスクがあるのです。

また、他人事として捉えることが習慣化されると、人間関係にも影響が出てきます。

たとえば、友人や家族が困っているときや、助けを求めているときに、「それは自分には関係ないことだ」と距離を置く態度をとってしまうことがあります。

すると、周囲の人々からも「自分に無関心な人」と見られ、次第に信頼関係が希薄になってしまいます。

人間関係の中での「自分事」としての意識が欠けると、他者とのつながりが弱くなり、孤立感や疎外感が強まってしまうこともあるでしょう。

さらに、社会的な問題に対しても「自分には関係ない」と感じてしまうと、社会全体の課題解決にも参加しづらくなります。

多くの人がこのように距離を置くことで、社会全体としての変化や進展が難しくなることがあり、自分も含めた未来が豊かさや安心感を失う結果に繋がる可能性が出てきます。

このように「自分事と思えない」ことは、実は多方面に影響を及ぼす可能性があるのです。

 

どういうことなのかの具体化。

ここに挙げた「当事者意識が欠ける心理的なパターン」について、より詳しく説明しながら、その心理的な背景に少しずつ光を当てていきましょう。

 

集団意識の中での「アイデンティティの希薄化」

現代は情報や価値観が膨大に流通する時代です。特にSNSやメディアでは他者の意見や価値観が絶え間なく流れてくるため、自分の本当の感情や意見を持つことが難しくなることがあります。周りと同調し、集団に溶け込むことで安全を感じる反面、次第に「これは自分の問題じゃない」と無意識に線を引き、当事者意識を遠ざけるようになります。

自己のアイデンティティが薄れていくと、自分の感情や意見も集団の一部に溶け込み、まるで「自分には関係ない」ように感じてしまうのです。このような環境下では、他人と異なる意見を持つことが怖くなり、あえて「自分ごと」として問題に向き合わなくなる傾向が強まります。

 

価値基準の外部化と他者依存の心理

「自分事として捉えない」という心理には、自分の価値観が外部に依存していることが影響している場合があります。現代には多くの成功モデルや理想の姿が提示され、それに自分を重ね合わせてしまう人が少なくありません。しかし、こうして「借り物の価値観」によって行動することで、自分が本当に望んでいることが見えづらくなり、問題を「他人ごと」として処理しやすくなるのです。

このように価値基準が他者依存になってしまうと、自分がやりたいことや大切に思うことを見つける機会が失われ、自己の軸が失われてしまいます。その結果、どんな問題にも「本当の自分には関係ない」と距離を置き、自分事として捉えることが難しくなります。

 

情報過多による「現実感の喪失」

現代社会では、私たちは膨大な情報にさらされています。情報が過多になると、それぞれの出来事に対する現実感が薄れてしまい、「自分にとって何が重要か」が分かりにくくなります。この状態は、心理学的に「鈍麻」と呼ばれる反応を引き起こし、自分の現実と情報上の現実との境界があいまいになります。そのため、すべてを「他人事」として捉えがちになり、当事者意識を持ちづらくなるのです。

情報の多さが心を鈍らせ、自分の生活や考え方に直接影響しないことを「自分には無関係だ」と処理することが、心の負担を減らす一種の防衛機制として働いていると言えるでしょう。

 

トラウマによる「回避型防衛反応」

過去に傷ついた経験が強烈であればあるほど、「同じ痛みを繰り返したくない」という心理が働き、問題に当事者意識を持つことを避けるようになります。例えば、「努力しても報われなかった」「信じていた人に裏切られた」という経験を持つ人は、似たような状況が起きても「これは他人の問題だ」と距離を置くことで自己を守ることが多いのです。

この回避型防衛反応は、特に繰り返しの痛みを経験した人に顕著で、心が自己防衛のために「当事者意識」を手放し、自分を守る手段として活用するのです。

 

現実逃避と「自分探し」の迷宮

「自分探し」という言葉があるように、現実から目を背け、「本当の自分」を探すことに没頭することで、今の問題や現実に関心を持たなくなるケースもあります。これは、「まだ本当の自分を見つけていないから、今の問題は関係ない」と無意識に考えてしまうことが原因です。

このような現実逃避の背景には「理想の自分」に対する執着があり、「完璧な自分に出会うまでは、関わらなくても良い」と無意識に自己弁護している場合があるのです。現実から離れることで、現実の問題に向き合わずに済むようにし、自分を守っているとも言えます。

 

 

 

 

ここまで見てきたように、物事を「自分事として捉えない」ことが、長期的には自分自身の成長や人間関係に大きな影響を与えることがあります。

しかし、自分事として捉えることは簡単なことではありません。これまで他人事として距離を置いてきた背景には、自分を守るための防衛反応や、過去の経験による傷が影響していることが多いからです。

そこで、自分事として向き合う際に、自分を責めたり、無理をしたりしないことが大切です。

 

まず、今の自分の状況や気持ちに少しずつ意識を向けてみましょう。たとえば、「なぜこの問題に関わりたくないのか?」と、静かに自分に問いかけてみるのです。

その理由が少しでも見えてくると、「関わりたくないのには理由があるんだ」と理解でき、自分を責める気持ちが和らぎます。そして、その小さな理解が積み重なることで、少しずつ「自分ごと」として捉えられるようになっていくでしょう。

また、他者との関係においても、自分事として関わることでより深い繋がりが生まれます。

たとえば、家族や友人の悩みをほんの少しでも自分のこととして感じることで、共感が深まり、相手との絆が強まるのです。自分事として受け止めることは、他者と自分の心を結びつけ、互いの存在を支え合う力となります。

 

 

無理に変わろうとする必要はありません。

小さな一歩から、少しずつ自分に優しく向き合うことが大切です。どんな小さな気づきでも、それが積み重なれば、やがて大きな変化となります。

あなたが少しずつ歩み寄ることができるよう、ここで寄り添っています。自分を責めず、焦らず、安心して進んでいってください。